自分の機嫌を自分でとるコツ?
自分の感情をコントロールしようとしたこと、ありますか?
現代社会ではよく目にしますが、目に見えないことをコントロールしようとするのって難しいですよね。
多くの場合「怒り」や「悲しみ」「寂しさ」などの一見ネガティブに捉えられる感情に対して、
「コントロール=外に出ないように」みたいに考えられていないかなって思うんですが、みなさんはどのように考えますか?
それって本質的に自分で自分の機嫌をとれていると言えるのでしょうか。
よく僕が仕事で出会って、なにやっても上手くいかなーい!って方は割と「感情を外に出さないように」捉えがちだなって。
あとツイッターでもちょろちょろ見受けられます。自分の意識とか感情とかに目を向けるのはいいとして、でも感情を抑えすぎようとしている人も散見されます。
上手に、穏やかに生活している人はどんな風に生活しているのか、考えてみたいと思います。
そもそも感情をコントロールするってどういうこと?
ちょっと言葉遊び的ですけど「感情」はコントロールしなくてもよいと僕は考えています。
雑ですが、受け取った刺激に対して脳が処理して出てくる「生の声」は変えようはありませんし、どうにもなりません。
むしろその「生の声」を無かったことにしたり変えたりすることは、もはや記憶の改竄ともいえるのではないかと。
そういった意味では「感情」って自然であっていいと思っていて、それがその方の生きてきた形だと思うのです。
「感情」は自分を守るために必要な、本能的な反応であるため、苦しい感情こそなくてはならないものです。
ネガティブな感情こそ自分に危険を知らせるサインです!
もしかしたら「感情をコントロールできる」という前提そのものが、コントロールの難しさを助長しているかもしれません。
「感情だけ」をどうにかすることは、自分の機嫌をとることにはつながりにくいかと思います。
じゃあ、少なくとも「心穏やかに」を目指すためになにをすればよいでしょうか。
まずカラダの状態から
どんな人でも疲れていれば「感情」が理性を上回ります。
睡眠をとれていない、休息をとれない、食事に満足できていないといった要素は、理性的であるためには大きなダメージです。
身体的な動きでリラックス(深呼吸など)することができれば、理性的に考える余裕を作りやすくなります。
「感情」が理性を大きく上回りすぎて、カラダを休めることを拒否するようになっている場合、それは医療機関に頼る方がよいでしょう。
セルフコントロールが可能かどうかの見極めは難しいところですが、本来必要なものを拒否し始める自分、というのはひとつ大きなポイントかもしれません。
「頼れない」という思考こそ、精神的な不健康さの大敵です。上手に「頼る」方法は、今後また別の機会に…
カラダがある程度整えば、考え方も自然に落ち着いてくるかもしれません。思考とカラダは互いに影響しているため、考え方がカラダに影響を及ぼしている可能性もあります。その考え方の工夫も必要かもしれませんね。
「怒り」と「期待」 感情を認め整理する
結局のところ感情というのは、外から入ってきたいろんな情報を処理して発生する心の動きなわけですね。
予測できないことが起き、自分の動きも予測していない場合、その反応は感情が先立つのは仕方ないのかもしれません。
見通しの立たないことは不安や恐怖が喚起されやすくなります。
ならばいつも「どんなことが起きているのか」という経験を、知識として見通しを立てやすくするとよいかもしれません。
「怒りやすい」方は多くの場合、想定していないことが起き、他人に出来事そのものを変えてほしくて、その感情が暴れるように出てくるわけですね。
不安や恐怖を隠すように、自分に危害が及ばないようにするために「怒る」のです。
(「叱る」とはそもそも動機が異なります)
さて、いつもどんな時に怒りを感じていますか?その怒りはどのようにしてほしいと叫んでいますか?
