第78回:「気づき」から「喜び」が生まれる
今回は、「気づき」から「喜び」が生まれる、ということを書いていきます。
人に「気づき」が生まれると「喜び」が生れます。
「気づき」とは「理解」であり、「理解」は「スッキリする」という「喜び」の感情に繋がっています。
では、この「理解」とは何かというと、物事の「筋道」や「道理」を理解するということです。
そして、人が「筋道」や「道理」を理解できるようになっていくにつれて、不安がなくなって平和な気持ちになります。
つまり「平和な気持ち」へと導くのが「気づき」であり、「平和な気持ち」を感じられるようになると「喜び」が生まれてくるようになるのです。
「気づき」から生まれる「喜び」は恒常的なもの
「気づき」から生まれる「喜び」は恒常的なものです。
なぜかというと、「筋道」や「道理」が分かるということは、普遍的な理解を得るということだからです。
こういった「気づき」によって得られる「喜び」は、一時的な「喜び」とは異なり人生を通じて得られる「喜び」となります。
このため、このような恒常的な「喜び」を得られるようになると人生が「平和」になっていくものです。
こちらは「パワーか、フォースか」という本で紹介されている「意識のマップ」のポジティブな意識を表したものですが、この中の「レベル」の欄にある上位の意識が「悟り」「平和」「喜び」になっています。
「悟り」とは、いわば大きな「気づき」であるため、人に「悟り」が起こると「平和」な気持ちを得ることになり、「喜び」の中で生きていけるようになります。
では、この「平和な気持ち」を得て「喜び」の中で生きられるようになるにはどうすればいいかというと、「不安な気持ちを作っていたのは、そもそも自分だった」、「外の情報に惑わされていた自分が不安な気持ちを作っていた」という「気づき」を得ることで達成されます。
「不安」とは、自分に対する自信のなさの現れです。
このため、自分自身を徹底的に信頼できるようになると、不安自体が生れなくなっていくものなのです。
こういった自分に対する強い信頼を得ることができるようになると、人は平和な気持ちで静かな喜びの中で生きていけるようになります。
「普遍的な情報」は自分の中にある
私たちは、幼少の頃から外の情報を取り入れて、それを信じることでこの世界での生活を始めていくことになります。
こういったことから、言葉や生活体系など外の情報を取り入れていくことで社会の仕組みに適応できるようになっていくため、人生を通じて外の情報が非常に大きな役割を果たすことになります。
しかし、外の情報は日々変わるものであり一定ではありません。また文化や風習なども国や地域で異なるものであり、情報として取り入れたことがどこでも通用するとは限りません。
そこで場所が変わるごとに、その違いに対する疑問が生じるものであり、こういった疑問が人を「不安」な気持ちにさせたりします。
このため、この社会で生きるためには、場所ごとに異なる違いに対応できる能力が求められるものであり、日々生まれる疑問と不安を解消していきながら生きていくことになります。
しかし、日々変化していく外の情報に合わせて生きていると「疑問」と「不安」に対処していくだけで疲れていってしまいます。
そこで、人は自分自身に向き合うようになっていきます。
日々刻々と変化する外の情報ではなく、「普遍的」な情報が自分の中にあるのではないかと、ベクトルを外側から内側へと向け始めるようになるのです。
「悟り」とは大きなスッキリ感
人が「悟り」を得ることができるようになると、これまで疑問に思っていたことを解消することができ、安堵の気持ちを持てるようになるため、大きなスッキリ感を得ることができるようになります。
先述した通り「悟り」とは「大きな気づき」であり、この世界の筋道や道理を理解することです。
では、この「大きな気づき」である「悟り」の正体が何かというと、私の中には不安や疑問が一切ないということです。
よくこの世界は幻想であるというようなことがいわれたりしますが、この幻想とは外の情報に惑わされた自分が作りだしたものということであり、目の前の現象は自分が作り出しているということを理解できるようになると、迷いも不安もなくなっていきます。
この「迷い」も「不安」もない私が、「真我の私」であり「あるがままの自分」であり「唯一無二の自分」といっていいでしょう。
