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ワタシとSKY-HI◆SKY-HI TOUR 2019 -The JAPRISON- を終えて

千秋楽・中野公演から約2ヶ月…早い。笑

本当はもう少し早い時期に書き始めたかったのだけど、おかげさまで仕事も忙しくしていて、働いても働いても終わらない仕事を片付けるのに精一杯で、なかなか時間を取ることができなかった。noteを書く時はスマホじゃなくてPCの前に座って書くほうが、書きたいモードになる。

「Twitterでも散々書き殴っているのに、アナタまだ何を書きたいの?!」って話なのだけど笑、久方ぶりにどハマりして、SKY-HIファン生活史上最多公演数を参加して、無我夢中で文章を書きたくなるようなJAPRISONツアーをきちんとまとめておきたくなったのです。

こないだ令和に入ってからUPした記事は、「ラップミュージカル」「ラップオペラ」と当初日高さんが言っていて、千秋楽後に各メディアが「HipHopオペラ」と題したJAPRISONツアーを、作品として観た場合の感想です。これだけ楽しい気持ちにさせてくれた日高さんがこだわり、SUPER FLYERSやSKY-HI STAFFのみなさんが尽力し、FLYERSのかたがたが楽しそうに感想をあげていた部分に、きちんと私も感想を残したかった。

でも私は「音楽史に残る、多くのFLYERSを魅了した『HipHopオペラ』が好きで観に行ってたか?」と問われると…申し訳ないけど、多分そうじゃない。

SKY-HIのLIVEが好きで、日高さんが好きで、観に行っていた。

Twitterで「日付 土地名)」をつけて書きまくっていると、「いつもレポをありがとうございます」と声をかけてくれる人たちもいらっしゃるんだけど、実際のところ、自分の回想録のためにTwitterもnoteも書いていたりする(ああして共通の文字列をつけてツイートしておくと、過去ログを追いやすいのだ)。共有欲、承認欲求もあるし、ヒトに喜んでもらいたくてレポ要素多めに書いたりもする。だから喜んでもらえたり、コメントをもらえると単純にすげー嬉しい笑。けれど、私が書く文章は、私が一番好きなのだ笑。複雑でメンドクサイ、私自身が大嫌いで大好きな「私」が書いたような文章に、日高さん関連で出会ったことがない…。

だから私が書きたいことを、私のために書いた記事をUPして、JAPRISONツアーを締めたいと思います。なので、いつも以上につまらないです笑。
3ヶ月8公演のなかで私のココロとカラダで受け取ったモノ。JAPRISONツアーに観に行って呼び起こされる様々な感情、刺激。私が感じて考えたSKY-HIのLIVEと、SKY-HI。
それでもよかったらお付き合いください。


◆「FLYERS」「SKY-HIファン」としての自信のなさとイラつき

いわゆる誰かの「ファン」になった時、時折「私は“ファン”なのか?」と自問自答してしまう時がある。SKY-HIないし日高光啓さんのファンとしては、2018年がそんな時期に当たっていた。

「私はFLYERSなのか?」「FLYERSらしくいられているのか?」
実際のところ、未だに自信がない。

SKY-HIや日高さん関連を見ていくためには、なんとなくSKY-HI関連以外の情報を書かないのが暗黙の了解のように感じていて、「Skyzmix201」というTwitterアカウントを作った1年間くらいは、SKY-HIやAAA、HipHop以外の情報は書かないようにしていた。けれど、私の30ウン年の人生のなかで日高さんファンとして音楽に接しているのは4年間。それ以外の音楽と接していたほうが人生のなかでは長いのだ。だから改めてnoteでも触れます。

私は20年来の西川貴教さんのファンです。1シーズンに1回は貴教さんのラジオで、何故か宝塚歌劇団の最新情報を垂れ込むリスナーとしてメールも読んでもらってたりする笑(日高さんや秀太くんのことを送って読んでもらったこともあるよ)。

日高さんが初めて行ったLIVEでもある、T.M.Revolutionの東京ドーム(土曜日だったら同じ公演に参加できていたのだけど果たして…?)。母が一緒に来てくれて、私も初めて貴教さんを観に行った。以来、なんのかんので20年経っている。

そんな貴教さんがいなかったらSKY-HIには出会えなかった。

2015年2月12日、「西川貴教のイエノミ」にSKY-HIが出なかったら、『Limo』をSKY-HIが出さなかったら…? 3月の赤坂BLITZにも行かなかったし、今「Skyzmix201」越しに出会えている人たちとは出会えなかったと思う。

