渡り鳥の群れと朝の色
年が明けてからすぐ、とある作業のために1年以上ぶりにひとりでお気に入りのカフェへ行った。プリペイドカードに残高がいくら残されているのかも忘れていたほど、久しぶりだ。
昨年は一年のうちのほとんどが妊婦生活だったから、前半はつわりで具合が悪いことが多かったし、後半はなるべく自宅で過ごしていたし、赤ちゃんが生まれてからは一日が一秒のような速さで過ぎていったから、とてもカフェに行く余裕はなかった。
それでも夫が赤ちゃんを見ていてくれると言うから、午前中だけカフェで時間を過ごすことにした。
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カフェは朝7時から営業していて、開店時間ぴったりに行きたかったから、早起きした。今年は暖冬とはいえ、やはり朝は冷え込む。車のフロントガラスはバキバキに凍っていて、見ているだけで寒々しい。
カフェへ向けて出発すると、まだ太陽は顔を出していなかった。
運転しているうちにうっすらと空が明るくなってきて、なんて神秘的な風景なんだろうと思った。何色と表現すればいいか分からないほど空の色があたたかくて、心がじんわりと幸せになる。たとえるなら「肌色」が近いかも。だれかの肌に包まれているような、そんな色をしていた。
するとそこへ鳥の群れが重なった。
渡りの途中なのかVの字に並んだ鳥の群れはとても綺麗な隊列で、しかも一つではなく、二つ三つと続いていた。運転していなかったらずっと見ていた光景だった。「渡り鳥の群れと朝の色」、この言葉を思い付いたのはその時だった。
こんな風にじっくりと静かに景色を味わうのは、一体いつぶりだっただろうか。
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昨年、何人かの人に私が書く文章が変わったと言われた。良い悪いではなく、どう変化したと思うかそれぞれの人が端的に所感を教えてくれた。
このことについては自分でもわかっているような、わからないような、そんな感覚でいたのだが、この日カフェに行く途中の車の中で、ようやくその理由がわかった気がした。
恐らく今の私は「渡り鳥の群れと朝の色」を味わうような機会が、以前の私に比べて減ったのだと思う。
ひとりの時間がほとんどなくなったし、愛しいニワトリやヤギや赤ちゃんがそれぞれにお世話を求めていて、どうしたら皆が喜んでくれるか考えてばっかりなのだ。今は身の回りに存在する誰かに視点を置いたり、時間を使ったりする割合が多いのかもしれない。
「渡り鳥の群れと朝の色」を見て感じて、どこか懐かしい気持ちになった。このとき得た感覚も、やっぱり自分はとても好きだと感じた。これまで大切にしてきたように、これからも大切にしていこう。
これまでの視点、これからの視点、結局はどれも私だ。
こうしてたくさんの自分に出会い、発見することは、何歳になっても楽しい。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。