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こういう店が無くならないで欲しいのだ。

少し前になるけれども、2月9日は結婚記念日だった。夫が久しぶりに美味しいものを食べに行こう、というので渋谷にあるフランス料理店にランチに出かけた。

夫はフランス料理を専門にする料理人なので、勉強のために昔はよく二人でフランス料理屋へ食事に行った。その中に3軒ほど特にお気に入りの店ができ、何度も友人を連れて行って紹介したりして、何かお祝い事などがあればその店のどこかへ行っていた。いつ行っても新鮮な驚きがあり、ひと皿ひと皿丁寧に施された仕事に毎回感嘆の声をあげた。

けれども今、その店のどれも残っていない。

噂では一軒のシェフは地方の地元に帰ってお店をやられているらしいが、他の二軒は閉店したきり話を聞かない。理由はさまざまだろうけれど、レビューサイトの影響を受けてしまったらしいという話も聞こえてきたりして、それが本当だったらと悲しい気持ちになった。

そのお気に入りの店へ通えなくなってしまってから、あまりフランス料理を食べに行かなくなった。夫がホテルに転職し、忙しくなってしまったのもあるけれど、あの店以上のものがなかなか見つからなかったのもある。

しかし最近、夫は自分の店を持ちたいとまた夢を温め始めたので、久しぶりに職場以外の外の世界を見たくなったらしい。

今回訪れた店は、渋谷でも静かな地区にある小さなフレンチレストランだった。

店へ入ると、ギャルソンの方はたったお一人で3組のゲストをサービスしていた。とても洗練された身のこなしと気配りで、なんとも穏やかで落ち着く空間を作っている。

店は凛として清潔に美しく整えられ、テーブルはどれもゲストが座るのを万全の体制で待っているようだった。

アミューズグールとスープは、ブルゴーニュ風エスカルゴと10種類の野菜が煮込まれたポタージュスープ。久しぶりに食べたエスカルゴは、ムチッとした食感が楽しく、オーブンで焼かれたエスカルゴバターの食欲を誘う香りと、噛むとジュワッと口に広がるソースが胃を刺激して、食べているのにお腹が空いてくる、という不思議なことが起きる。

前菜は魚介のタルタルとクスクスのサラダ仕立てで、綺麗に型抜きされたオレンジ色のクスクスと白いタルタルと野菜の緑が美しい層になっており、最近よく見かけるエディブルフラワーが散らされている。横には花畑のようにマリネされたニンジンが添えられていた。二色のソースで描かれた皿は絵のようでとても美しかった。

パンは自家製の丸パンで、クラムがもちっとしたタイプで柔らかく香りもいい。バターは美しく大きな真珠の玉のように、見事に半円に抜かれており、その上にワインを染み込ませて乾燥させた塩が散らされていて、バターの白と薄紫の塩が宝石のかけらのようで、なんとも優雅なのだった。

メインは夫は肉料理、私は魚料理を選んだ。

何種類もの魚貝類を、エビのクリームソースであえてオーブンで焼いたもので、一見それほど華やかな見た目の料理でも奇を衒ったものでもない。

しかし口に入れて噛んでみると、なんとも素材ごとの火入れ加減が素晴らしく、それぞれの魚や貝の「ここ」という絶妙なところで瞬間が止められていて、味はまとまっているのに異なる食感が楽しめる、豊かな料理だった。

ああ、こういうところにプロの技があるのだよなぁ、と思う。絶対に自分では真似などできない。そういうところにお金を払う価値があるのだ。

そして何より、食べていてこんなにも楽しいと思えることに、価値があるのだと思う。

コロナ禍で予約も減り、きっとやっていくのは大変だろう。仕入れの調整も、食材のロスも頭を悩ませているのではないか。

今回のお店は、その辺をとても苦心して工夫されているように思えた。基本となるメニューが通年を通してあって、そこに季節ならではの食材で色をつける。きっと今はそれが精一杯かもしれない。

けれども、たとえ少ない来客でも手は抜かない。そういうところに、シェフの心意気を感じる。誇りとでもいうのだろうか。

そういう店には、やはりずっと残っていて欲しい。まだまだ沢山の人の食事の時間を豊かなものにして、楽しませてほしいと心から願う。

その一助になりたいから、またできる限り良い店に足を運ぼうと思っている。


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