思春期の時に出会えた音楽は、その人に多大な影響を与えるらしい。(それを考えると10代でSKY-HIに出会えた貴方がたはとても羨ましい…笑。)私の音楽人生の礎は西川貴教さんにある。

そもそも私のなかで「FLYERSってこういう感じよね」という感覚が持てていないからなのかもしれないけれど、なんとなく、ずっと「FLYERS」というチーム? 団体? 集合体? というモノに対してしっくりハマりきれている感じがしないのは、「自分の音楽人生のバックボーンが濃すぎるからなのもあるのか?」とも思ったりしている…。

そういうモヤモヤもあって、たまに「FLYERS」として概ねの人たちが持っている感想を自分が持てなかった時に、なんだか「FLYERS」「ファン」という言葉が息苦しく感じる時もあった。

ただ音楽を聴いていた「リスナー」の時はぼんやり楽しくやれるのに、「ファン」という枠に所属した瞬間、マナーや音楽の聞き方に制約が出るのってなんでなんだろうなぁ…。

といったことを沸々と考えていたのでした。
(こういう感じで日頃から常に思考を続けるから、LIVEや音楽という「趣味」に癒やしや楽しさだけを求めたいかたがたとソリが合わないのだろうなとも自覚している…メンドクサイオンナで本当にスミマセン。。苦笑)


◆私は何故SKY-HIのLIVEに行くのだろう?

人様から見て「FLYERS」なのか「SKY-HIファン」と言える存在なのか…? よくわからないし自信もないけれど、気がつけばチケット購入画面で「購入する」を押していたり、チケットを譲ってくださるかたを探していたりしながら、いつもLIVEに参加している。

それは『Limo』、たった1曲を聴きたくてビビりながら赤坂BLITZのチケットを取って会場に行った時と変わらない、「そこにしかない、SKY-HIにしかないLIVEの楽しさや、私の心突き動かして離さない楽曲がそこにある」から行きたくなった時と同じ気持ちがあるから。それはずっと変わらない。

2018年に私が勝手に見つけていたテーマのひとつに、「30代にとってのSKY-HIのメッセージとは何だろう?」もあった。好きならどんなモノでも好きを突き進めば良い、それはどういうモノでもそうだと思うのだけど、一方で、ある年齢層を対象としたモノに心を動かされることに対して、心の成熟度を試されている気もしていた。自分が30代として成熟できている感覚があまりないのもあってだ。だからこそ比較的10代~20代前半のファンが多い(と思われる)SKY-HIが放つメッセージを、30代として受け取って感動して良いのか、SKY-HIの言う「お前ら」はどこを指しているのかを今一度考えてしまっていたところもあった(とっくにお気づきだと思いますが、私は基本「考え過ぎ」のきらいがあります…ハイ。。。)。

けれど、同世代の日高さんが努力を絶やさず行ない、高パフォーマンスの舞台を魅せてくれて、そんな彼の口から出てくる歌詞はいずれも「そうだ!」と思うものがあるし、仕事で悩みが止まらなかった頃にSKY-HIに出会えて以来、仕事の「ここぞ!」という時に日高さんの歌詞や姿勢に助けてもらったモノがある事実に変わりはなかった。だからこそ好きでいたいと思ったし、サンプラザ中野公演のMCでのメッセージの対象に「母親向け」のモノがあって、その時にようやくSKY-HIが若者以外の視点も含まれたことを実感して、「あぁ、聴いていていいんだな」と漠然とした不安が解消された。

SKY-HIのLIVEで視覚的演出を楽しむことに造詣が深まったのも、行きたくなる理由のひとつ。
SKY-HIの音楽を耳に入れると、色や景色が脳に展開されていくあの感覚が、実際に照明から感じられるようになった辺りから、SKY-HIチームの照明が楽しくなった。リバ探の時に観た『LUCE』の深海の青色武道館の『ナナイロホリデー』の時に左右のサスペンションライトから創り上げられた虹色『カミツレベルベット』のサビからAメロに行く瞬間に客席が明転する演出RAG2018年豊洲公演『New Verse』の水面のように移り変わる素光のピンスポットなどなど…。

「どれもとても綺麗」な照明。

『JAPRISON』は立体的な照明演出がものすごくカッコ良かった。リバ探再来を彷彿とさせる紗幕を使った演出檻格子を表現した上下左右から照らされた無数の白い照明上下左右だけではなく斜めの角度からも光るスポットライト。子どもの頃から万華鏡が好きで、畳に座って片目で万華鏡を覗きながら天井に向かってくるくる回していたあの時から、色彩や光に対して趣があるものだと感じやすいのかもしれない。

