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クリスマスの時期に想うこと ー 原体験から考える子育て

クリスマスまであと1週間🎄
例年はツリーをデコレーションしたり、サンタミッションの準備をしたり、何かとクリスマスの準備で忙しい時期なのですが、実は今年はまだ何もしていません。

何もクリスマスっぽいことしてないの?ときかれると、そうではありません。今年は別の形で、クリスマスをお祝いしています。

今年のクリスマス

一つ目は、私が参加しているオンラインコミュニティのクリスマスパーティーで<Secret Elf>という形でプレゼント交換が行われ、サプライズのプレゼントを送ったこと。(私宛のギフトはまだ届いていませんが、来ないこともあるらしい。それもあり。)

二つ目は、昨日から始まった「Gift of love*」というオンラインクリスマスチャリティイベントにボランティアスタッフとして参加していること。

昨日はそのイベントのオープニングセレモニーとオンライン講演会の配信サポートをしたのですが、

どんな環境で生まれても未来の選択ができる世の中に**」

と題されたこの講演が、ある意味衝撃的で、昨日からずっと頭に残っています。

どんな内容だったか一言でいうと、「児童虐待」について、です。

いくつか事例として出された、こどもたちが犠牲になった悲しい事件(虐待死)の話をきいて、怒りと悲しみと疑問が湧きおこってきました。
特に私の心をかき乱したのは、2010年夏に起こった、マンションに置き去りにされた子供二人が餓死した「大阪市西区二児置き去り死事件」です。

なぜ自分が生んだこどもを痛めつけることをしたり、心に傷を負わせたり、育児放棄したりするんだろう?
親を信頼しきっている幼くてもろい存在を、守ってあげたいとは思わないのだろうか??

こどもが犠牲になるニュースをきく度に、胸がぎゅっと苦しくなり、なんで助けられなかったんだろう、という気持ちで一杯になります。

母として思うこと

事件が起こった当時23歳だったこのシングルマザーは、「子ども二人を放置し、男性たちと遊び歩くひどい親だ」、と激しいバッシングを受けたそうです。この講演をされたタイガーマスク基金 理事の中村 久美さんは、「母親だけを責めることはできない」と、彼女の育った環境も話してくださいました。

彼女は、自身が幼い頃から命に関わるほどの育児放棄を体験していて、大人から支援を受けた経験が欠如していることから、社会へSOSを出す力を持っていなかったそうです。

それを聞いて、さっきまでの「なぜこんなことに?!」という憤りが、「そうだったのか」という同情や共感に近いものに変わりました。

こどもが3人いる母親である私は、同じ母として、この事件をおこした母親の気持ちが少しわかります。特にこどもたちが「魔の2歳児」と言われる頃から小学校に上がるくらいまで、感情をむき出しにして泣いたり怒ったりするこどもたちを、母親としてどう扱っていいかわからない時もありました。

ちょっとしたことで癇癪(かんしゃく)を起した息子を優しくなだめても、多少厳しく叱っても、癇癪を鎮める効果があるというアロマスプレーを部屋中に振りかけたりしても、ただただ泣き続ける息子に困り果て、少し距離を置くためにトイレにこもってみたり、夫に任せて部屋を出て、マンションのロビーで1時間くらい泣きながら姉にラインしたり、、、色んな気持ちを経験してきました。

そんな時、もし私に勇気があったら、一日くらい家出していたかもしれません。大好きなこどもたちだけれど、
「もう無理!ちょっと一人にさせて!!」
と思うことが、数回どころでなく何十回もありました。
だから、子供を置いて夜街に出る母親の気持ちがなんとなくわかります。

でも、私にはそれができませんでした。

とりあえずお財布を持って家を出たことはありましたが、スーパーと薬局に寄って買い物だけして帰ってきたり、泣きながらシャワーを浴びたりする程度。一回くらい家出してもいいはず!と思いながら、その一回が一度もできないまま、母になり16年が経ちました。

原体験 ー 私にとっての家庭


こどもの頃、私の母は家出どころか、私たち3人姉妹を置いて夜に出かけたりすることは一度もありませんでした。だから私が家出をできなかったのは、「母親はどんなことがあっても、こどもを置き去りにするものではない」という観念が私にあったからかもしれません。

