"教育"をもっと遊び的に考える

私は今、子どもの教育に携わっており、子どもたちが幸せに楽しく生きられるように、私にできることは何だろうか?と日々考えている。

その中で、時折頭を悩ませたり、様々な教育の現場で議論の的になる問いがある。
「教育の目的は何か?」
という問いである。

もう少し具体的に言うと、
何のために教育をするのか?
子どもたちに教育によってどうなってもらいたいのか?
教育の先にあるゴールは?
などの問いが挙げられる。

私自身、この目的ありきの教育、が今まで当たり前だと思っていた。何か理想の姿があって、そのために教育をする、というような。
ただ最近、こうも考えられるのでは?と、頭をもたげ始めている考えがある。
それは、教育を遊びのように目的的なものとして捉える、というものである。

私は、ものすごく教育に可能性を感じているし、気づいたら教育の魅力に取りつかれていたわけだが、その理由を考えてみると、子どもとかかわっている時間が本当に楽しいから、子どもと過ごす時間それ自体がかけがえのない尊い時間のように感じるから、というのが大きい気がする。

教育の目的が、教育それ自体とは別なところにあると、教育は手段化してしまう。
手段化してしまった教育は、目的が達成されなければ価値がないように思われたり、子どもとかかわっている時間や教育の営みそれ自体の楽しさや輝きを失ってしまいかねない。

教育において行われる活動。
例えば、子どもたちに勉強を教えるとか、一緒に対話するとか、子どもの話を聴くとか。そういったことを、その先の何か別の目的のために行うのではなく、今この瞬間の子どもの表情や言葉、子どもとの関係性を楽しんで、集中して行うこと。
それが、逆説的ではあるが、結果として子どもの感情や思考、そして発達に良い影響を与えるのではないだろうか。

教育に限らず、現代を生きる我々は、目的や意味に支配され、今この瞬間の行為や営みそれ自体を楽しむという感覚を失ってきているような危機感がある。


人生は、今この瞬間の連続である。
そして、二度と同じ瞬間は訪れない。
遊ぶように生きたいものである。


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