音響に対してもLIVEに行って楽しめるかどうかの要素のひとつ。1階席で観るにはボリュームが強すぎてツラく感じた前半パート。静岡公演からどこの席で観ても耳心地が良くて、毎公演「この曲、ここでこんな音が鳴っていたのか…!」と細かな音が発見できるのも楽しかった。
本当は作り手の方々が一所懸命作った楽曲に対して、「好き」「好きじゃない」と言うのも良くないのかなとも思いながら、好きだと感じた楽曲は棺桶に一緒に入れて欲しいくらい大事に思うクセがあって(不謹慎なのかなんなのかもわからない例えをするでない!笑)、大好きな曲は大事に心の宝箱にしまっては出してを続けたくなるくらい好きになる。そういう楽曲をSKY-HIの現場で聴けた時は嬉しくて仕方がない。


ラッパーが好きな割に歌詞に関して言及する機会が少ないのは、私の音楽の聴き方が「音>歌詞」だから。「それって良くないことなのかな?」と思ってヒトと議論をしたことがあるけど、音から先に聴く派のヒトも何人かいらしたので安心した。
だから、音が耳にピンと来ないとどんなに良い歌詞でも心に刺さるまでずいぶん時間がかかってしまうし、音が好きだと歌詞の入りが段違いで早くなる。そういう音楽の聴き方をしていたので、なかなか歌詞に入れ込む経験が少なかったのだけど、『JAPRISON』ツアーは歌詞を脳に添わせながら聴いていた場面が多かった。その入口になった楽曲が『カミツレベルベット』だった。


◆何回だって聴いていたい『カミツレベルベット』

2018年は今まで触れたように、自分探しのようにSKY-HIの楽曲を(勝手に)見つめ直していたので、素直に楽曲を受け取れないこともあった…。そんななか、去年の学園祭で聴いた『カミツレベルベット』。心の取扱説明書なりJIS規格があれば、「貴方はこのタイミングで、こういう形でこの楽曲を聴くと感動します」と言えるのかもしれないけど、幸か不幸かそういうモノはないから、不意にヒトって感動する。『カミツレベルベット』がそうで、赤坂BLITZで初めて聴いて以来、何度も聴いていたハズの楽曲が学園祭の時に不意に響いて涙が止まらなかった。

総ての歌詞が響いてくるし、聴けば聴くほど味わい深く、その時々の自分の心情で響き方が変わる曲。
日高さんが今まで自分がそんな言葉を吐くとは思わなかったという「Everything is gonna be alright」というフレーズ、
これはSKY-HIの曲で、SKY-HIのLIVEに来た「今日」のみんなの曲で、私の曲

学園祭を契機に楽曲に対する好き度が増し、2018年12月11日のRAG豊洲公演で、日高さんが不意に泣いて歌えなくなった『カミツレベルベット』。歌い終わったあと、「次のツアーでも必ず『カミツレベルベット』は演るので聴きに来てください」みたいなことを言っていたので、この言葉どおり、毎公演、『JAPRISON』ツアーでも『カミツレベルベット』を聴くのが楽しみだった。
活動量も作品数も回遊魚並に多いSKY-HIを聴き続けるには、もう少し作品に対する味わいかたや発見に対する感度を早めないとついていけないのかもしれない。2015年春に出た曲をイマサラ味わっている場合ではないのかもしれないけど、私にとっては「今」だったんだ。

大学時代にハマったアニメの主人公のセリフが、10年後になって人生で響いて来ることもあるみたいに、タイミングってあるみたい。


◆聴けば聴くほど好きになる「カウントダウンSKY-HI」コーナーの曲の数々

『カミツレベルベット』がそうであるように、「カウントダウンSKY-HI」コーナーの楽曲も今になって、歌詞ひとつひとつが大きく響いた。

「笑顔の理由ってどこに在るんだろうな?」と考えることもあった『スマイルドロップ』
LIVEの時間は間違いなく「目が眩むくらいに輝いて とろけそう」と感じる『ナナイロホリデー』
聴いていると温かな気持ちがキュッと胸に降りてくる『Blanket』
なんとなく楽曲からいつも「君の間違いを正解って言う カタチにする」気持ちにさせられている感覚があるなぁと思うようになってから、ラスサビ前の早口Rap部分がより好きになった『Seaside Bound』
などなど。

