私のルールと人のルール。

年末年始で家族や親戚が集まった。

今年で25歳の私は父親に「バスケットボールの趣味はいつ辞めるんだ、早く結婚をして幸せになれ」と言われた。

私の父親はずっと仕事をしている人だった。

父親は家には終電ギリギリまで働いて帰ってきて朝は早くから仕事に向かう。地元から遠く離れたところに住んでいるので今住んでいる地域に昔からの友人はいない。

彼の人生はずっと仕事をしている記憶しかない。

ひどく疲れた顔をして帰ってくる父親を見て育った私は、働く事はひどく悲惨なものなのだと思っていた。

父のように全てを捨てて働くことが働くという事なのだと思っていた。


実際に卒業してすぐに働いた職場は父親が働いていたように過酷な仕事で自分の人生を無駄にしながら働いていた。

楽しみにしていた20歳の誕生日の日は誰にも祝われる事もなく職場で一人働いていた。

悲しくなってやり切れない思いの中で疑問が沸いた。

「働く事は人生の中心にあるべきなのか」

私は自分の人生を親と同じように人生を進めなければならないと勘違いしているのではないだろうか。

そう思った時自分にとって大切な物はなにか今一度見つめなおした。

自分にとって大事なものそれは、大切な人との時間だった。

忙しく働いていて友人との関係もなくなっていたが、死ぬと思うほど働いた時に思い浮かべるのは友人との思い出で、大切な人との時間だった。

売上を上げた事や役職のある人に期待をもらいながら働く事はやりがいを感じたが一過性のもので、大切な人との時間の長く感じる幸福感に比べれば自分にとって物凄く小さな事だという事に気づいたのだ。

その時私の中で本当に大事なことに気づいた瞬間だった。


思い立った時には退職をしていた。

今の私は人のルールではなく自分オリジナルのルールで生きている。


大切な人との時間を大切にする自分の正しいと思ったルールで生きている。

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