「相談を受けない」心理士ができること

心理士Vtuberとして活動しております、狐田さきつねと申します。狐田と書いて「こんた」ですよ。キツネが好きです。

「心理」の専門家として数年働いてきまして、現役「心理士」として、この仕事のことを少しでも広めていきたいという思いから、これまで感じたことを言語化してみようと考えた次第です。

今回は僕が「相談を受け付けていない」ということについてです。

これ厳密には「話を聞きません」ということではありません。あくまで「仕事として話を聴くことに私は責任を持てません」ということでして、全部書くと伝わりづらいと思って、ざっくりな言い方になってしまった、という感じです。

みなさんにとって、心理士は「話を聴くことが仕事」というイメージがあるかもしれません。別に間違ってはいません。それも大事な仕事のひとつです。

でも、話を聴く『だけではない』ということを声を大にして伝えたい。

話を聴くだけの仕事ではない!

言ってみました、声を大にして。


ただ、単に「話を聴くだけ」では仕事になりません。「癒し」「優しさ」「心地良さ」は、専門的な技法の結果の副次的な効果であって、我々の目的ではありません。

前回の記事にも書いたように、心理士は「その人が自分らしく生きることを支える」ためのひとつの視点のために、それを職業にしているわけです。

おそらく、みなさんの目に映る心理士の姿は「話をしているだけ」の僕らだとは思います。だってそれしか見せませんもの。

実際には専門的な知識をもとに、その対象となる相手をアセスメントしながら、時には検査も使って、そしてさまざまな技法を持って対象の方の「生きる」を支えること、それがいわゆるカウンセリングです。その対象の方自身の過去、今、未来にフォーカスをあてたものとなります。

ちなみに「相談」とは分けて考えています。相談はもっと広く、焦点は対象の方自身とは限りませんし、情報提供や助言、指導などが含まれます。

カウンセリングにしても相談にしても、いろんな人に支えてもらいながら、その行為をおこなっています。目の前の方のすべての情報を多面的に捉え、さまざまな可能性を考慮しながら、場合によってはさまざまな人と協力します。

そして、心理士としてのカウンセリングや相談は「専門的な仕事」なので、そこに責任が伴います。内容によっては医療が必要なこともありますし、犯罪が絡むといった司法が必要なこともあります。

そういった場合、多職種連携がとてつもなく強い力になります。もういつだって連携して、社会で支えていく準備をしておくわけです。

ひとりの力などささいなものです。僕の力で誰かを「助ける」「救う」「幸せになってもらう」なんておこがましくて口にできません。むしろその発想が怖いまであります。

最初の話に戻りますが、僕がなぜ心理士Vtuberとして、インターネット上で「相談は受け付けない」としているか…

相手の方に責任を果たす方法がないのです。「話を聴くだけ」の仕事でも、それは相応のリスクを負っています。あくまで僕は「普段は心理士として働いているヤツのプライベートな時間」としてVtuberをやっているわけで、心理士として誰かを支えたいから心理士Vtuberを名乗っているわけではないということです。

ややこしいんで、もう「心理を学んできて資格もある心理系Vtuber」とした方がいいのか…?

でも「心理ってことはカウンセリング…?」みたいになるような気もするのでやめておこうか…

と、僕のあり方の話はここまでにしておいて、僕がVtuber活動を始めたのは、あくまで「知識を広めること」が目的です。

ちょっとした誤解や偏見、特に精神障害・精神疾患がどのようなものなのか、正しい知識を伝えたいというものです。加えて、心理学の知識を持って「生きるヒント」を考えて共有したいというものです。

こういった啓発活動には、発信の責任はありますが、ひとりの人間の人生を預かる、ということとは異なります。

最近はこのコロナ禍において、「オンラインカウンセリング」なるものもあります。もちろん専門的な知識を持って活躍されている方もいらっしゃると思います。そして、そういった場合、しっかりとしたやり方で、支援者と要支援者双方を守る形が作られていることもあるのだと思います。

でも、そうでなく、「善意で」「優しさで」「気まぐれに」「なんとなく」、心理士として話を聴いた場合、自分も相手も守る方法がないのです。もはや個人として責任を負わなくてはならなくなりますし、それはもはや「心理士」としての行動と言えるのでしょうか。

もし画面の向こうで生命にかかわることが起きていたら?もし犯罪にかかわることを知ってしまったら?もしこちらの言葉によって相手が誰かを傷つけてしまったら?

相手が誰かも身元はわからず、こちらの身元も伝えられず、そんなことが起こった時、それは対人援助職としていかがなものか、と。

僕はあくまで僕として、運良く誰かの「癒し」になれたら嬉しいし、運良く誰かの「支え」になったら嬉しいし、運良く誰かの「助け」になったら嬉しいです。でも、それはあくまで、ちゃらんぽらんで抜けている僕として、です。心理士として、カウンセリングをして、相談を聴いて、そうしたいと考えることはできません。

心理士ができることは「話を聴くことだけ」ではありません。その知識を広めることはできます。

逆に「話を聴くこと」のリスクをわきまえている必要があるわけです。相手が表現することの危険性、表現してしまったリスクがあるのです。話をしていくなかで気付いてしまうという直面化するリスクもあるわけです。

「話を聴く」ことを仕事にするならば、話を聴くこと自体の「危険性」も知っておかなくてはなりません。

あくまで仕事として考えると、そこに「善意」は前提としてあるのかもしれません。ただ、普段当たり前にしている「お話し」を仕事にしているからこそ、「聴かない」というのは自分も相手も守る術となるわけです。

そんなわけで、僕は「心理士としてカウンセリングを受け付けることはいたしません」し、「相談も聴くことは選びます」。それでも僕にできることはなにか…

そういった流れがあってのVtuber活動です。たくさんの方に支えられながら、僕はプライベートを楽しんで、アホなこと言いながらも、まじめな情報発信もできるわけです。

これからも僕は、心理士として、みなさんに適切な情報を発信していきます。そして、時には僕としてみなさんとかかわりながら、わちゃわちゃ楽しんでいきたいなーと思っています。

こんな僕をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

そんな僕のYouTubeチャンネルはこちら!!

https://youtube.com/channel/UCwvvdMAL_IQVkeJcmNACwGw





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