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命のコスパ-2053年の尊厳死- 第2話

ゲームオーバー

 自ら死を望む、というのはどういう心境だろうか。
 誰でも一度くらいは考えたことがあるのではないだろうか。筆者にも経験がある。だが、それは結局考えただけで、実行に移しもしなかったし、現にこうして生きている。いかに苦しまずに実行できるとしても、筆者はそれを選ばなかったし、今のところそんな意思はない。
 それでも、こと「死」について、ひとは考えずにいられないのではないかと思う。だがそれでも、今目の前には、自ら死を選んだ人が確かにいても、なお死に踏み込む心理は計り知れない。
「にっちもさっちもいかなくなった、ってわけじゃないんだけどね」
 淡々と、というのか、飄々とというのか。存外に明るい口調で取材に応じてくれたのは、柴田祐介さん(仮名)だ。
 70歳を超えた男性にしては、かなり若々しい。こざっぱりした短髪には白いものがそれなりに目立つが、にこにことした表情もあってか明るい雰囲気がある。少しお腹が出ているが全体的には細身で、肌の皺も目立たない。色白、というよりは青白い地肌のせいだろうか。タバコのヤニが染み付いたように黄ばんだ指先との対比もあって、かなり肌の白さが際立っている。
 訪ねた日は春先で暖かったこともあり、古びたジーンズとよれ気味のワイシャツという姿も、若いという印象に拍車をかけたのだろうか。若いというより、幼さがあるような気がする。老人に対して幼いというのも変な話だが、柴田さんはそういう印象のある人だ。
「まあ、もういいかな、と思っちゃったんだよね」
 人好きのする笑顔だった。好々爺にも見える彼が、次の誕生日にそのまま尊厳死を迎える予定だなどとは、本人に言われたとしても、冗談だと思うだろう。ね、という語尾が癖なのだろうか。それに合わせてニコニコと笑うのが、妙に痛々しく感じてしまう。
今もベッドに腰掛けてのんびりとブラックの缶コーヒーを啜り、紙巻きのタバコをふかしている飄々とした様に、どうしても違和感を持ってしまう。
 JR蒲田駅から少し歩いたところにある、古いワンルームマンション。ここが彼の終の棲家だという。
 あまり降りたことのない駅だったが、来てみると賑わっていた。東口を出ると飲み屋街になっており、小さな飲食店が軒を連ねている。焼肉店やラーメン店、エスニック料理の店もあり、夜になればもっと人通りが増えるだろう。反対側の西口と、そのすぐ隣の南口から出ると、商店街の入り口が出迎えてくれる。全長が500m以上もある、都内でも有数の大きな商店街だ。駅に併設された東急ストアもあり、昼間から買い物客で賑わっている。歩いている人には、外国人の割合が少ないように思う。年齢層はベビーカーを引いた親子や、小学生から高校生、そして半分程度は高齢者。人の見た目からして、昭和の昔から続く由緒正しき街並みである。
 柴田さんの家は、東口から15分ほど歩いた、商店の並びが終わりかけのところにあった。3階建てのアパートの1階。六畳一間にキッチンとユニットバス、洗濯機が置ける、ありふれた間取りだ。玄関が狭くて靴の置き場に困るという。
 中に入ると、むっと焦げたようなタバコの臭いがする。壁やカーテン、家具や寝具に至るまで、タバコのヤニで暗い黄色に染まっていた。相当な臭いと、そして年月が、あたり一面にへばりついているのがわかる。
「ここに住んで、40年くらいかな。一人暮らし始めて、そのままだから。ずーっと紙巻き。コーヒーに合うんだよ」
 壁を見ているのを察したのか、苦笑しながら灰を落とした。灰皿代わりに空き缶を使うのが柴田さんの流儀のようだ。男性の一人暮らしにしては片付いていると思うが、吸い殻が詰まった空き缶は捨てるのが追いつかないのか、そこかしこに置きっぱなしだ。一本吸い終わると、流れるように次のタバコに火をつけるし、結構なヘビースモーカーである。
