嘘と心理士

「心理士って、嘘ついたらバレんじゃーんw」

的な会話はおそらく1億と2000回くらいしたのではなかろうか。それくらいには何度も聞く話題です。

私は毎回「どうかなーw」と濁すのが常ですね。正直反応に困っちゃいます。

実際のところ私は心理戦のような「嘘を見抜く」みたいなのは得意ではないです、多分。

というのも、「嘘を見抜く」という技術がなくとも、このお仕事にはほぼ影響がないからでしょうか。それほど「見抜く」ということに興味がないからでしょうか。

さて、そんな「嘘」と私の心理士という職業について、つらつらと書いてみようと思います。なぜかというと、ライアーゲームが懐かしくなったからです。

まず「嘘」をどう捉えるか

そもそも「嘘」とは、『事実ではないこと』『本当ではないことを相手が信じるように言うこと』と説明されます。

実際のところ、そんなみなさん真っ当に「事実だけ」を伝えて生きていけるのか、と。隠していること、言っていないことなんて山のようにありますよね。

それだけ「嘘」は身近なものなわけです。まぁ、隠しごとと嘘は違う感じもしますが。

この「嘘」というのはどういう時に使われるか。
おおまかには緊張状態で咄嗟に発したその場しのぎ、あるいは騙す前提で作り込まれたものに分けられると思います。

どちらにせよ事実とは異なることを伝えるコミュニケーションなわけですね。

…となると、「見抜く」ためには事実を突き止める必要があります。

だからいろんな証拠を見つけて、擦り合わせて、推論を重ねて「事実であろうこと」を模索していく過程が必要になります。

そりゃそうだろ、って感じですよね。

それを技のように…
ジョジョ5部のマフィアの幹部ブチャラティが「これは嘘の味だぜ」と相手の汗を舐めて見抜くように、
なにかピキーンと閃くように相手の嘘を見抜くように、
「嘘を見抜く」技はあるのか、と。

個人的には「条件次第」になるかと思います。

まず「万人に対応する方法はおそらくない」と思います。その上で、ある特定条件において、ある個人のさまざまな情報を整理していけば、まぁ「わからんことはない」レベルにはいけるんじゃないかと思います。

もちろん某『見た目は子ども頭脳は大人』な人のような「推理」として、その文脈やこの場に至るまでの情報を整理していくようにしていけば、できなくはないですよね。

その情報を、目の前の人間だけにしぼって、その人特有の癖やパターンを知ることで「嘘を見抜く」ということは可能になるんじゃないでしょうか。
その人のさまざまなクセやコミユニケーションのパターン、外部情報から嘘とわかっている事柄をどう説明するか、などそのために準備できることはたくさんあります。

「嘘発見器」などもありますが、あれで確実にわかるならもっと実用化されてますねきっと。

そんなもんです、「嘘を見抜く」なんて。

心理士としての「嘘」

タイトルには「嘘と心理学」ではなく、あくまで「心理士」と書きました。この「嘘」という現象を現場の心理士としてどう捉えているか、ということに重きを置いています。

単刀直入に言うと「ひとつの情報」にしか過ぎません。

より深く言うと「嘘をつかなくてはいけない関係である」「相手にとって自身が嘘をつく必要のある相手」と捉えます。

要は「知られたくない」んです、相手に。知られたくないことはあります、しょうがない。
「嘘」をつくのは、その人なりの理由があります。

嘘をつかれて怒っている人、まぁわからんでもない。期待だったり、信頼だったり、いろいろあるとは思います。
が、少なくとも相手にとって、自分はそういう関係ではない。これに尽きます。

もう対人関係の持ち方のパターンなのです。
もちろん「嘘がよくないこと」なんてド正論は、よく嘘をつく人もわかっています。

ド正論を言われてハッとなるためには、明確に信頼関係が必要です。あっても嫌いになりそうになることですが。

なにも特別なことはありません。
あなたや周りに知られたくない、それだけです。

そうしないといけないのですから。

と、諦めている感じに見えますが、そうではありません。ただ「その段階の関係性」ということがわかった、ということになります。

信頼関係の段階

なにか僕に明確に示せる理論が頭に浮かんできたらよかったんですが、ちょっと出てこなかったので自分なりに書いてみます。

まず「嘘をつかなくてはいけない関係」というのがあると思います。
これは「嘘をつく必要性」が、さまざまな経験によって培われることによって、ある関係において、そうでもしないとやってられない状況と言えます。
その関係性の相手に「嘘をつくな」と伝えるほど酷なことはありません。本当ならそんなことしたくないかもしれません。

これに対して僕は、「嘘をついてもいい関係」を作ります。真に受けます。情報は集めようと思えばどうとでもなりますし、本人が嘘をつきたいならしょうがない。合わせます。

これによって、目指す先は「自分を信用してくれるという関係」です。

これ、「心理士」というところがポイントで、あくまで仕事だから、どれだけ嘘をつかれても苦しくないんです。

「嘘」に対してモヤモヤするのは、おそらく「期待」があるから。
「期待」という自分自身にわいてくる感情と向き合い、なぜ期待してしまうのか、こういった関係性はこれまでもあったのか、というような仮説を立て想像していくのが我々の仕事なので、ある意味自分と相手の関係に気づくための手がかりになりますね。

