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命のコスパ-2053年の尊厳死- 第6話

治ってしまう認知症

 認知症の治療法は、決して幸福を約束しなかった。

 劇的に進歩した医療は、多くの目測と期待に沿って、確かに認知症を完治するに至った。
 特段医療の進歩が目覚ましかったとか、奇跡が起こったというようなことではない。ただ黙々と医学が進歩を続け、ついにそこに至ったというだけの話である。実にロマンのない話ではあるが、事実そうなのだから仕方がない。
 だが、一般的にイメージされる「完治」と、実際の医療での「完治」には差があったようだ。
 NPO法人「トーチ」の代表、高須啓太さん(仮名)は、その当事者であり、「トーチ」を創るきっかけとなった、彼の母親のことを語ってくれた。
 場所は「トーチ」のオフィスとして使われている、雑居ビルの狭い一室である。年中人手不足で、業務量の割にオフィスは手狭だ。事務机が4つ、応対用のソファが一揃い、あとは膨大な書類棚。応対用のソファと事務机は一応パーテーションで仕切られているが、広さは10畳もない。そんな場所で、高須さんは一人で働いていた。筆者が取材を申し出たときも、「アルバイトとして給料をだすので、仕事を手伝ってくれるなら」という条件を出されたほどである。ちょうどアルバイトが辞めてしまったそうだ。
 取材しながら給料ももらえるなら、こんな都合のいい話はない、と思って飛びついた。が、もちろん現実は厳しかった。
 すぐさま人手不足を切実に痛感した。行政手続きがこれほど煩雑だとは思わなかったし、相談にくるひとたちは全員深刻な状態にある。書類を渡して書いてきてください、では済まないのだ。
 当たり前だ。死を選ぼうという人しかこないのだから。
 そのため、「トーチ」には営業時間という概念が希薄だ。はっきり言ってしまえばブラック労働である。
 高須さんは「いつ死にたくなるかなんてわからないから」という。突発的に自殺してしまう前に、ここにくればひとまず、死に向き合えるひとときがある、ということが大切だというのだ。
 高須さんも筆者も、カウンセラーでもセラピストでもない。それでも、最終的には尊厳死につなぐことができる場所に、人が常にいるというのは大きいという実感は、働いている中で得られた。事実、夜中の二時過ぎに訪ねてくる人も何人もいた。
 夜眠れずに、考えてしまうことがあるのだろう。
 しばらく無我夢中で働いて、ひと月も経った頃だろうか。夕食を交代でとり、一息ついたときに、そういえば、と思い出したように高須さんが「取材はいいのか」と聞いてくれた。筆者のほうが疲労困憊で忘れていたのだから世話はない。正直本当に疲れていた。ずっと死を思う人に接し続けるのだ。「トーチ」で働いていると、仕事を投げ出したくなるというか、ここから離れて走り出したいような衝動に駆られたことが何度もある。正直に言えば、うんざりしていた。
 だが、この機会を逃せばまたいつ落ち着いて話を聞けるかわからない、という思いのほうが勝ってくれた。慌てて記録の準備をして、話してもらうようにお願いした。
「認知症と一口にいいますが、原因になる病気はいろいろあります。母はアルツハイマー病で、まあ典型的な認知症ですね。怒りっぽくなって、物忘れは激しいし、徘徊もありました。叫んだりもしましたね」
 淡々と語るが、高須さん自身が介護をしていたときは、気が狂いそうだったという。30代も半ばを過ぎて、親が別人のように変わり果て、自分に叫びだすのだから心痛は計り知れない。
 仕事をして疲れて帰ると、叫び続ける母親がいる。身も心も休まることがない。仕事でのミスも増え、寝不足と疲労から、あっという間にうつ気味になってしまったそうだ。無理もない。
「話が通じませんからね。本当に同じ人間なのか疑うくらいですよ。もともと母は穏やかな人だったので。
 介護を始めて1年くらいですかね、脳の欠損を補う新薬が出たんですよ。認知症の特効薬だって、話題になったでしょう」
 確かに3年ほど前、認知症全般に有意性が認められた、画期的な治療薬が厚労省の認可を得た。保険適用された上でもかなりの負担はありつつも、一般人でもなんとか手が届くものだった。
 それまでアルツハイマー病の治療薬は複数あったものの、どちらかといえば現状維持が主な効果で、それもばらつきが大きいものばかりだった。一般に思う治療とは少し意味が違う。
「劇的に効きましたよ。錠剤なんですけどね、最初飲ませるのに苦労しましたが、1週間くらいで効果が出始めて。
 まず怒らなくなるんですよ。怒鳴らない。それだけでどれだけ救われたかわかりません。
 どんどん以前の母に戻っていくようでした。嬉しかったですよ、本当に」
