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ピカソが教えてくれたこと

エッセイを書いていると、昔の自分の作品を見返してその内容が恥ずかしく思えることがあった。特にエッセイは文字でハッキリと思考が示されるわけで、作者が剝き出しになる感覚がある。

でも人は変化するのが当たり前だ。毎日とは言わないまでも、毎月、毎年、時間が経つにつれて考えることや価値観も変わってくる。そんなとき昔の作品を残しておいてよいものか、消した方がよいものか、迷うことはないだろうか。

自分はそれで悩んだことがあったし、その時々で一生懸命に考えたことや感じたことが未来に塵となることが悲しくて、ふがいなくて、筆が進まない時期を体験したこともある。実際、最近がそうだった。なんとなく筆が進まない。

けれども、そんな悩みをあの有名な「ピカソ」があっさり解決してくれた。

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先日、箱根のポーラ美術館を訪問した。ポーラ美術館は、箱根の国立公園内にたたずむ「森と生きる」をテーマにした美術館で、緑とアート作品をいっぺんに楽しめる贅沢な場所。

そして偶然にもそこで、ピカソ展を開催していたのだ。

ピカソの絵画が展示されていたのはもちろん、少しだけピカソの名言も紹介されていた。私の悩みをあっさり解決してくれたのは、そのうちの一つだった。

なぜ私が作るもののすべてに日付を入れるのか?

ある作家の作品である、と知るだけでは不十分であるからだ。いつ制作されて、どのような方法で、どんな状況であったのかも、知る必要がある。

いつの日かひとつの科学が生まれ、人はそれを「人間の科学(la science de l’homme)」と呼ぶだろう。創造する人間を通して、より人間というものを深く貫いて洞察するよう試みるものだ。

私はよくこの科学について考え、気に掛けている。私はできるだけ完全なドキュメンテーションをぜひとも後世に残したい。

パブロ・ピカソ(1943年12月6日)

そうか。

ピカソは人が変化することは当たり前であることをもちろん知っていたし、それに名前も付けていた。「人間の科学」と。

ピカソは「人間の科学(つまりピカソの変化のことだよね)」を、後世の人が洞察しやすいように絵画に日付を付けていたという。しかも完全なドキュメンテーション=文書管理を目指していたほどの真面目っぷり。

ピカソはいろいろな人に作品の変化、つまり自分の変化を見てもらいたかったのだ。さらにはその先の「人間って何だろう?」というところまで。これはとても衝撃だった。

確かにピカソの絵画は時期によってはっきりとブームがあるようだった。時には青色ばっかり使っていたり、幾何学模様にハマったり、柔らかい女の人を描くようになったり、戦争の描写が増えたり……。

自分の作品の変化、つまり自分の思考の変化を隠す必要はなかったのだ。

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ポーラ美術館(館内入口)
ポーラ美術館(遊歩道)

ピカソ的に言えば、思考の変化が研究しやすいように、むしろ作品はきちんと日付で管理して残しておく必要がある。noteやブログはそれにぴったりじゃないか。

私がこれまで綴ってきたエッセイも、これから綴るエッセイも、いちいち消すことは止めようと思う。そしてばんばん未熟な思考とともに、エッセイを書いていけばいいのだ。

そうすれば、私という人間が残した作品にいつか科学が作用して、一人の女の一生の物語が出来上がっていることだろう(誰か研究してくれるとは思えないけれど笑)。

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