 正直言って、なにから話したものか、どんな質問をしたものか。聞きたいことはリストにしてきたたはずなのに、本人を目の前にしたら、言葉が出なくなってしまった。静かに紫煙がくゆらさられるばかりだ。
「タバコもずいぶん高くなったね」
 ふ、と煙を吐き出して、手元の飲み終わった缶に吸い殻を入れた。気を遣ってもらい恥ずかしいばかりだが、反射的に、どのくらい高くなったのか、と聞いた。
「そうだね、吸い始めたのが二十歳くらいだから……うわあ、5倍くらいかな? 昔はね、五百円玉持っていけば、コーヒーと一緒にタバコが一箱買えたんだよね」
 懐かしいな、と言いながら、くるりと空き缶をメリーゴーランドのように回して、小さな炬燵テーブルに置く。
 タバコは税金の取りやすい嗜好品だ。酒税とともに、困ったらそこから増税というのはずっと変わらない。また、タバコは電子タバコの普及もあって、紙巻きはどんどん販売数が減り、今では高級品のようなイメージがある。筆者は吸わないのでわからないが、値段相応の違いがあるのだろうか。
「電子タバコと味が違うかって? そりゃあ違うよ。どっちがいいかは好き好きだと思うけど……趣味かな。ライターも使えないし」
 柴田さんが使っているライターは、古いオイルライターだ。開け閉めするたびにカキンカキンと小気味いい音が鳴る。オイルの匂いも独特だ。
「長いこと吸ってるからね、死ぬときは肺ガンだと思ってたよ」
 ちっとも病気なんかしなくって、保険料払い損だねえ、と笑う。
 2038年、医療費負担は全世代で3割となった。それまで75歳以上では一部2割、令和4年以前はなんと1割だった。逆に言えば、既にほぼ亡くなっている上の世代はずっと安く医療を受けることができたわけだ。
 柴田さんの世代は、払い続けた保険料を、もっとも高い料金で払い続けたことになる。端的に割りを食った形だ。それにはどう思っているのだろうか。多少なり怒っても許される気がする。
「別にどうもないねえ。だって仕方ないじゃない。ずーっとこんなんばっかりだよ。怒ったって何が起こるわけじゃないしねえ」
 柴田さんと話していて、ずっともやもやとしたものがあった。それがこの言葉で形になった気がする。
 諦めている。
 自分を大切に、とか、もっと怒っていい、とか、陳腐極まりないおせっかいな感情が自分の中に渦巻く。このひとの良さそうなおじいさんが、そこまで投げやりにならなくてもいいではないか。
 なにか、きっかけでもあったのだろうか。
 そう思ったとき、ようやくもっとも聞きたかったことを聞く勇気が持てた。
 いつ、尊厳死を決めたのか。
「あんまり覚えてないねえ」
 直截な質問に、タバコを挟んだままの右手で頭を掻いてから、少し考える。予測もしていたのだろうが、なんでもないことを聞かれた様子だ。また、もやもやが沸き立つ。

 柴田さんは1980年の生まれだ。幼い頃からゲームが好きで、物心ついたころにはすっかりゲーマーだったという。
 小学生から中学高校にかけてゲームセンターで遊ぶことを覚え、どっぷりその世界にはまりこんだ。当時は100円で遊べるゲームがたくさん置いてあり、ゲーマーやよくわからないおじさん以外はいない世界だったという。当時流行っていた対戦格闘ゲームでは、灰皿を投げつけられるとか、喧嘩になるとかいうことがけっこうあったと懐かしそうに語ってくれた。
 今なら営業停止になってもおかしくない。そもそもゲームセンターの中でタバコは吸えない。原則屋内は禁煙だ。それよりもずっと前の話なのだろう。
「プロゲーマーなんて職業なかったからね。ただのゲーム好きだね。廃人とか言ってね」
 自虐的にも誇らしげにも見える笑いだった。日に10時間以上ゲームをすることも珍しくなかったそうだ。そんなにたくさんゲームセンターで遊べるものだろうか。お金もかかる。
