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愛の意識を習得して幸せになる

幸せになるには、意識を上手に使っていくことだと思う。

意識を上手に使うとはどういうことかというと、自分の感情に注目して、いつでも心地よい状態を保つということであり、どんなときでも心地よさを感じて過ごせるよういなれば、それが「幸せ」ということになる。

このため、いつでも自分の感情に注目して、心地よさを保てるような状態を作って行くことが大切になるといっていい。

自分の感情を心地よく保つには、丁寧さが必要になってくる。

自分の感情を普段から見て取りながら一定の状態に保つには、ある種の根気が必要だし、瞬間瞬間を丁寧に意識して生きることが、精神性を高めるといってもいいだろう。

丁寧に暮らすということは、日々の自分の感情を心地よくするということであり、そういった丁寧さの継続が幸せ感情を保たせてくれるようになるのだ。

自分の感情に自分自身が振り回されていては幸せになることはできない。

心を荒ぶらせて過ごしていては、幸せを感じることはできないだろう。

心を荒ぶらせているということは、目の前の現象に反応して生きていることであり、主体が自分ではなく外側にあり、意識に対して無意識になっているということでもある。

つまり、目の前で起こっている現象に感情を引っ張られている限り、自分主導で幸せになることができないといってもいいだろう。

幸せは、自分の意識に対して意識的になることで得られるものであり、意識に対して無意識でいると幸せになることはできないといっていい。

別な言い方をすると、幸せな状態を意識して生きるということでもある。

しかし、意識に対して丁寧に生きていたとしても、苛立ちを感じてしまうことがある。

こういったときでも、意識的に対応できるようになることが、幸せに生活していくための課題となる。

前回の記事で、「買い物などをしていると、ついイラっとしてしまう店員さんと遭遇するケースが多くある」ということを書いたが、こういったことがよく起こるということは、いわゆる今の僕が解消しなければならない課題のひとつでもあり、これまで蓄積させてきた課題ということができる。

そして、こういった課題を克服し、どんな状況下でも落ち着いて過ごせるようになれば、幸せの質が上がっていく。

では、どういうふうになれば、こういった課題を克服できるようになるか。

それは感情を揺さぶられるような人と出会っても、すぐに許せるようになるということといってもいいだろう。

この「許し」ができるようになることが、僕の人生を通じて克服しなければならないカルマといってもいいかもしれない。

カルマというと少し仰々しく感じるかもしれないけれど、カルマとは精神的な成長をするための課題であり、それを克服できるようになると魂としての成長ができるようになる。

振り返ってみると、僕は幼い頃から「許し」ができずに、意図的に人と距離を置くことを繰り返していくことが多く、結果的に、一人で過ごすことが一番という思いで生きるようになっていった。

嫌なことが起こるたび、他者と距離をおいていしまうということは、自分で自分に制限を加えてしまうことでもあり、結果的に行動範囲を狭めることでもある。

もちろん、すべての人と仲良くすることは不可能だけれど、他者との距離をおいてしまうケースを増やしていくことは、結果的に自分の可能性を狭めてしまうことでもある。

この「許し」を意識的にできるようになれば、より自由に生きていけるようになるし、イラっと感じるようなときこそ意識的に意識を使うべきなのだ。

では、どうすれば、今、僕が抱えている課題を克服できるようになるのか。

その答えとなるのが、「愛」ということなのかもしれない。

人を許せるようになるのも愛のなせる業だし、他者に愛を持って接することができれば、目の前に起こる現象も変わっていくことだろう。

原因を変えれば、結果も変わる。

つまり、どんな人に対しても、愛を持って接することができるようになることが、僕の課題を解消する方法となるだろう。

これから先、愛という意識を上手に使えるようになれば、僕がこれまで自分で創り出してきた他者に対する制限を取り外せるようになる。

先述した通り、目の前で起こっている現象に感情を引っ張られている限り、自分主導で幸せになることができないし、目の前の現象に反応して感情を発露していては、主体を外側に委ねてしまうことになってしまい自分自身に対する丁寧さを手放すことにもなる。

どんな他者であっても丁寧に対応することが愛の行為であり、苛立ちを感じても丁寧に対応できるようになれば、少しづつ愛の意識を習得できるようになるだろう。

意識を意識して使っていくことが幸せになるコツであり、もっと制限なく幸せを感じて生きていけるようになるために、「愛を持って他者と接する」ということを意識してしていきたいと思う。

一つひとつ、今ある課題を克服していくことができれば、自分が作りだした制限を取り除くことができ、自由度を増して生きていけるようになるだろう。

課題を克服することも「喜び」のひとつでもあるから、慌てることなく丁寧に課題を克服していきたい。





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