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たまには生きるためのご飯じゃなくて、一緒に幸せなご飯食べよ

東京は、残高139円じゃ改札を通らせてくれないらしい。

仕事終わりに人の間を縫って駅にたどり着き、やっとの思いで改札にスマホをかざすとピンポーン♪という軽快な音と共に跳ね返された。関西なら1円でも入っていれば通らせてくれるのに。後ろでつっかえてた人に迷惑がられながら、すみません、と脇道に逸れて、そそくさとSuicaをチャージする。

帰ったら9時前か。お腹すいた。

今日も今日とて、行きも帰りも安定の満員電車だ。ぎゅうぎゅうに押し込まれた電車に揺られながら、狭いテリトリーの中でスマホで「晩御飯 簡単 レシピ」と検索する。

「仕事終わりはこれで決まり!時短レシピ」
「少ない食材でできる晩御飯10選」
そんなタイトルがついたものから順に目を通していく。

どれもめちゃめちゃ美味しそうなのに、残念ながら冷蔵庫の中身を思い出す限り、何かしらの食材や調味料が足りていない。鶏胸肉のトマト煮とか超美味しそうなのに、トマト缶はちょうど先週切らしたところだ。

いやスーパーに買いに行けという話なんだけど、仕事終わりにスーパーに寄るほどの力は残念ながら残っていない。美味しさと手軽さをわざわざ天秤にかけるまでもなく、圧倒的手軽さの勝利。今日も今日とて、生きるための栄養素を手軽に摂れる食事という思考回路になってしまった。

理由や余裕がないと、ちゃんとした料理をしない癖がついてしまったな。一応、キッチンには立つし "料理" の過程は踏んでいる。野菜を切ったり、素材を炒めたり、茹でたり。素材自体が美味しいので、そりゃもちろん "普通に" 美味しいけど、満たされない感覚。正直、オリーブオイルと塩胡椒さえあれば大抵のものは何とかなるが、やっぱり味気なく感じてしまう。

こういう時は実家が少し恋しくなる。本当はさあ、出来たて熱々のジューシーな唐揚げとかぷりぷりのエビチリとか食べたい。帰ってすぐ料理が出てくるのって最高だったな。温かくて美味しい料理を作って待ってくれていた母に、改めて感謝しかない。

吐き出されるように電車から降り、我が家まで12分ほど歩く。セブンの誘惑を断ち切り、冷蔵庫にかろうじて残されていた鶏胸肉やらきのこやら野菜をかき集め、炒めてみる。
また名もなき炒め物を作ってしまった。

我が家の良いところは、一緒に食べてくれる人がいるということである。そして、たまにめちゃめちゃ美味しいご飯をくれることである。いや、恵んでくれなんて言ってるわけじゃなくて。いつも皆さんありがとうございます。

誰かと一緒に食べられるこのシチュエーションも嬉しいんだけど、たまには生きるためのご飯じゃなくて、買い出しの過程から食べるところまで一緒に楽しみたい。私にとって誰かと「美味しい」を共有できるのは最大級の幸せなので、一緒にご飯作って食べたい。

この前も一緒にホットケーキやらホットサンドやらカレーやら、一緒に作って食べてくれた人がいて大感謝。というわけで定期で一緒にご飯つくろ。しぇあはぴしよ。というお誘い。


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