もし、私の母が一回でも私たちに何も告げずにいなくなるようなことがあったとしたら、私もプチ家出くらいしていたかもしれません。

夜中にふと怖い夢をみたとき、おねしょしてしまったとき、いつもお母さんのベッドにもぐりこんで安心して眠ることができたという経験があるから、それが私にとって普通のことだったから、私にはこどもを置き去りにすることができないのかも。(本当は、一回くらいふらっと家出してみたい。)

両親が忙しくて構ってもらえないときは、いつでもあたたかく受け入れてくれた大好きな叔母という存在がいたことも、私にはともて大きなものでした。すぐ上の階に住んでいたおばちゃんの家にいくと、いつもあたたかく迎えてくれて、宿題しなくてもベッドで飛び跳ねて遊んでも怒られず、しょっちゅう姉妹で泊りに行っていました。
今思うと、私たち姉妹が叔母のところに泊まりに行ったときが、母にとって子育てを休める時だったのかもしれません。

大切なこと


いつでも安心できる場所がある」ということ、「どんな私でも受け入れてもらえる」と私自身幼いころから感じることができたから、そして困ったときや寂しいときはいつも誰かが助けてくれたから、「色々あっても、きっとなんとかなる」と思える今の私があり、私は本当にラッキーだと感じています。

私の息子たちにも、私の中に育まれた「自分は愛されている(受け入れられている)」という肌感覚や安心感、「なんとかなる」という世界への信頼を感じて育ってほしい、と願いながら子育てしてきました。

だからこそ、この無条件の愛や信頼の感覚を育まれない(もしくはそれが踏みにじられた)子供時代を過ごした人が親になると、がけっぷちに追い込まれたときの判断や選択肢が違うのだ、ということに、中村さんのお話をきいて気づきました。

困ったときは誰かに頼っていいとか、修羅場からは少し離れ自分を落ち着けてから戻るとか、そういう対処法(選択肢)が思いつくかどうかで、人生はきっと大きく変わります。

自分がギリギリのときの選択は、ある意味意識を超えたものなので、感覚として自分の中にないとどうしようもないもの。それはきっと、自分でどうにかできるようになる年頃(小学校にあがるくらい)までに育まれるもので、親や周りの大人が作ってあげるエッセンシャルな、人格形成に欠かせないものですよね。

それが普通に育まれる社会になってほしいし、親だけがそれをしなくても、まわりの大人たちがみんなで育めるはずだし、そうあってほしい。

そうすれば、悲しい「負の連鎖」はおこらなくなり、悲しい事件も減るはず。もうこんなこどもが犠牲になるニュースはききたくない。

そんなことを感じた講演*でした。

クリスマスに

このチャリティイベントは明日19日までなので、それが終わったらそろそろサンタミッションに取り組まないと!(先月10歳になった三男はまだ微妙にサンタさんを信じているので)

私が小さい頃、毎年クリスマスの朝枕元に置かれていたプレゼントを開けるのがとっても楽しみだったから、あと数年そのワクワクをこどもたちにプレゼントしたいと思っています。

明日の朝は、児童養護施設で暮らすこどもたちの七五三や、そこを卒業した子の成人式をお祝いする活動をされている市ケ坪さんという方の対談の配信サポートがあるのですが、クリスマスや誕生日、色んな節目を「お祝いする/される」という経験は、自分という存在を祝ってもらっている感じがして、とても大切ですよね。

これからは自分のこどもだけにでなく、他のこどもたちにも、何らかの形でプレゼントができるようになりたい。そうやって「幸せな記憶」を増やしていけたら、もっと優しい社会になるのでは。
そんなことを考えているクリスマス前最後の土曜でした。



**「どんな環境で生まれても未来の選択ができる世の中に」
中村 久美(児童心理治療施設 さくらの森学園 施設長、NPO法人タイガーマスク基金 理事)

https://www.youtube.com/watch?v=YHQyEiUkofI&t=7s

* Gift of love :
カウリ・ホリスティック・ヒーリング主催クリスマスチャリティイベント
「Gift of love ~愛について、声なき光の物語。About love, a story of voiceless light」
開催日:2021年12月17日(金)~19日(日)
詳細:https://kaurilove.peatix.com/


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