見出し画像

45.自分をエンパワーメント(勇気付け)

8月に二度、帰省した際に電車の中で読む用に2冊の本を購入した。

最初の帰省のときに買った本が足立郁朗さんの『波動の法則』で、2度目の帰省で購入したのが、村松大輔さんの『現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則』だった。

『波動の法則』は、以前から読まなければならないなと思っていた本であり、『現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則』は、タイトル買いだった。

この2つの本に共通することはというと、どちらも波動についての本であり、物理学的要素で人の精神の在り方を解説しているところ。

そして、この2冊を読んで、僕自身が常に高い波動で存在でいられるようにするには、どうすればいいのかいろいろと実験してみたくなった。

高い波動とはどういうことかというと、分かりやすくいうと「どんなときでも心地よい気分でいる」ということであり、「不安感のない状態」といっていいだろう。

僕は、ここ数年でかなりの部分で、不安感を手放すことができたと感じているが、それでも完全とは言い難く、僕の性格的な傾向として、一度、そういった不安感を感じてしまうと、ずっとそのことばかり考えてしまうことがあるので、この2冊の本を読んだ勢いを生かして、手放し難い不安感を一掃できるようにしたいと思った。

もちろん、たかだか1週間くらいで深く根づいた不安感を手放すことはできないけれど、それでも短期的に集中してちょっとした習慣を身に付けることができれば、今後、そういった不安感が出てきたときでも対処できるようになるなるのではないかと考えた。

どんなことでも継続して続けていけば上手になっていくように、ちょっとした習慣を身に付けて、それを継続していくことができれば意識を変えることもできるようになる。

不安は生きている限りなくなることはないだろう。

しかし、意図して実践していけば減らしていくことはできる。

人に不安の意識が生まれてしまうのは、左脳的な思考(顕在意識)が原因といっていい。

左脳はロジックが大好きなので、明確な根拠のない行動をしていると「そんなことをしていて大丈夫か」「こうした方がいいんじゃないか」というささやきを、隙あらばしてくるものであり、そういったささやきが「不安」を煽ることになる。

しかし、経験上、そういった不安をもとにした行動は、一時的な対処療法でしかなく根本的な解決には至らない、ということは理解している。

その一方で、右脳の全くロジックを無視した直観的な「イケイケな大丈夫感」を支持する自分がいるし、「イケイケな大丈夫感」に浸ることができると、まさに心地よく過ごすことができ、不思議と不安感が消えてしまうものでもある。

そういった意味では、僕の中に「右脳の天使のささやき」と「左脳の悪魔のささやき」が共存しているといっていい。

僕はこれまで、圧倒的に左脳思考で生きてきて、ここ数年でやっと右脳的な生き方にシフトできるようになっていて、普段は右脳的なイケイケ感で生きられるようになってきているけど、時折、左脳思考のラスボスが騒ぎ出したりする。

そこで、この機会に、このラスボスを一掃できるような手掛かりを掴み、不安ベースで行動を起こすのではなく、どんなときでも「喜び」ベースで行動できるようにしたいと考えた。

『波動の法則』や『現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則』の2冊の本を読み、「喜びベース」で生きた方が圧倒的に豊かな人生を歩んでいけるということをロジックで左脳に入れることができたので、そのロジックを左脳に定着化したいと思った。

その方法として、いろいろと考えて実際にやってみたことが、①アファメーションを唱え続けること、②意図して好きな音楽を集中して聞くこと、③「いまここ」を意識して過ごす、ということをすることにした。

①のアファメーションを唱え続けることの効果は、どんな気分のときであっても、ひとつの言葉を繰り返しつぶやいていると、その言葉に気分が付いてくるものであり、つぶやき始めがネガティブな気分であったとしても、感情を込めて一つの言葉を5分くらいつぶやいていると、自然と気分がポジティブに変化していく。

例えば「幸せ」という言葉を唱えると、自然と脳は「幸せ」の対象を探すから、「天気がいい」とか「夜風が心地いい」とか、身の回りにある「幸せ」の要素に自然と焦点を合わせられるようになる。