僕も比較的怒りを感じやすいタイプではありますが、僕は普段から他人を「期待しないように」しています。
基本的に、他人が「自分にとって都合のよい行いをしてくれる」という期待を、できる限り意識的に排除しています。
(多くの人が「親」などの家族に怒りを感じやすいのはコレじゃないかな、と)
これ、ある程度自分のなかに「それでもなんとかなる」という自己効力感も必要なことかと思うので、気分が滅入りそうなら一旦違う方向で考えましょうね。
そんな感じでどんな見通しを持てば自分が他人を期待しなくなるか、という構えを作っておくとよいかもしれません。
他人が自分の機嫌をとってくれる時には、確実に相手に目的があります。それに乗っている以上は、相手の動きに自分が支配されているのと同義です。感情をコントロールする以前に、他者にコントロールされてしまいます。
ただ期待することはよくないことばかりではありません。「良い結果を生み出してくれる期待」を持ちすぎるのは苦しいですが、「悪い結果を生み出さない」期待は少しくらい持っていてもいいかもしれません。
そういったなかに信頼関係を築いていくことで、期待のバランスを学べたらいいですよね。
あくまで見通しを立てるために、というための一例で「怒り」と「期待」をあげましたが、他にもポイントはあるかもしれませんので、良さそうなものがあれば教えてほしいです。
ある種「悲しさ」や「寂しさ」が暴発する時も似たところあるように思いますが…
このように見通しを立てるために「自分を知る」「自分の感情に気付く」ことが必要になり、その上でどのような「期待」しているのかという整理をつけることが、大切になります。
自らの感情に振り回されないための予防ですね。その予防が、いわゆる自分の機嫌の波をコントロールすることにつながります。
意味付けと自信の関係
先ほどは情報の入口のことでしたが、次は中の話ですね。
よく言われるのが「意味付けを変えること」
多くの出来事の良い悪いの判断は、そこにいる人間の主観でしかありません。あくまで発生した感情はそれはそれとして、出来事をどのように捉えるか、ということです。
ある程度、入口の部分で構えを作っておけば、中で考えがぐちゃぐちゃになることは減るかと思いますが、
思ったより気付かされることが多い出来事などは、こういったことが起きやすいように思います。自分を揺らがしてくるようなことって時折ありますよね。
そういった時にはやはり「自信」という感覚は大きな支えになります。
そんなわけでこちらの動画も参考に…!https://youtu.be/dcYJpPx_iQM
結果として「自分はなんだかんだどうにかできる」という感覚は、感情に振り回されないためにも大きな力になります。そうなれば、出来事の不利益さしか目に入らないことなんてないはず。
恐怖や不安に立ち向かうためにも、経験を振り返っておくことは大切ですね。
感情を表現するよりよいあり方
入ってきたエネルギーはなんらかの形で外に出ていかねばなりません。出口の話ですね。
ただ、入口でしっかり構えて、中で整理されてしまえば、もう後は自然によい結果が生まれているはずです。
少なくとも悪い結果にならない表現ができているなら、それは一般的な言葉として「感情をコントロールできている」ということになるでしょう。
そして、この結果がまた経験になるわけで、構えのひとつの力になります。
逆を言えば、構えもなく、整理もされていない場合の出口は、
思ってもないポジティブなセリフを吐いたり、ネガティブな言葉を笑って吐いたり、身体に変調があらわれたり、どうせなにをしてもダメだと思いながらこなしたり…
ってことが起きてきます。
そりゃそうですね、でもそれが自然な形なんです。構えも作れず、整理もされなきゃ、そうなっちゃうんです。
表現された自分は、今のあり方によって形作られているわけですから、出口のあり方だけ意識的に変えたって、それは無理して繕うあり方にしかなりません。
「自分に嘘をつく」ことこそ、嘘に嘘を重ね、取り返しのつかないことになることは目に見えています。
自分の機嫌をとることは自分を守ること
タイトルにあるように自分の機嫌をよりよく保つというのは、ここまでの形を作ることで自分をどう守れるかなんです。自分を守るために、構えを作り、学び、作っていくんです。
自分の守り方を考えることは、他人をより健康的に守ることにもつながります。
もちろん自分を守ってくれる人に頼るのもいいですね、その人がちゃんと自分自身を守っているなら、ではありますが。
そして、そんな自分を守る方法を教えてくれる人、それをお仕事にしている人もいます。
それが心理士などの専門家です。いろんな立場からいろんな力や目を借りて、少しでも楽に、自分と付き合っていけたらいいなぁ、と思います。
というところで今回もありがとうございました!
今後とも私、心理士Vtuber 狐田さきつねをよろしくお願いいたします
こんなこと知りたい!などのリクエストもお待ちしております。
心理の話をいろいろしている僕のYouTubeチャンネルはこちら!!
https://youtube.com/channel/UCwvvdMAL_IQVkeJcmNACwGw
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?