今までも好きだったけれど、今、より好きになって、歌詞の彩り豊かな部分が好きになった「カウントダウンSKY-HI」コーナーの楽曲。
好きなヒトの笑顔のくしゃっとした目尻や笑い声のトーンも突然好きになるように、
改めて「SKY-HIの曲って楽しいな」「SKY-HIの曲って好きだな」って惚れ直せた公演でもあったのでした。


◆唯一無二、8色の『JAPRISON』の楽しさ

今までnoteに投稿した記事には書いていなかった(書かなかった)(書けなかった)『JAPRISON』に感じていた楽しさが、今まで書いてきた部分。

それらもあったけど、もちろん前半パートも楽しかったんだ。
それは今まで記事に書いてきたので割愛します。

「俺は誰かの敵か? それか誰かのメシア?」~舞台上にいる貴方は誰だ?~

「JAPanese Rap IS ON~開演前の60分間~」

「どうやらこの世界は君が思っているより優しい」◆SKY-HI TOUR 2019 -The JAPRISON- 番外編(旅日記)

約1年半を経た結果、「役者・SKY-HI」が楽しい

「艶色を富士に注ぎ込むギタリスト・Tak Tanaka」

「2階席から観たJAPRISONツアー」

「無意識にノッてる瞬間が楽しさの答え」

日高さんのてっぺんの見えない進化が毎公演楽しくて、「今日はどんな2時間になるのだろう?」とワクワクが止まらなかった!

それこそ芝居ならキャストやスタッフ違いはあるかもしれないけど、作品としての再演はあり得るけど、音楽方面での再演って観たことがない。ここ数ヶ月壊れかけのレディオ並に「『カタルシス』が好きだ」と言い続けていて笑、今すぐにでも『カタルシス』の作品がひたすら聴ける公演を観たいと思っているけど、それはきっと叶わない。それを知っているからこそ、『JAPRISON』ツアーは多少無理してでも行ける範囲は行きたいと思って、SKY-HIファン史上、私にとっては最多公演数を参加したツアーになった。あの感覚、感情、景色は現場じゃないと味わえないし、全公演違うモノだから自分で観に行かないとわからないもの。


◆SKY-HIの次章に向けて

さて。

令和のSKY-HIはSALUというbuddyと、新たな旅路に出ます。

私の心境は「ドキワク」よりかは「ドキドキ」に親しい。音もLIVEも受け取ってみないとわからないからなんだ。

『JAPRISON』ツアーの後半パートが猛烈に楽しくて、「あーやっぱ私ってJ-POPが好きなのかなぁ」と思ったのだけど、WREPやAbemaMixで週最低でも1時間はHipHopに触れているのもあって、ラップミュージックやR&B、ブラックミュージックも好きだなとも思っている。ひとりでふらっとWREPラウンジに行ってみたり、気になるDJの選曲を聴いてみたくてこないだもクラブに行ってみたりしてみた。今でもチャラ箱は怖くて行ったことがないし、「ケツ振れー!」と煽られても気が向かないけど苦笑、思春期の頃はクラブとは無縁だった人生からすれば、想像のつかない人生を送っていて音楽の振れ幅も変わったなと思っている。

去年は「ニッポン、ラップミュージック流行らない問題」に耳を傾けすぎて、いわゆる快楽的な、「実のない」楽曲「も」好きな自分の感性ってダメなのかと悩んでしまっていた。。
なのだけど、自分自身の「好き」を見つめ直してみた結果、どれもこれも好きで良いのかなと、ようやく気持ちが落ち着けたので、自分の感性に幾分自信が持てました。

そう、自分を確立させたい気持ちもあって、この文章を書きたかったのもあるのです。
そして自分を確立させるには、これだけの文章量が必要だったのです。
改めて「私」はメンドクサイ。笑

今年、SKY-HIファンとしての私はどう在るのか?
全く想像がつかないのだけど、平成最後の4ヶ月間は、とても楽しくてSKY-HIの楽曲が大好きで、SKY-HIのLIVEが大好きで、自分の言葉で自分の受け取った感情を掘り起こすことが好きだった私を呼び起こしてくれた公演に出会えた。それは間違いないです。

そして令和の私は、もう少し自分本位に成りたい。
そのための気持ちと思考の整理をしたかった。

明日から2019年の下半期。
日高さんは日高さんの、
ここまでお付き合いいただいた貴方は貴方の、
私は私の人生をより豊かに送れますように。

『またね』


2019.6.30.カズミ


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