「嘘をつかれる」ことそのものに重きを置きすぎては、見えるものも見えなくなります。
「嘘を見抜く」ことに重きを置くことは、お互いを疑い続ける関係になる、ともいえます。

それは支援でもなんでもありません。

結果的に、我々心理士が目指すことは「心の健康」であり、「自分らしく生きること」です。

そのために「嘘をつかないといけない関係」が通らざる道なら、進んで足を踏み出します。その先に「嘘をつかなくてもいい関係」が待っていると思うから。

そもそも騙そうという意識があっても、なにも変わりません。こちらを陥れるための嘘には、こちらのなんらかの行動も必要になるため、そこに付き合わないことも大事ですが。

なんせ、心理士という仕事だからこそ線引きがしやすい。騙されて僕が損をするような関係性は生じづらいのです。

もちろん言うまでもなく「信じ過ぎる」こともよくありません。視野を広く持つために、自分の感覚を振り返る機会を何度も持たねばなりません。

そういったように、心理士として仕事をしている僕にとって「嘘」はそんなもんです。
「嘘をつかなくてもよい関係」を目指し、あくまで「本人がこちらに伝えた言葉のひとつ」として捉えております。

それでも嘘を「暴く」

こういった仕事ももちろんあります。それはもはやそういう関係なので、嘘がいたるところに散りばめられていることが前提ですよね。

そういったところでの心理士は、なにを考えるのか。

おそらく「あることを嘘としなくてはいけない理由」「その嘘(行動)は、なぜ必要だったのか」を探し続けるのだと思います。
状況や流れを整理し、精神状態を想像して、導線を引き、対象を理解しようとする…

簡単に書きましたが、こういった仕事は「嘘ついてしまってもしょうがないよな…」みたいな感覚に襲われがちです。まぁそれは医療だろうと福祉だろうと、よく考えさせられますが…

「嘘を暴く」ということは、相手の出した「こうして見てほしい」を壊すことです。それって結構、覚悟のいることですよね。

まぁ流れとして、「ついてしまった嘘」に直面していくこともありますよ。結構重たい作業でして、その方の生き方と向き合うことになりますが、急いでもいけませんし、放っておきすぎるのもよくありません。

「嘘」は取り返しがつきづらいことです。もし、「嘘をついてしまった」ことに嘆いている方がいたら、それは「わかってほしい」というサインかもしれません。

「嘘」との付き合い方

「嘘」に対して心理士は「ひとつの情報」と捉えている場合が多いですが、プライベートな関係ではどうしたらよいでしょう。

あくまで自分として「嘘をつかれる」ことは気持ちの良いことではないですね。「嘘をついている」とわかればその関係は脆弱なものになりやすいです。

「嘘」をついてしまう人との付き合い方としては、僕がすすめたいことは、

「距離を置くこと」あるいは「そうしなくてもよい関係をもつこと」、

ひとつ先の関係に進みたいなら「理解に努めること」です。

なにより「距離を置く」のが楽だと思います。相手も嘘つかなくてもよくなるかもしれませんし、なんとかして「あげる」必要なんてありません。

少なくとも「嘘ついてもいいよー」って言ってるやつもいるんだから、そういう人に任せたらいいんです。嘘をつかなくてもいい関係を知り、学び、体験できれば、「嘘」が必要なくなるかもしれません。

「嘘」に付き合う覚悟を、みなさんが頑張って負う必要はありません。

それでも、その方との関係を続けていきたいなら「その方自身を理解するよう努める」、そして分かち合えそうなら「嘘をつかなくてもいい関係」がどのようなものなのか、話し合える段階までいけるといいですね。

それだけ「嘘」というのは、その方を支えるひとつの「苦しまぎれの力」「生きる術」になりやすいのです。それを否定することは、やはり苦しいことです。

まとめ

以上、心理士としての「嘘」を考えてみました。

ちなみに、ある意味「嘘」を「嘘と分かっていている」ことを前提として楽しむ、というのは、よく考えると昔っから存在しているわけです。明確に「遊び」としての目的を前提にしているものですね。

そして現代ではネットの広がりから「遊びとしての嘘」をつきながら生活するのも割とよくあることになっています。

それが、まぁそれだけではない様子も至る所で見られます。それは心の健康を推進する者として見て見ぬふりはできないな、と。

別に「嘘」というのは「悪」ではありません。そこにどのような意図や目的をもっているか、なのです。

もちろん「他人を貶めるための嘘」は、誰かの迷惑になりますし、できれば問答無用でやめてほしいことであります(まぁそれも、そうなってしまう理由があるわけですが)。

ただ「自分を守るための嘘」。これは厄介です。必要なことかもしれない、けど後に自分の存在を揺らがせる可能性があります。「自分に対して嘘をつかなくてはならなくなるかもしれない」という危険をはらみます。

そういった時には、「嘘をつかなくてもいい自分」はどんな自分なのか。

1度振り返ってみる、立ち止まってみることも大事かもしれませんね。

というところで今回もありがとうございました!

今後とも私、心理士Vtuber 狐田さきつねをよろしくお願いいたします

こんなこと知りたい!などのリクエストもお待ちしております。

心理の話をいろいろしている僕のYouTubeチャンネルはこちら!!

https://youtube.com/channel/UCwvvdMAL_IQVkeJcmNACwGw

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