見出し画像

<5月と空>何も、起こらなかった。

雲ひとつない真っ青な空。

五月晴れのもとで、燃えさかるほどにまぶしい太陽だけが、大きくてどこまでも青い空を優雅に独り占めしていた。

それはまるで大河ドラマの主役のような圧倒的な存在感だった。

そんな太陽と、真っ青な空を見上げながら、きっと今日はものすごく感動的なサンセットが待ち構えているのだろうという期待に胸を膨らませて、私はじっと、日が暮れるのを待った。

太陽は、ゆっくり、ゆっくりと、待っているこちらになどおかまいなく、空をめいっぱい堪能して、そして、沈んだ。

―――何も、起こらなかった。

太陽のごく近いところで青い空がほんのりだいだい色に染め上げられはしたけれど、そのほかのほとんどの部分の空にとって、それはあまりに無関係な、地味な、そして、あっけない出来事だった。

あんなにもまばゆい存在感を空じゅうに放っていたのに、最後はあまりにあっけなく沈んだ太陽。

そして、冷たいほどに無関心な空。

なんだかがっかりする自分の気持ちだけが、その場に取り残された。

こんなにも空を真っ青に、影ひとつ作らずに照らしてくれたのだから、沈むときもさぞすごい夕焼けを見せてくれるのだろうと、何かものすごく感動的なドラマを期待していたからだ。

「だって、レースは走り終わったらそれで終わり。人生は駆け抜けたらそれでおしまい。」

今日の日没は、まるでそれを淡々と物語っているかのようだった。

人は、過ぎ去った過去をきれいな額縁で飾りたがるし、誰かにそれを褒めそやしてもらいたがる。

過去にすがる、もしくは、思い出に浸る。それは、人間のエゴの本質というべきなのか。よくも悪くも、人は、過去の記憶なしには生きていけない生き物なのかもしれない。

きっと今日の太陽が人間の心を持っていたら、こんなにあっけない夕暮れなんて決して許さないだろうし、もしかしたら、「感動的な」夕焼けを達成できるまで決して沈まないかもしれない。

そんな1日の終わりだった。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?