逆学力入試推進論

皆さんは、今まで学力テストによる入学試験を受けたことがあるだろうか。
中学入試、高校入試、大学入試…。
今の日本では、ほとんどの人が1回は経験するイベントのように思われる。

入学試験に向けて必死に勉強し、知識を頭に詰め込んで、テストでその知識を吐き出し、合格点に達する、または上位〇番目に入ると、学校に入学する資格が与えられる。

この学力入試、の意味するところについて、最近ある考えがふと頭によぎった。
それが、「逆学力入試推進論」である。

と、まあ突然言われてもなんのこっちゃだと思うので、説明したいと思う。


入試とは、学校に入る人を選抜するためのものである。
そしてその制度の中に学力テストがあるということは、学力の高い人に学校に入る資格を与える、ということである。

そりゃそうだ。何を当たり前のことを。と思うかもしれない。

だが、本当にそうだろうか?何かおかしくないだろうか?

教育(学校)とは、教育(学校)によって、目の前にいる子どもの能力や可能性を最大限引き出すことが目的の一つとしてあるのではないか。
そして、今現在学力が低い人、能力を十分に発揮できていない人をこそ力を入れて、可能性を引き出す努力をする必要があるのではないか。

学力テストによって、学力の高い人のみが学校に入る資格を与えられるとしたら、学力の低い(とその時点でみなされる)人は、どうすればよいのだろうか。
試験に落ち、余っている学校に入る、という負の感情を抱えながら、自分の能力や可能性を否定しながら生きるしかないのか。

だから、本当に教育に力を入れて、教育の可能性を信じる学校ならば、逆学力入試をしたらどうだろうか?
学力テストの低い人から順番に学校への入学資格を与える。
もちろんその中には、そもそもテストなど受けたくなく、白紙で出す子どももいるだろう。
そういう子どもも受け入れる。そういう子に、学びの楽しさやできるという感覚を感じてもらい、その子の可能性やモチベーションを引き出すことこそが教育の役割でもあるからだ。

上記が成り立つのは、現在の学力入試制度という前提の下で、という条件はある。
点数の低い人からとっていく、ということが知られてしまったら、そこに甘えてしまう人も出てくることや、わざと意図的に白紙にする人が出てきてしまうからだ。
こういった問題点はあるにせよ、逆学力入試制度を秘かに取り入れ、そこに入学する子たちが輝きを取り戻すような学校がいくらかはあってもいいと思う。
少なくとも私は、そんな教育の場を作りたいと思っている。


※一つ注意しておきたいのは、この文章は、今現在の学校における偏差値の低い学校が悪い、と言いたいということではない。逆に偏差値の高い学校が悪い、と言いたいわけでもない。
一つの視点として捉えていただけたら本望である。


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