【映画レビュー】夢追い人の物語を文化人類学的に読み解いてみる
漫画家になる夢を追い続け、経済的に不安定な生活をする男があるきっかけで夢と現実が交錯する旅路に迷いこんでいくロードムービー
荒唐無稽なファンタジーとして観ることができるこの映画を誰もが経験する「通過儀礼」をキーワードにちょっと別の見方をしてみた。
そもそも「通過儀礼」って何って人もいるだろう。七五三、成人式、結婚式などのライフイベントの堅苦しい呼び方と捉えてもらえれば十分。
もう少しややこしく説明すると通過儀礼とは日常生活から一度分離され、異なる時間と空間での移行期間を経て、元の日常にもどされ再統合されるという3段階を経験して、身分の変化が公に認められること。
成人式を例にすると、それまで「未成年」とされていた人たちは成人式を経験すると「大人の仲間入り」なんて言われるようになる。
こんな感じで自分で変わったわけじゃないけど、社会でのライフイベントを通じて、その社会での身分が変わるような出来事が通過儀礼になる。
今回の映画は一般的な通過儀礼を行っているわけではないけど、主人公の状況は通過儀礼の三段階を経て、身分が変わっていると考察することができる。
主人公は夢を追いかけている途中で、経済的に自立できておらず、いわゆる「彼女のヒモ」状態で生活している。
その主人公が大学の同期と旅行をし、死んだはずの憧れの女性(同期の一人)と再会するあたりから、彼は夢としか言いようのない常識では到底説明できない不可思議な空間での旅路が始まり、一度日常生活から分離されている。
あとから分かることだが、友人と過ごしていたその時間は全て「夢」もしくは主人公の「空想」とも言える状態で、通過儀礼での異なる時間と空間での移行期間にまさに合致する。
物語のラストで明らかに現実であると分かる描写がされ、主人公は元の日常に戻ったことが明示され、彼は日常に再統合されいることが分かる。
極めつけはラストの描写で、見た限り彼は彼女とは別れ、一人での生活を始めている様子がうかがえる。
つまり、この映画は定職を持たず、経済的にも自立していなかったヒモ人間が、通過儀礼を経て、自立して夢を真剣に掴み取りに行き、社会での身分が変化する様を描いている。
彼が漫画家になれたか否かは明言されていないが、最後に出てくる彼の部屋の様子から身の入れようが変わっていることが伝わってくる。少なくとも大学の同期と再会する以前の彼とは気持ちの面で明らかに前進している。
制作陣が通過儀礼を意識していたかは分からないが、この映画は「行きて帰りし物語」に分類することができ、同期との旅の前後での主人公の成長や心情の変化を描こうとしたのは感じられる。
行きて帰りし物語はもともと通過儀礼と親和性が高く、主人公の変化を描く過程で自然と通過儀礼の三段階が組み込まれた可能性もある。意味不明な空想パートも通過儀礼の過程と捉えて映画を観るとうまく表現されているなと感じた。
以上、趣味丸出しの考察でした!
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