Daiko Fujikawa / 藤川 大晃
記事一覧
【自作】『夜の氷はまだ融けず… 古い子守唄による14のメタファー』 について
2022年10月10日の演奏会について
2022(令和4)年10月10日、マリンバのために書いた自作品が初演されるのでそれについて少し書きます。
今回初演してくださる打楽器奏者の沓名大地さんのご委嘱で制作しました。
演奏会は沓名さんの故郷である愛知県蒲郡市で開催され、4名の地元出身者による凱旋コンサートとなるそうです。もともと2021年9月の開催予定でしたがコロナ禍、緊急事態宣言などの影響で本年
能の研究を通して、「作曲家」という職業は活字文化の上に成り立った特殊な(普遍的でない)職業だったとみなすようになった。昔からあるのは演奏で、「作曲」それ自体ではない。今の作曲家中心の音楽史観は、活字文化の時代に作りあげられたものだ。
『月に惑ふ』についての随想 02
一週間前に2回目のレコーディングを終え、昨日第9回の配信を終えた『月に惑ふ』。
この作品がオンラインで配信されてすぐに消える(アーカイブが残らない)ことについては前回お話しした。
オンラインで配信するのは生演奏の代用ではなく、そこでしか出来ない表現を目指しているからだ。オンライン配信とホールでの演奏の違いの一つに聴取環境がある。
ホールという環境ではすべての扉が閉じられ、外部の音を遮断した作
『月に惑ふ』についての随想 01
ただでさえ音楽が氾濫しているいま、オンラインコンサートの興隆によって演奏会でさえも、いつでもどこでも聴けるようになった。いろんな演奏会の宣伝をたくさん目にするし、嬉しい反面、聴かなきゃいけない演奏会が多すぎてとてもじゃないが追いついていけない。
こんなに音楽があるのは音楽家としては嬉しいけれど、そんなに追われて聴くものなのだろうか。
『月に惑ふ』は日記文学(更級日記)をベースに作っていることも
江戸前期の五十音発音表
能に関して書かれた古典籍を眺めていたら興味深いものを見つけたのでメモのつもりでここにあげておきます。
これは慶安五(1653)年に刊行された『謡の秘書(こちらから読めます)』で、「口中開合の事」と記されたこの項目(下の写真)では五十音の子音別・母音別にマトリックスの形で発音のことが書かれています。
変体仮名混じりで書かれているので現代人には見慣れないひらがなもありますが、現行の五十音表と同じも
能関係のYouTubeコンテンツまとめ
(5月7日更新)
新型コロナウイルスで各方面が影響を受けていますが、能楽関係でもオンラインでの無観客上演、個人の動画配信が試みはじめられています。
能における演奏録音研究をしている自分にとっては非常にありがたい状況です。いままで録音や映像記録を残すことに関心を持ってきたとは言えない分野でこのような兆候が出てきたことはむしろプラスと言えるのではないでしょうか。
この騒動が起こる前から存在するもの
最近興味あるのは、西洋だと楽譜の有る無しが即興演奏に結び付けられがちだけど、楽譜がなくて即興も無いという現象が存在しうることです(能の場合は一応あるっちゃあるけど完全な口承ものの場合はない)。
Impuls 2019 の記録
2月に行っていたImpuls音楽祭のレポ、ゆるめのエッセイみたいな感じです。
ゆるめ、ということで、たったの【15271字】しかありません。
4月10日まで限定で無料全文公開します。それ以降は有料にするつもりですが、無料公開の段階でも投げ銭可能なので、この記事が役に立ってすこしでも僕を支援してくださる方は、投げ銭していただけると泣いて喜びます。
(プログラムの曲名など、中途半端に翻訳を入れると
作り手はどこにいるのか ―偉人偶像説と個人の所在―
(note記事とさっきょく塾エッセイ2月課題を兼ねています)
2月の課題
「ひとりで作曲しますか?それとも誰かと共同で作りますか?」
例えば古典作品において、『ベートーヴェン』の「第九」とか、『ドヴォルザーク』の「新世界」とか、『ムンク』の「叫び」といったように、芸術作品は作家が1人存在してその人の表現が結実した結果一つの作品が生まれた、という捉え方をされるのが一般的である。逆に言えば芸術
「記憶の断片」の扱い方、美術作品でも演劇作品でも凄まじいものを観た。音楽でもやる。