こういった「あるがまま」の自分に出会うことができると、内的な平和の中で静かな喜びの中で生きていけるようになっていき、毎日をスッキリとした気持ちで「自分自身に寛いで」生きていけるようになっていきます。
「喜び」の経験が「気づき」を生む
では、どのようにすれば「内的な平和」を得られる「気づき」を生み出せるようになるかというと、私は「喜び」の経験を積み重ねていくことで出来るようになると考えています。
なぜかというと「喜び」の感情を重ねていくと、自分という存在を信頼できるようになっていくからです。
「あるがまま」の自分とは、外の情報に惑わされることのない自分であり、そういった外の情報に惑わされない自分を創っていくためには、まず自分という存在を肯定し信頼できるようになっていかなければなりません。
そこで、日々「喜び」の感情を自分に与えていけるようになると、やがて自分に対して信頼を得られるようになっていくものです。
人が日々「喜び」の感情を蓄積していくと「達成可能な自分」と出会うことができるようになるため、「平和」な気持ちで過ごせるようになっていきます。
また自分を信頼できるようになるということは、外の情報に惑わされない自分を作るということであり、自分の力でこの世界を切り開いていけるという理解でもあるのです。
こういった外の情報で惑わされることのない自信が「平和な気持ち」を生み出し、この平和な気持ちの中にあるとき「気づき」を生み出すのです。
「勇気」を出して自分と向き合うと「気づき」が生まれる
もう一度、「パワーか、フォースか」の「意識のマップ」を見ていきます。
この表の「レベル」の「勇気」というところから少しづつ段階をあげていくことができるようになると、「悟り」へとたどり着いていけるようになります。
この「意識のマップ」の「勇気」が「自分と向き合う」ことの出発点です。そして、「喜び」の感情を自分に与え続けることができたなら、その段階に応じた「気づき」を得ることができ、徐々に「レベル」の段階をあげていくことができるでしょう。
そこで、日々「喜び」の感情を自分に与え続けるには何をすればいいかというと、「嬉しい」「楽しい」「ワクワクする」ということをすることです。
「嬉しい」「楽しい」「ワクワクする」ことをしていると「喜び」の感情がすぐに湧き上がってくるため効果がすぐ現れるものであり、こういったことを日々行っていると、知らず知らずのうちに意識のレベルを上げていくことができるようになるものです。
そのためにも「喜び」と感じることを選択し、積極的に行っていくことが重要だったりします。
「私」という絶対的な安心感で生きる
「悟り」とは、「私という絶対的な安心感と出会うこと」です。
この「私という絶対的な安心感と出会う」と「平和な気持ち」を感じられるようになり「静かな喜び」の中で生きていけるようになります。
「気づき」とは、道理や筋道を理解することですが、この道理や筋道とは「私という絶対的な安心感」のことを意味します。
つまり、「私という絶対的な安心感」が「道理」であり「筋道」であるため、目の前の現象は自分で創り出しているということになるのです。
このことを理解できるようになると、普段、自分が何を考え何を感じ、どのように在るかということに焦点を合わせて生きることになり、目の前に現れた現象を観察し修正を加えながら生きていくことになっていきます。
そして、日々微調整を行いながら自分の人生を整え、少しづつ「私という絶対的な安心感」を手に入れていくことになります。
おそらく、これからは多くの人が「私という絶対的な安心感」を持って生きるようになり、そういった人達の手によって、新しい世界を築いていくのだと思います。
私という絶対的な安心感を持った人たちの創る世界は、クリエイティブな世界になることでしょう。
なぜかというと、そういった人達は生活することに心配がないため、自分の好きなことに夢中になって生きるようになるからであり、そういった人達が創る世界がクリエイティブにならないはずがないからです。
そんな世界が、間もなく訪れるのではないかと思います。「喜び」で生きる人が生み出す世界がどんなものになるか楽しみです。
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