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一粒の梅干しに出会うまで

梅干しが大好きだ。

珍しいものではないし、スーパーに行けば難なく手に入ってしまう食品だと思う。それでも好きなものほど、自分で作ってみたらどうなるか?と興味が湧くのは自然なこと。

お金を出せば一瞬で買えるものも、自らの手で作り出すとはどういうことか。どんなことが起きるのか。

今年も梅仕事が終盤を迎えている。

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6月も終わろうとする頃、まだ梅漬けを仕込んでいないことにやや焦りを覚えていた。まだ梅すら買ってないじゃない!と自分を叱りつつ、急いでメルカリで無農薬の梅を購入する。

7月に入り、黄色く熟した梅を並べ、梅漬けの作業に取り掛かる。ぽてぽてっとした形で、ふさふさっとした手触りの梅は、どの角度から見ても愛らしくずるい。

十日後、色付けのために赤紫蘇を追加した。

ここで夫と、庭に勝手に生えているあの植物は赤紫蘇か否か?という些細な議論があって、結論は赤紫蘇だけれども品質的によろしくない、ということで落ち着き、道の駅で買った赤紫蘇を使うことにした。

梅雨が明け8月に入り、ついに梅を干すタイミングがやってきた。

梅干しは三日間干すと良いとされている。難しいのは、連続して快晴の日が欲しい、ということだ。天気予報とにらめっこし、急遽おととい、昨日、今日、をその三日間に当てることに決めた。

ところがどっこい。初日から想定外のことが起きすぎた。

天気予報を信頼してその三日間を選んだというのに、初日の午前中は雨と快晴が行ったり来たりだった。雨雲レーダーを見ると、ちょうど我が家の頭上を通過するように長細い雨雲が何度も生まれては消えている。

その都度庭へ駆けて行って、数分の雨のたびに、部屋へ梅干しを避難させるのだった。湖畔の天気、恐るべし。

想定外な初日を終え、さあ明日は二日目だというとき、また事件は起きた。

わたしの頭の先からつま先まで、全身に蕁麻疹が出たのだ。

晩御飯を作っているとき、急に太ももが異常なかゆみに襲われて、その後あれよあれよと全身に発疹が広がっていった。初めてのことで、写真も複数撮ったけど、ここには晒せない……。

今までに感じたことのない強いかゆみで、自分の体を眺めると、まるで全身を蚊に刺されまくったかのように、どこもかしこもまだらに赤く膨らんでいる。頭皮やおでこまで腫れて、眉毛を持ち上げると重くて仕方ない。

患部を冷やしながら、かゆみに耐えながら、無理矢理眠る。

翌日、梅干し作業があるから蕁麻疹なんて言っていられない。朝から引き続き梅を干して、二日目の幕開けとなる。

昼頃には蕁麻疹はほぼ無くなっていて、かゆみもだいぶ引いた。まともな見た目になるのに、20時間もかかった。

そして三日目。そう、これを書いている今日だ。

これまでの苦労を推し量ったような、鮮やかで艶やかな梅干しと出会うことができた。あとは明日、瓶に詰めれば今年の梅仕事はおしまいとなる。

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買えば10粒で千円もかからないであろう、梅干し。

それを敢えて手作りすることにどんな意味があるだろう。今年は特に、苦労やイレギュラーが多く、自分の体を無理させる瞬間もあった。

それでもどうして梅干しを作りたくなるんだろう。

作りたいというより、もしかしたら作らなければいけない、という責任感みたいなものもある気がする。

市販の梅干しは添加物がいっぱいだ。自分で作れば無添加で安心。わたしが梅干しを作るかぎり、この世から「本当の梅干しづくり」という日本独特の文化や伝統は少なくとも無くならない。

そして同じような人たちがいる限り、この国に残っている美しくも楽ではない手仕事は、確実に引き継がれていくだろうと信じている。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。