また一つの言葉を心を込めてつぶやいていたりすると、それが波動となって自分の身体に染み渡っていくものであり、そういった「心地よさ」を感じることを習慣化できれば、「喜び」ベースで生きていけるようになっていく。

②の意図して好きな音楽を集中して聞く、ということはシンプルにただ好きな音楽を没頭して聞くことができれば、それだけで「心地よく」なれる。

この音楽を集中して聞くということは即効性もあるし、ちょっとした時間でできることだから効果的だった。

さらに③の「いまここ」を意識して過ごすことができれば、左脳の不安を煽るようなつぶやきを減らすことができる。

特に自分が夢中になれることをしている最中は、不安を煽るようなつぶやきを遮断することも可能だ。

そんなわけで、この1週間は①~③を意識して過ごした。

その結果、1週間前に比べると、だいぶ「左脳の悪魔のささやき」を減らすことができたし、強気になることができた。

「左脳の悪魔のささやき」は「不安ベースの思考」であり、いわば「弱気な自分の声」といっていい。

「弱気な自分の声」とは「自分を存続させなければ」という自我の声であり、「危機感を軸」にした考え方である。

その一方で「強気な自分の声」とは、「楽しんでい生きていきたい」という「喜びを軸」にした考え方であり、魂の声といっていいだろう。

人は肉体を持つことで、肉体の存続を優先する思考を持つことが宿命となっている。

これが左脳思考を生むといっていい。

しかし、魂はというと、この身体を使って人生を謳歌したいと考えている。

だから、自分の身体を使っていろんなことを体験したいというのが魂の望みでもある。

「肉体を存続させたい」という思いと、「身体を使って様々な体験をしたい」という思いには、大きな隔たりがあるといっていい。

「身体を使って様々な体験をしたい」ということは前向きな思いであり、「喜びベース」の生き方になる。

反対に「肉体を存続させたい」という思いは「不安ベース」な生き方であり、消極的な生き方を選択することになる。

「喜びベース」で生まれたアイデアを行動するのと、「不安ベース」の思考に従って生きるのでは、当然、結果も変わってくるもの。

なので、明確な根拠がなくても「喜びベース」で生まれたアイデアで行動できるようになれば、自分の肉体ではなく魂に沿った生き方ができるようになっていく。

人は、誰もが「喜びベース」で生きていきたいと思っているはずなのだ。

いろんな言い訳で着飾って 仕方ないと笑っていた
傷つくよりは まだ その方がいいように思えて

これは、この1週間、何度も聴いていた秦基博さんの「鱗(うろこ)」の歌詞の一部。

歌の中の主人公は、「不安ベース」で生きていた。

でも、そんな自分に気づいて、サビの部分でこう歌う。

oh 君に今 会いたいんだ 会いに行くよ
たとえ どんな痛みがほら 押し寄せても
oh 鱗のように 身に纏ったものを捨てて 泳いでいけ 
君のもとへ 君のもとへ それでいいはずなんだ

この詞の中の「君」とは、「魂の自分」のことであり、「鱗のように身に纏ったもの」を捨てて、君(魂)のもとへ向かって行くことが、正しい道だと歌っている。

「鱗」とは、自分の本心ではない思いのこと。

人は自分を勇気づけしていないと、すぐに弱気になってしまう。

だから、常に自分を勇気づけする必要があるといっていい。

その方法は、実はなんでもよく自分に合ったことをすればよかったりする。

大切なのことは「強気の波動」で生きることであり、強気の波動で生きるということは、「喜びの波動で生きる」ということ。

「喜びの波動」で生きれば、「強い波動」を出すことができるようになるから、その強さが現実をよりよいものへと変えていくことになる。

あなたが「悩み」を観測するか、「幸せ」を観測するか?
それによって、あなたがどのパラレルワールドに行くか決まります。
例えば、悩ましいことが起きたときどうするか?
「悩みを解決する」と意図すると、「悩みのパラレル」に行きます。
「幸せに浸る」と意図すれば「幸せのパラレル」に行きます。
どちらに行くかは、あなたの「観測」や「意図」によって決まるのです。

『現象が一変する「量子力学的」パラレルワールドの法則』より










いつもサポートありがとうございます。感謝ですー😆👍💓