「ゲームセンターだけじゃないよ。ゲーセンで知り合った人たちと、家で遊んだり、ネットゲームしたり。今でもあるのかな? MMORPG。出始めの頃はヤバかったね。ゲームしてるんだか雑談してるんだかわからなかったよ。なにやってたんだろうね」
 
 ゲーム好きで学業は二の次。周囲にはそういう友人も多かったそうだ。だからなのか、高校を卒業する段になって、初めて人生に迷ったそうだ。
「ゲームくらいしか面白くなくてね。バイトは小遣い稼ぎにしたけど、なんにも面白くない。疲れるだけ。金さえあれば働きたくなんかない。今でもそうだよ。だからまあ、専門学校に行ったのは逃げっていうか、時間稼ぎ。勉強嫌いだったから大学も行きたくなかったしね」
 そんな調子で大学受験を避けて、ゲーム系の専門学校に入学。しかし、こちらも卒業はせずに辞めてしまったのだそうだ。理由はやっぱり、面白くなかったから。
 どうにも行き当たりばったりに思えるが、人生の決断をそんなふうに決めてしまうことに不安はなかったのだろうか。
「不安? ずっと不安だったよ。10年後なんて想像したことない。5年後も3年後も。よくて半年後くらいじゃないかな。だってどうなるかなんてわからないし、景気はずっと悪いしさ。なんかやって儲かるなんてこと考えられないわけ。ただ日銭っていうか、生活費とちょっと遊ぶお金だけ、どうにかなってればそれで……まあ、今はそれもどうでもよくなったんだけど」
 何気なく出た言葉に驚かされる。どうでもいい、とは。自分のことである。決して軽くない決断のはずだ。

 柴田さんの生まれた時代は、就職氷河期世代と言われる。ポスト団塊ジュニアとも言われ、現在では最後の人口ボリュームゾーンだ。分布としてこの世代が最も多い。だが、貧困率が最も高いのもこの世代だ。平均年収が300万円代で、中央値はさらに大きく割り込み、200万円台である。生きていけるのか疑問になる収入だ。筆者の年収より低い。
 ここからは歴史の話になる。柴田さんが75歳になろうとしていることを考えると仕方がない。彼が社会に出た20代の頃は、もう半世紀も前なのだ。彼の生まれは令和でもなく平成ですらなく、昭和である。
 始まりは、未だに経済関係の記事に単語が出る、バブルの崩壊だ。1980年代に地価が暴騰し、それにつられるように国内市場へ資金が降り注いだ。折しも人口ボーナス期に入っていたことも重なり、日本は空前の好景気に沸いた。――とされる。
 だがそれは後から数字を見直すと、虚構ではないにせよ誇張ではある。インフレ率は3%程度で、これは現在まで続く政府の目標インフレ率を少々上回っているに過ぎない。緩やかな、好ましいインフレである。不動産以外にコストプッシュ要因はなく、それも都心に限られていた。
 落とし穴はこの景気を過剰とした日銀の判断と金融政策である。不動産は1990年の総量規制を受け、貸付可能な額が評価資産の三分の一までに規制された。今から考えると青天井であることが信じられないが、当時は前提が覆ったわけで、不動産投資は加速度的に冷え込んだ。これだけなら金融犯罪や過剰融資の懸念もあって頷けるが、追い打ちになったのが前年から行われた金融引締である。日銀の利率があがったため、簡単に言えばお金を借りると高く付くようになったのだ。悪名高い貸し剥がし――銀行が企業から資金を引き上げることが横行し、多くの企業が資金繰りに苦しむことになった。
 遠回りをしたが、結局何が起こったか。
 仕事がなくなったのである。企業の支出でもっとも大きく、労働者派遣法の改正で調整しやすくなったのは人件費だからだ。
 失業率にして最高5.5%を記録した。こういうと少ないように感じるが、1990年には2.1%だった。単純計算で以前の倍以上の人が、仕事にあぶれてしまったのだ。
 柴田さんもそれに巻き込まれた一人だった。普通の求職はあっても履歴書ですべて落ち、面接にすらいけない。結局正社員での就職はできず、非正規雇用で雇われ続けることになった。間を縫うような仕事を渡り歩いていったのだ。
