55.願いには3つの種類ある
ここ数日、「願いを叶える」ということについて書いています。
今回は、願いには3種類あるということを書いていきます。
では、3種類ある願いとは何なのか?
それは‥‥、
➀ 魂としての願い
② 自我としての願い
③ 集合意識としての願い
と、考えることができます。
そこで、これら3つの願いについて解説していきたいと思います。
【魂としての願い】
まず最初に魂としての願いについて。
我々は、この物理次元に魂の成長を目的としてこの地球にやってきたといわれています。
魂にとって、この地球上の経験はかなりのハードワークだといわれていて、その分、ここでの経験が魂をかなり成長させるそうです。
しかも、地球上での経験を1度経験するくらいでは、魂が望む成長ができないため輪廻転生を繰り返えし、様々な経験を積むことになっているといわれています。
また、この宇宙には地球上で様々な経験をし、魂を成長させたいと望んでいる存在が多いらしく、地球で生命を得ることは、そういった魂にとっては喜びであるといわれています。
こういったことから、魂の視点での願いとは何かというと、「魂の成長」ということになります。
【自我としての願い】
成長を望んでこの地球にやってきた魂は、魂としての記憶を一度忘れさせて肉体に魂を宿します。
肉体に魂を宿すときに、なぜ記憶を忘れさせるかというと、魂の記憶があると、魂として望む成長ができないからです。
我々の魂はそもそも「できない」という思いがありません。
このため「できる」という思いを持って何かに挑んでしまうと、どんなことでもできてしまいます。
しかし「できるかどうかわからない」という状況で、試行錯誤し気付きを得ながら調整を加えて、少しづつできるようになっていくことは、魂の成長に繋がっていきます。
そういったこともあり、我々は魂の記憶を一旦、失くした状態にして、この地球にきて肉体に魂を宿します。
ただし、魂の成長が目的であるということは、深層意識の深いところに刻み込まれているため、我々が何かしらのものごとで成長を感じられると「喜び」の感情を持つようになります。
また、魂は肉体に生を宿すと、必ず自我が生まれるようになります。
自我は肉体と深くリンクしていることから、自我は「この肉体をいかに保存するか」ということを第一の願いにしてしまいます。
このため、我々が肉体を持ってしまうと、魂の目的である「成長する」ということを忘れてしまい、自分の肉体をいかに好条件で保存するかということが、大きな願いとなっていきます。
もちろん、肉体を好条件で保存するということを目的として生きることは、悪いことではありません。
しかし、そもそもこの地球にやってきた目的が「成長」なので、肉体を好条件で保存できるという状態だけでは満足できないものです。
このため、我々は安定した生活を手に入れてしまうと、物足りなさを感じるようになるものであり、夢中になって何かできることを求めるものです。
夢中になって様々体験をということは、魂の成長に繋がることであるため、そういった対象に出会えると、人はワクワクして目を輝かせることになります。
そういった意味では、生活環境を良くすることをワクワクしながら夢中になってすることは魂の成長に繋がります。
とはいえ、生活環境を良くするという目的を達成すると、魂はまた新たな夢中になれるワクワクを探すようになります。
我々には「退屈」という感情がありますが、この「退屈」という感情は、魂が成長できないことに苛立つ感情であるため、人は「退屈」を感じれば感じるほど、何か夢中になれる対象を探すものです。
現代の地球人の多くは、肉体の保存という条件をほぼクリアしているといってよく、多くの自我は、「夢中になってワクワクすることをしたい」という望みを持っている、ということができます。
【集合意識としての願い】
我々人類の多くは、夢中になってワクワクすることをしたい、という望みを持っています。
しかし、夢中になってワクワクすることをする以前に、肉体の保存を継続しなければなりません。
この「肉体の保存の継続」には、現在の地球上では「お金」が掛かるシステムいなっているため、自我の目的は「夢中になってワクワクすることをする」ことよりも、「肉体の保存の継続」のほうが優先順位が上位になっていたりします。
このため、多くの人が「肉体の保存を継続させなければならない」という欲求と「夢中になってワクワクすることをしたい」という矛盾を抱えながら生きることになっています。
もちろん、夢中になってワクワクできることでお金を稼げている人は、矛盾を抱えることはありません。
しかし、絶対数としては矛盾を抱えながら生きている人の方が多いのではないかと思います。
そこで、現在の人類の集合意識の願いは、「お金というこの星特有のシステムから解放されて、生まれ持った肉体を使って夢中になってワクワクすることをしたい」という願いを持っているといっていいでしょう。
そういった意味では、現在の人類の集合意識の目的は、自我の「肉体の保存」という目的から解放されて、「夢中になってワクワクすることをしたい」という魂の目的を達成したいと望んでいるのだと思います。
といったわけで、ここまで「魂としての願い」、「自我としての願い」、「集合意識としての願い」の3つについて書いてきましたが、我々の多くが望んでいることをひとつの言葉で表すなら、「自由」になるのではないかと思います。
ここでの「自由」の意味は「肉体の保存」のために時間を費やすのではなく、自由な時間をふんだんに使って「夢中になってワクワクすることをして魂を成長させたい」ということであり、それを「魂」も「自我」も「集合意識」も望んでいることなのではないかと思います。
そういったこともあり、現代では少しづつですが、物質の時代から精神の時代へと移行し始めています。
この物質から精神の時代への移行は、何を意味しているかというと、人の意識が自我から魂へとその重心を移し始めているということです。
そして、多くの人の意識が自我から魂へと重心を移し始めたことで、魂が何を望んでいるかを気づく人が増え始め、その結果、これまでの矛盾を抱えた状態を解放させ始めているということができます。
つまり、我々の一人ひとりが、魂の本質に目覚めていくと、我々はそもそも「できる」存在だということに気付くことができ、その気付きが現代の矛盾を解放させる力となり、やがてこの社会のシステムそのものを変えるようになっていくと思います。
人は、その対象がどんなことであったとしても、「できる」という思いを持って挑むことができるようになると、自分に自信を持てるようになるものであり、その自信が、自分という存在の本質を目覚めさせる力となります。
そして、少しづつでも自分という存在の本質に気づき始めると「肉体の保存」という行為よりも、「魂の成長」の方に意識をシフトさせていくようにになっていくことでしょう。
しかも「魂の成長」に意識をシフトしていけばいくほど、無理をすることなく、自然な形で「肉体の保存という行為」ができるようになっていき、不思議と環境が整っていくようになるものです。
なぜそうなるかというと、「魂の目的に沿った生き方をすること」がこの地球にやってきた目的であるため、魂の思いと自我の思いが一致すると矛盾が解消され、自分の思い通りの現実を生み出すことができるようになっていくからです。
なので、これからもっと「魂の目的に沿った生き方」をする人が増えていけば、徐々にこの地球上の集合意識も変化していき、「魂の成長のために生きること」が、この地球上での生きる目的となる時代がやって来るのではないかと思います。
そのためにも、今の我々は、どんなことでもいいし、短い時間でもいいので、「ワクワクして夢中になってできること」をしていくことが大切なのかもしれません。
我々が今しなければならないことは、「今を楽しんで生きること」で集合意識を変え、その結果、今の社会のシステムを変えていくことなのかもしれません。
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