#3 妻との出会い・結婚へ 婚活コーチの婚活記録
2022年頃、マッチングアプリで出会った方とお別れし、半年間ほど仕事に励んでいた。
そんな中で衝撃的な事実を知ることになってしまう。
ある日、父に呼ばれ実家に帰った時に、父から癌を患った可能性があることを告げられる。
肺の方に陰が見つかり、それを精密検査しなくてならないとのこと。
父は少し前に65歳で満期定年を迎えたばかりで、これからの老後を過ごさなくてはいけないというタイミングだった。
父は人生でこれまで大きな病気も入院もしたことがなく、健康であったはずだった。
私にとって父は一番尊敬できる人物だった。
離婚後子供3人のために必死で働き、自分たち兄弟のやりたいことをやらせてくれた。決して息子のやりたいことを否定せず後押しをしてくれたそんな父を尊敬していた。
その後も父に付き添って病院へ検査および手術に立ち会ってきたりした。
検査の結果は癌であることがわかった。
自分もショックであったけど、その結果を宣告された時の父を自分は見ることはできなかった。
父はやっぱりそうかっていう感じで、その後は入退院を繰り返す日々になり、自分と弟で実家へ帰り、面倒を見る時間も増えた。
だからこそより父との時間が限られる可能性がある中で、自分は何をできるのかというのを考えて、目の前の仕事そして新しい恋人探しに進むことに決めた。
2022/9頃だったと思うが、改めてデーティングアプリ「DINE」を再開。
その中で5~10人くらいの方とお会いして、短い期間ではあったが良縁であったように思える。
お会いした方はお綺麗な方も多く、以前よりもデートの際の振る舞いには余裕が出たように思う。
そしてその中で、彼女と出逢うことになった。
彼女に感じた印象というのは、
自分を受け入れてくれて承認をしてくれるなーというのが何より一番だった。
自分自身の独立してコーチングをしたいという思いに関してはすごくいいね!って言ってくれたし、初対面でここまで自分の本音を話せることってなかなかなくて、まずはこの人と仲良くなりたいというのが大きかった。
そして、サッカーがお互いに好きということもあって、サッカーの話で盛り上がることができたり、1回目のデートはとても楽しかった。
その後もちょうどカタールワールドカップの期間ということもあって、
一緒に日本代表の試合を観に行ったり、電話で話しながら深夜・早朝に一緒に試合を観たりしていた。
お互いの都合で会えない期間もあったけど、電話で話したりもして、コミュニケーションが途切れることはなかった。
自分も素の自分でいられるのが何よりも心地よくて、この人となら長く付き合えるかもしれないと思った。
2022/12だったが、3回目のデートで告白しお付き合いすることに。
もうここで失敗したらどうしようとか思いながら緊張もしたけど、受け入れてもらえてよかった。
そしてその年末になるが、私にとって母替わりともいえる存在だった祖母がなくなった。
祖母は数年前から体の状態が悪くなってしまい、しかもコロナ禍ということもあり、面会もできず数年は会えない状態が続いていた。病院内でZoomで少し話すみたいなことはするけど、もうほとんど話すこともできない状態になっていたので、祖母がなくなるのは正直時間の問題だった。
祖母には鬱陶しいと思うことはたくさんあったけど、祖母のおかげで大きく道から外れることもなく生きることができた。
だから感謝しかなかった。
そして年も明けて、2023年がスタート。
年明けは父とも一緒に祖母の葬儀や納骨などしていた。
引き続き父は検査の入退院を繰り返しながら、弟とともに父を看病するような日が続く。
自分も少しでも父を勇気づけてあげたい、安心させたいという思いで、
彼女を紹介した。
今でも思い出すが、付き合って2か月後くらいに実家の近所の喫茶店だった。
自分にとって彼女を紹介できたこともなかったので、恥ずかしさもありながらも紹介できてよかったなというのが正直なところである。
6月には父が入院する病院へ連れて行って面会をしたりもした。
父は抗がん剤による副作用で髪も抜け落ちてしまい、話すことはできるけど日常生活はだいぶしにくくなっていた。
時は2023年の7月になり、
病院からも今週くらいが山場なのではないかと言われていて、
病院に見舞いに行くか元気そうには見えた。
まだ普通に話せるし、起き上がることもできる。
だからせめて最後にという思いで、彼女にも面会に来てもらった。
ただ病院はコロナ禍の影響もあり、日中、15分の間しか面会ができないという決まりであったものの、病院にも頼み込んで面会の制限を取っ払ってもらった。
それで彼女も、仕事終わりの夜に駆けつけてもらうことができた。
その翌日から父の容体は悪化した。
病院に行くと、呼吸も整わなくなり、話すこともままならなくなってきたようで、病室も変わった。
先生からも今夜が山場なのではないかということを言われて、病院で見守りたいと伝えるが、それはできないと言われ、病院からの連絡を待つしかなくなってしまった。
自分も自宅に戻って悶々とした状態で、家にいたのだが、
深夜になって病院から連絡があり、病院に駆けつけたころには父はすでに息を引き取っていた。
正直、茫然として泣き崩れることしかできなかった。
そして、自分には親孝行として何ができたのかという自責の念が残っていた。
病室で亡くなった父に「親孝行ができなくて申し訳ない」ということを伝えると、一緒にいた父の親友の方が「そんなことないよ」って励ましてくれた。
そう言われて今の自分が父にできる親孝行・恩返しってなんだろうってふと考えた時に、今の彼女と結婚をして、父を安心させられるよう幸せに暮らすという決断だった。
翌日から葬儀の準備も始まる中、彼女に実家近くの喫茶店に来てもらい、
自分の思いを伝えたところ承諾をしてもらえた。
正直まだ彼女を養える自信はなかった。いつかは結婚したいと思っていた。
自分が去年結婚するというのは全くもって想像ができなかった話だが、そしてこの決断を受け入れてくれた彼女には感謝しかない。
自分自身まだまだ未熟ではあるけど、覚悟を持ってやると決めた。
その決断を後押ししてくれたのは他ならぬ父のおかげだ。
最後に父が背中を押してくれたのだと思う。
葬儀や家の片付けなど段取りを一通り終えると、
彼女との新居探しがスタートし、葬式の1か月後には引っ越し、
そして彼女の誕生日である10/10に入籍し、めでたく夫婦となった。
デーティングアプリ「DINE」で出逢った彼女が今の妻となった。
正直、自分がアプリで彼女を見つけて結婚までするなんてまったくもって想像もしていなかった。
だから出逢いなんてどこにあるか分からないし、きっかけ1つで人間というのは変われるし、決断だってすることができる。
自分がもともと異性とのコミュニケーションが苦手なコミュ障で、恋愛経験もほとんどなく、30歳を超えてしまった。
それ自体を自分も汚点と感じてしまっていて、ネガティブに捉えていた。
でも自分自身が変わることができれば、それに相応しい出逢いがあるということを身をもって自分は痛感している。
だからこそ、婚活コーチとして出逢いやコミュニケーション、異性との関わりについて悩む方をサポートしたいし、自分にこそできると思えた。
是非、自分を変えたい、本気で婚活したい、理想の彼女を見つけたいという方は自分についてきてほしい。
どうかあなたのその一歩の勇気、決断のきっかけになれれば幸いです。
今日は長くなってしまいましたが、以上になります。
今日で自分の結婚までの経緯については終わりになります。
今後はnoteで情報発信する記事となります。
この記事が婚活コーチである自分を知るきっかけになれば幸いです。
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よろしくお願いいたします。
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