「正社員にならないかって言われたことは何回かあったけどね。全部断ったよ。だって給料あがらないのに仕事はめちゃくちゃに増えるからね。上司なんか会社に寝泊まりするのがしょっちゅうだった。あれ見て自分もなりたいとは思わないよ。帰って寝たい」
 ゲーム業界と言えば華やかなイメージがあるが、実態はそうではないのだろうか。そう聞くと、柴田さんは声を出して笑った。
「いやあひどいもんだよ。みなし残業制っていってね、本当は違うらしいんだけど、定額働かせ放題って言ってたね。先に残業代がもらえるっていうんだけど、それでも手取りが月に15万とかね。ないと10万くらいになっちゃうの。食えないよ。仕方ないからそれで仕事するんだけど、納期前なんか帰れるかどうかみたいな時間まで仕事。休日出勤も当たり前だし。そもそも会社にいてもやれることがない、でも何となく帰っちゃダメ、なんてこともあったよ。むちゃくちゃだよね」
 ブラック企業の典型のように聞こえる。大手はそうじゃなかったみたいだけどね、と柴田さんはぽつりと言い添えた。それはつまり、柴田さんが勤めていたのは、そうではなかったということだろう。
「65で年金貰って隠居しようかと思ったんだけどね。ぜんぜん食えないんだよね、だって月に6万くらいなんだもの。貯金もぜんぜんなかったし。となると働くしかないからさ、ツテを頼って仕事もらったり、派遣会社から回してもらったりね」
 いつまで続けたんだっけな、とまた少し間が空く。
「ああ、結局70くらいまでかな。プランナーとか、ゲームの。あとデバッグとか。アルバイトもいろいろやったね、警備とか立ってるだけだけだけど。でも結局、歳がいくとダメさ。立ってるのも辛いし、最近は治安も良くないでしょ。警備のバイトも若い人や外国人のクチが増えたし。仕事がなくなっちゃってね。どうしようかなあと思ったんだけど、その時にもういいかあって」
 ――もういい、とは。
「今さらもう何も起こらないじゃない。そこから生きていって、なにか良いことが起こるとかありえないでしょ。俺の人生こんなもんかって納得しちゃったんだよね」
 絶句してしまった。
 そんなことはない、いやもう70歳を過ぎていて、でもなにかが起こるかもしれない、でもそれならもっと前にあったはず、誰かそばに――いない、のだろうか。柴田さんには。
「派遣とか請負ばっかりだったからね、同僚とかもいないね。付き合いのある同業者も、仕事が切れるとどうしてもね。
 親は死んでるよ、随分前に。もういつだったかねえ、20年くらい前じゃないかね。ていうか離婚してるから、母親とはそのときから音信不通。生きてるかどうかもわからない。あと妹がいたけど、どこいったのかね。結婚したんじゃなかったっけ」
 なぜそこで疑問形が出てくるのか。興味が無いのだろうか。家族である。肉親だ。
「別に……それぞれで生きてたから。向こうも連絡してこないし、連絡先も知らないしね。ゲーム仲間のほうが付き合い長いくらいだね。ほら、親の顔より見たっていう。あれあれ」
 ははは、と冗談めかしてまた笑う。薄ら寒さすら覚えてしまう。どうしてこうも割り切れてしまうのか。少なくとも友人もいたのだろう。聞いてみると、これまたあっさりと答えが返ってきた。
「みんな死んじゃったよ。俺が最後。自殺したり、病気だったり、音信不通になったりね。こんなんばっかり。まあそうだよね、みんな似たりよったりだったもの」
 その言葉に、なにかを言いかけて飲み込みを繰り返しているうちに、くしゃっと顔を崩して、柴田さんは笑った。
「ゲームオーバーってことだね。強くてニューゲームもないし、エンドロールもなかった。それだけだね」

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