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ことばと「差別」について

ようこそ。

BlackLivesMatterが社会を動かしています。


・白人の参加者が多数であること
・明確なヒーロー=主催者が不在であること
・インスタやTwitterをはじめとしたメディアに呼び掛けられ全州に隈なく発生していること


等々、今回は前例のないムーブメントであるとは言うまでもない事実です。留学中の思い出の場所も破壊されていくのを画面越しに見る日々、自分の心に浮かんだのは一つ、

「歴史というフレームにおいて、日本人は圧倒的に差別『する』側であった。」

という言葉でした。
曲がりなりにも、その差別を『被る』側で壮絶な闘いをしてきた人・民族の側に立って私はその歴史を自分なりに知ろうとしてきました。そのため、「この『被差別側』に立つことはそう容易くできることではない」と考え、何かしらの発信にはしばらく躊躇があったです。時が経つにつれしかし、この人類普遍の問題に対し自分に何ができるかを考えてきました。その結果浮かんだのが、「ことば」から差別を考えることでした。
本来ここでは英語・韓国語・中国語についてゆるく綴っていく予定だったのですが、ここから数回にかけて日本で実際にあった差別の歴史をできる限り事実に基づいて語ろうと思います。

ことばの呼称の決定(日本語が「日本」語になること)には3つのファクターが存在します。それは、

①国家 ✖️ ②一定の社会的集団 ✖️ ③ことば 

です。日本語は実は


①「日本」という国家で話され、
②いわゆる「日本民族」と言われる構成員が、
③ほとんどその言語を話している


というまれな言語なのです。

例えば英語。①の国家はEnglishの名にもある故郷イギリスを超え世界中に散らばり、もはや掴みどころがありません。②の社会的集団はというと多くの人が思い浮かべるアメリカだけとっても何民族がいるのか、大変なものです。そして英語にもBlack Englishや、はたまた海を越えればシンガポールのシングリッシュ等が存在し各地でそれぞれの進化を遂げています。言葉というのが基本的に進化する生き物であるゆえ、大抵言語の名称は国家の「エイヤッ」という一段で決められてしまいます。

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言語学のエルヴィス・プレスリーであるソシュールは、この国家のしがらみから脱却し「ことば」そのものを直視する試みをします。「社会集団ごとに言語の仕組みの差はもちろんあるよね」と前置きした上で、それを「イディオム」と名付け、さらに言語の本質を「ラング」「パロール」「ランガージュ」に切り分けていきました。人が「国家」という観念で社会集団を束ねてきた頃から、ことばはそれと切っても切り離せないものとして、時にはユダヤ民族のYiddish語のように国家と対立をしながら昇華していった歴史を持っています。逆になんの集団も持たないまま命名されたものだってあります(ザメンホフのエスペラントがそれです)。


日本も例外ではありませんでした。

国家と言語がきって切り離せないことを痛感した最初の大御所の一人に上田万年(1867~1937)がいました。彼は欧米から帰国後「国家」のアイデンティティに言語が密接に関わっていることを痛感し、「国語」の設立を唱えました。ここに今私たちが小学一年生から必死に勉強することになる「国語」が産声を上げるのです。彼は東京大学国語研究所の初代主任教授となり、日本語の正書法確立へ尽力します。

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「高貴なもの」であった書き言葉と対立しつつ、ダンテの頃から少しずつ自立歩行を獲得してきた口語は、国家から与えられた「文法」という鎧を纏い遂に地位を確立しました。しかし逆説的に国家の枠組みの中で自分を「公用品」に変えた結果、ことばはかつて自分がいたはずの「下層」のことば達を卑下し排除するようになります。その一つが琉球の島ことば(以下「琉球諸語」とします)。


ご存知ない方もいるかもしれませんが、世界遺産を登録しているUNESCOは日本に存在する危機に瀕した「言語」として8つを公式に登録しています(Ainu, Hachijo, Kunigami, Miyako, Okinawan, Yaeyama, Yonaguni、詳しくはhttp://www.unesco.org/languages-atlas/index.php) 。諸説ありますが、いやもっと多くの言語が沖縄には存在するんだぞという意見もあります。


ではなぜいま危機に瀕しているのか。1872年の琉球藩設置、1879年の廃藩置県による沖縄県の設置から、本土より琉球諸語(ここではこの呼称を使っていきます)は、教育の妨げになるとして「公民化」あるいは「皇民化」の旗本の下で駆逐されていくようになり、内外から標準語教育が徹底的に行われました。具体的には発音矯正指導に加え、出版物や綴方での標準語使用の徹底が行われたそうです。


その中でも特に刮目して注視すべきことは、「方言札」の存在です。これはいわば陰湿な「ことばいじめ」でした。簡単にいうと、小学校で方言を喋った子は「方言札」と呼ばれる小さな札を首から下げなければならず、この札をかけてしまったものは教師から罰を受ける、あるいは仲間内からいじめを受ける羽目にあっていました。これを避けるには周りで方言を喋る他者を見つけて渡すしかなく、この渡し合いによって方言は自分を罰という危機に陥れるものとして自然淘汰されていきました。驚くべきは、この方言札には


①現地の学校・教職員が主体となって進められたこと
②太平洋戦の後にも継続された 

という事実があります。
その起源は不思議なことにはっきりとしておらず、不明であると言われています。圧倒的な抑圧の中で「内地」に同化しようというアイデンティティの方向性もありましたが、いわば標準語教育の軋轢の中で「下品」であり「抑圧されるべきもの」として島ことばを戒めようという、人間の原初的な酷い動機がそうさせたものと思われます。

差別・偏見に関わる集団心理に関して、TujfelとTurnerによる「社会的アイデンティティ理論(social identity theory)」 という分析があります。ざっくりいうと、人間は特定の集団に所属するとき、個人よりその集団を優先し自己形成あるいはアイデンティティーの拠り所とするということです。また、自分の集団Aが別の集団Bと対立するとき、自分の所属先であるAの優位性を誇示することによって自己の価値を高める、ということも主張されています。沖縄の人々は、「自己テリトリー」が「内地」という圧倒的上位集団に飲み込まれていくいうことを知った衝撃により、自分を支配側である「内地」に寄せその一員であることを示すことによってアイデンティティーを守った、その防御のサインの一つが、「方言札」の自主的な推進だったと言えるのではないでしょうか。


長くなりましたが、南のことばに関わる差別はここまでにします。次は北側で起こった差別について紹介しようと思います。

では、またすぐあいましょう。


参考文献

「社会的アイデンテティー」について
Tajfel, Henri & Turner, John. (2004). The Social Identity Theory of Intergroup Behavior: Key Readings. 10.4324/9780203505984-16.

言語政策について 
田中克彦 『ことばと国家』岩波新書 


「方言札」について
梶村光朗「沖縄における方言札の出現に関する研究 ―1911年度以前を中心に―」 『地域研究』(23): 1-16,  http://hdl.handle.net/20.500.12001/23986 
梶村光朗「沖縄の標準語教育史研究-大正期の綴方教育実践を中心に-」『琉球大学言語文化論叢』(7): 51-70 http://hdl.handle.net/20.500.12001/10003 


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