 その割には笑顔がない。というより、高須さんはあまり表情の変化をみせてくれない。それは「トーチ」で関わるようになってからずっとそうだ。嫌味はないのだが、淡々と、無表情に、何を見ているのかわからない表情が張り付いている。
「それから、順調に回復していきました。徘徊もなくなったし、風呂の介助も必要なくなった。
 動けるようになったからなんですかね。筋肉が戻ったようで、トイレも大丈夫になって、一人で暮らせるんじゃないかと思いましたよ。本当に特効薬なんです」
 ふ、とそこで息を吐いた。
 だが、高須さんの母親はその後、尊厳死を選択し、亡くなった。そこまで回復していたのなら、穏やかに生きられたのではないのか。そう思うのだが、現実は違うのだろうか。
「記憶がね、ないんですよ。認知症になっていた間の記憶が。まったくないってことはないんですが、とびとびであんまりつながらないようで。
 部分的に覚えていても、いい思い出なんかなかったそうです。そりゃあ息子に怒鳴り散らかして、その上トイレの介助までされてて、いい思い出なんかありゃしないでしょうけどね。
 本人が一番気に病んでいたのは、覚えてないってことそのものだったように思います」
 記憶障害である。治療薬の副作用だと説明されたそうだ。
 厳密には副作用というと少し語弊がある。仕組みとしてこの治療薬は、アルツハイマー病で萎縮してしまった脳の中で、無事な神経幹細胞を増強して新しい神経細胞を発達させ、神経ネットワーク、つまりニューロンを再構築させる効果がある。
 従来、脳細胞は再生しないとされていた。それを覆した再生医療である。当然のごとく、発表当時はとても大きなニュースになった。実用化まで非常にスピードが早かったのも、そうした後押しがあったのだろう。
 だが、新しく再生した脳の部分には、過去の記憶は詰まっていなかった。考えてみれば当然かも知れない。コップに入った水を捨てて新しい水を入れても、元の水と同じものではないのと同じだ。
 記憶が脳のどこに保存されているかは、ある程度の分布はわかっても、厳密にはまだ判明していない。脳のどこが欠損するとどの記憶がなくなるのかなど、個人差もありうるし、そんなことはわかりようがないとも言える。コンピュータと同じように、古い媒体から新しい媒体へデータの移植ができるようなことはなかったのだ。
「覚えていることはまばらで。それが変に結びつくこともあるようで、例えば風呂で叫びながらおしっこを漏らした、そんな恥ずかしいことはないって言うんですよ。でもそんなことはなかった。風呂に入れてあげてるときは、おとなしかったんですよ。もともと風呂好きでしたしね。
 それから、一緒に暮らしていても、顔を極力見せないようになりました。本人の気持ちはわかりません、恥ずかしいと言えばそうでしょうけどね」
 自分に置き換えてみると、確かに辛そうだ。気がついたら、家族に下の世話をされ、それなのに怒鳴りつけていた。そんな自覚をしたら、ふさぎ込んでしまっても仕方ないだろう。顔だって合わせづらい。良くしてもらっていたならなおのことだ。
「母は……もともと穏やかな人だったんです。その分芯の強いひとでもあった。育てられている中で、ああしろこうしろと言われたことはほとんどない。でも、自分できめたことはちゃんとやりなさい、と口を酸っぱくして言われました。理解のある、良い親だったんじゃないですかね」
 そう言って高須さんは少し遠くを見た。思い出しているのか、感傷に浸っているのか、高須さんの表情からは読み取れない。
 それなりに一緒に働いたこともあってか、間の取り方はなんとなくわかる。黙って待っていると、続けてくれた。
「しばらくしたら、引きこもりになりましてね。食事も喉を通らないし、眠れないというんでね、再発したのかと思って医者に見せましたよ。原因がわからなくてたらい回しになって、もうともかく眠れないなら睡眠薬でも出してもらおうと思ってね。精神科にいったら、うつ病かもしれないと言われました。愕然としましたよ」
 一難去ってまた一難、とは言うが……。それにしても少し不思議だ。なぜ、体も動くようになり、精神的にも落ち着いたのに、うつ病になってしまうのだろう。せっかく回復したのだ。
「真面目な人ほどうつ病になりやすい、とは聞きましたけどね。話そうとしても、ただ申し訳なくて、と繰り返すばかりで」
 それはそうなのではないだろうか。恥ずかしいというのも、申し訳ないと思うのもわかる。そういうと、少しうつむいて、つぶやくように零した。
「別にそんなこと、どうでもよかった。ただ、ありがとうと言ってくれれば報われたんです」

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