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誰かが書く文章の可能性

たとえ日本国民の大勢が知っているような有名な書き手が書いたものでなくても、ふとした時に誰かの目に止まり、その誰かの心の支えになる文章があるのではないかと思う。

「心の支え」とやや大袈裟に表現したけれど、単純に生活に彩りが生まれたり、気持ちが上がったりする文章も指しているつもりだ。

そしてそんな文章をたくさん読めれば読めるほど、なんとも言えない柔らかい充実感に包まれていく。特にお気に入りのカフェでじっくり時間を使えた時などは、幸福そのもの。

ここnoteにはそういった素敵な作品がたくさん転がっていて、宝探しみたいで面白い。

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「あれ……?いない、いない、いないぞ」

実は今年に入ってすぐ、ずっと大好きだったクリエイターさんのアカウントがnote上から消えていることを知った。

いつも自分が書く記事には反応を頂いていたし、そのクリエイターさんも頻繁にエッセイを投稿していたから、いなくなっていることに気が付くまでに時間はそうかからなかった。そういえば最近、なんだか彩りが減った気がするなあ……と違和感を覚えていたところだった。

本業が忙しくなられたのか、それともこのプラットフォームに魅力を感じられなくなったのか、その理由は分からない。私は2019年からnoteを使っているから、このようにしてお気に入りだったクリエイターさんが突然辞める、ということは何度か見てきた。

直接お会いしたことがあるわけでもないのに、好きだったクリエイターさんが辞めていくと何故かとても寂しくなって、少なくとも数日はシュンとしている。宣言してから辞める人もいたけれど、今回は雲隠れ的な感じだったのでショックを隠せなかった。

好きだったクリエイターさんが紡ぐ文章をもう二度と見ることが出来ない。この事実を改めて嚙みしめると、本当に悲しくなる。もっと一字一句目に焼き付けておけばよかったと、後悔に近い気持ちすら芽生えてきた。

けれども逆に言えば、「一人の人が書く文章には、また一人の人の生活を彩る力がある」ということ。著名な作家など全国的に知られている書き手でなくても、文章を通し誰かの人生に関わることができるということだ。

正直、一人の人が書く文章にこんなに大きな力があるとは思っていなかった。無くなってみて初めてその力の大きさに気が付かされた。

残された自分にできることは何だろうか、とつい考えてしまった。辞めてしまったクリエイターさんには遠く及ばないけれど、少なくとも「文章には他者の生活を豊かにする可能性がある」というメッセージをもらった気がする。

書くということは、その産物をどこかで見ている人がいる可能性があるということ。そしてその産物は、見ている人の心にまで影響を及ぼす力があるのである。そうであれば、どんな産物を生み出していきたいか?について、自然と答えが見つかるのではないだろうか。

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珈琲の香りに包まれた空間で、誰かの文章を読み漁るのはとても気持ちが良いものだ。発見があって、共感があって。そして何より、とても楽しく充実している。

自分はきっと、誰かの心のこもった文章とその背景にある胸中を読むのが好きなのである。一人一人の文章には、それぞれの香りがある。珈琲みたい。

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