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命のコスパ-2053年の尊厳死- 第13話

電源を落とすように

 8月。
 柴田さんの葬儀の日が来た。

 場所は埼玉県三浦市の公営火葬場だ。柴田さんの住居からは随分遠いが、火葬場の不足は相変わらず解消されていない。遺体を保存しておくにも場所も費用もかかるため、結局はこうして他自治体に「輸出」しなくては、東京都内では立ち行かないのだ。それでも、市外からの利用では料金が5倍以上になる。こんなところにも金の問題が絡むのかと思うとうんざりした。
 柴田さんの場合、本人が希望しなかったので、葬儀もなかった。直葬あるいは火葬式と言われる、死後そのまま火葬場に送られ、荼毘に付される方式だ。
 直葬にすれば費用はすべて国が負担してくれる。もっとも葬儀をしようにも僧侶も人手不足に陥っており、おいそれとはできなくなってもう長い。廃寺や統合も重なり、人口の少ない地方では医者も坊主もいないという自治体は少なくない。
 少子高齢化の波は、死に際にまで影響している。
 東京都の場合、遺骨は少なくとも指定の寺院に合祀される。まだマシというべきなのだろうか。都内は神社仏閣も人口も多いためまだ実感はないが、そのうち納骨もままならなくなるのではないだろうか。遺骨が産業廃棄物としてゴミと一緒に捨てられていた、などという噂も聞く。
 そうした不安があったわけではないが、せめて手を合わせたいと火葬場に掛け合い、立ち会うことにした。料金に変化がないので構わないといのことだった。

 尊厳死の間際――死に際には、余人は近寄らないことを強く推奨される。本人の意志に関係なく、無理やり止めてしまうことがあるからだ。
 何よりも、本人の意志。そして、それを証明する書類がすべて。
 そこだけは死守しているように思うが、なんとはなしに「余計なことはしてくれるな」という臭いもする。嫌だった。
 だが、そんな感想はなんの力にもならない。柴田さんの臨終に付き添うことは、本人からも固辞された。
「決心が鈍るかもしれないし、やりにくそうだからね」
 苦笑する柴田さんの顔が思い出される。どこまでも飄々とした人だった。過去形になってしまうのが重い。
 火葬場はこじんまりとした古い建物で、一本伸びる煙突がことさら目立つ。敷地の大部分は駐車場が占めていて、送迎バスもここに止まった。隣に斎場があり、早めに着いたのでそちらで待つことにする。
 斎場には思ったより人出があり、喪服姿ばかりだ。念のためスーツを着てきて正解だった。皆一様に押し黙ったような、重苦しいとまで言わないものの、厳かな空気だ。
 一家だろうと思われる集まりが、手に手に数珠とハンカチを持って立ち話をしている。ああして送られる方が、やはりいいのだろうか。
 本人は死んでいて、わかりもしないだろうに。
 そう思うと、葬儀というのは死んだ当人のために行うものではない気がする。その人が亡くなったことを、集まった家族や身内で共有する場なのではないだろうか。繋がりのある人からすれば、亡くなりました、ああそうですか、では済まないだろう。
 柴田さんを思い出す。
 ここには、彼の縁者は筆者以外誰も来ていない。その筆者とて、深い関わりがあるとはとても言えない。
 死に際しての時間の幾ばくかを一緒に過ごしたが、やはりどこまでいっても一線があったように思う。亡くなる1ヶ月も前には、連絡も乏しくなっていた。返信が遅くなり、話をする機会も減った。おそらく避けられていたのだろう。
 あれだけ話したのにと思う反面、どれだけ話しても、柴田さんの気持ちは分からなかったのではないだろうか。
 事実今も、自ら死に向かうという決断に、筆者は相変わらず共感できないでいる。自分自身に、一体何をやっているのかと思ったりもする。
 待合室の椅子でまんじりともせず、とりとめもないことを考えている間に、職員から声をかけられた。
 火葬が始まるらしい。

 火葬場に移動し、炉の前に立つ。
 しんとした場内で、引き出された焼台に乗った遺体が目の前にあった。
 職員が促すように遺体に手を差し出す。
 まじまじと遺体を見る機会は多くない。それでもはっきりと、生前とは別人のようだ。肌が固まり切って、よくくしゃっと笑ってくれた柴田さんとは印象がまるで違う。もともと大柄な人ではなかったが、より小さくなったように感じる。同じ顔なのに、同じ体なのに、こうも変わるのだ。
 なんとなく手を合わせて、頭を下げる。
 目を閉じている間に、また少し考えた。
 これでよかったのだろうか。ゲームオーバー、そう柴田さんは言っていた。それでも、クリア後の世界をプレイするわけにはいかなかったのだろうか。話していて、柴田さんは楽しい人だった。ひっきりなしに吸うタバコには閉口したが、慣れればいい香りにも思っう。コーヒーとタバコをこよなく愛して、ゲームをしておしゃべりをして。
 楽しかったのだ。
 他愛無い時間を共に過ごせたと、そう思っている。死を迎えるという人に無防備だったかもしれないが、柴田さんは飄々と付き合ってくれた。きっと柴田さんだって、少しくらいは筆者との時間を楽しんでくれたのだと信じている。
「すみません、そろそろ」
 固まっていたところに、職員が声をかけてきた。仕方なく、ぎこちなくその場から離れて、一礼する。

 ガコン、と大きな音を立てて、炉の扉が開く。
 柴田さんの遺体はその真ん中に焼台とともに入れられ、そして扉が閉められた。
 職員が操作盤で手を動かし、ランプが光る。

 本当に死んでしまったのだ。柴田さんは。
 電源を落とすように、この世界から人が一人、いなくなった。見届けた縁者は、彼を知っている人間は筆者だけになってしまった。

 ――それでも、彼の死に顔は、安らかだったように思う。

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