見出し画像

白兎神、大いなる陰謀に巻き込まれ日の本を救いし物語 3  親しき女神たちの助けを得て鹿島を目指す話

〝神の道〟ではありません。

日の本の人間の住まう場所のようです。

辺りを見回しました。

山々があり、あちこちに木立もありますが、見たことのない場所です。

もちろんわたくしが知っているのは、因幡と伯耆と出雲、奈良の三輪山、信濃国の諏訪くらいですから、知らない土地のほうが多いのです。

「どこかにやしろはないでしょうか? そこの神に会えれば、ここがどこなのかわかるのですが……」

全国のほとんどの神々とは毎年出雲で会っておりますので、顔見知りです。

どなたかにお会いできれば、問題解決です。

そこで社を探しに歩き出しました。

「うわ〜」

思わず声をあげて、目に入った山に見入ってしまいました。

夜の闇に浮かぶ、それは美しい山です。

わたくしは海辺に鎮座する神ですし、因幡にも山が多く、さらに旅をしてあちこちを回りましたが、日の本全ての山を見ているわけではございません。

それでも、これほど美しい山はめったにあるまいと思ったほどです。

その時、後ろから声がしました。

「シロナガミミノミコトではありませんか?」

聞き覚えのある声に振り向くと、美しい可憐な女神様が立っておいでです。

「あなたは!……と言うことは、このお山が富士山なのですか、コノハナノサクヤビメ?」

日本一の霊山として名高い富士山の主であるコノハナノサクヤビメとは、毎年出雲でお会いしております。

ヤカミヒメと仲が良いので、わたくしもご紹介にあずかり、出雲大社に滞在中は何かとお声をかけてくださいます。

女神様が、驚いた表情でお尋ねになりました。

「因幡に鎮座するあなたが突然ここへおいでとは、何ぞ御用がおありですか? それとも遊興の旅ですか?」

「それならどれほど幸いでございましょう。わたくし、諏訪大社からここへ飛ばされたのです」

コノハナノサクヤビメは、小さな悲鳴をあげられました。

「諏訪大社と言えば、タケミナカタノカミ(建御名方神)のお住まいではありませんか。あのお方が、あなたをこの富士山まで蹴り飛ばされたのですか? 何とむごいまねを……」

タケミナカタノカミは神無月の出雲大社の集まりにはおいでになられないので、コノハナノサクヤビメはお会いしたことがございません。

噂で国譲りの際の武勇伝をお聞きになっていて、そこから連想しておいでなのでしょう。

「いいえ、誤解なさらないでください。あのお方は、わたくしを守ってくださろうとしたのです。ええっと、どこから話せばよいのでしょう……非常に込み入った事情であの方と共に鹿島神宮へ行くはずだったのを、敵の陰謀で離され、わたくしだけここへ飛ばされたのです」

必死に諏訪の大神様について弁解しているうちに、女神様の顔つきが変わられました。

「鹿島へ? あなたとタケミナカタノカミが? それでは今、鹿島で何が起こっているのか、ご存じなのですか?」

わたくしは驚きましたよ。

「ひょっとして、あなたも鹿島で何か異変が起きていると気づかれたのですか? わたくしどもは、その謎を探るために向かう途中だったのです」

コノハナノサクヤビメが、そっと手招きされました。

「よく話し合う必要がありますわ。私どもの住まいへおいでください。姉もあなたとお話ししたいでしょうから」

「そういえば、あなたは姉上のイワナガヒメ(磐長姫)としょっちゅう同居なさっておられるとか」

女神様は、うなずかれました。

「ええ。さきほどまで自分のお山へ出かけていた姉も、ちょうど富士山の住まいへ戻って来られたところなのです。さあ、こちらへどうぞ」

コノハナノサクヤビメについて、もったいないほど美しい霊山へ進みました。

「非常時とはいえ、富士山を拝することができて光栄でございますよ。それに、あなたがたご姉妹にも会えるとは嬉しゅうございます。毎年、出雲ではとても親切にしてくださいますし……」

にこにこしているわたくしに、コノハナノサクヤビメも微笑まれました。

「本当にこんな時でなければ、ご馳走を用意し山の一番美しいところをご案内したのに……私もあなたにお会いできて、とても嬉しいですよ、シロナガミミノミコト。姉もさぞ喜びましょう。ふふふ、姉は私以上にあなたが大好きですから」

「わたくしもイワナガヒメが大好きです。もちろん、あなたもです。でも、わたくしのようなウサギを、日本一の霊山に住まわれるご姉妹が気にかけてくださるのが、正直不思議でございます」

はい、常々思っておりました。

特にウサギ愛好家とも思えないのですが、このご姉妹、出雲では何かとわたくしをお呼びになられ、おいしい駿河のお茶や珍しいお菓子を振る舞ってくださるのです。

コノハナノサクヤビメは、微笑んだままわたくしの頭を撫でてくださいました。

「それは、あなたが心根の優しい、真っ直ぐな神だからですよ」

「もったいのうございます。わたくしは、縁結びと皮膚病とフサフサに御利益を与える、地方のちっちゃなウサギ神にすぎません」

恐縮してしまいましたとも。

コノハナノサクヤビメは、真面目な口調になられました。

「初めて出雲でお会いしたときのことを、覚えていますか?」

「もちろんです。あの時は、ヤカミヒメがご紹介くださったのですよね? ちょうどあなた方ご姉妹とヤカミヒメが出雲大社のきれいな花の側でお茶とお菓子を楽しんでいらっしゃったときに、たまたまわたくしが通りかかり、ヤカミヒメに呼び止められて、あなた方と……」

「ええ、そうです。ご挨拶がすんだ後、あなたはこう言ったのです。『おきれいな女神様がお三人で楽しんでおいでなのに、わたくしのようなウサギがお邪魔をして申し訳ございません。お目障りでしょうから、これで』と。それを聞いて姉のイワナガヒメは『おきれいな女神様が三人? 数を間違えていますよ。ヤカミヒメと妹はきれいですが、私は自分が醜いのを知っています』と言いました。あなたが何と答えたか、覚えていますか?」

わたくしは、うなずきました。

「ええ、正確ではありませんが、『イワナガヒメもおきれいです。ヤカミヒメやコノハナノサクヤビメの華やかさとは違いますが、イワナガヒメは聡明さや誠実さ、落ち着き、気品という神としても女性としても尊い、中から自然と滲み出る穏やかなお美しさをお持ちです。醜いなどと、どこのどなたがおっしゃったのでしょう? ウサギごときが口幅ったいことを申すようですが、あなたを醜いと言う者がいるならば、その者の目は曇っていると断言できます』とお答えしたように思います」

「その時の姉の顔を、今でも忘れることができません。女神としてではなく、女性としての尊厳を取り戻されたような安堵と喜びに満ちたお顔……私も嬉しかったわ。姉があんなふうに元気を取り戻すことができて……あなたのおかげです、シロナガミミノミコト」

「あ、あの〜……わたくし、事実を申し上げただけですが……イワナガヒメは醜くなどありません。本当におきれいな女神様ですよ」

「ええ、あなたの言葉には少しの偽りもなく、本心からそう思っていることを伝えていました。だからこそ、姉はあなたが大好きになったのです。もちろん、私も。後でヤカミヒメが言ってたわ。『ね、いい神でしょ』って。私たち納得しましたよ」

何ともまあ……。

まさか、あの時の言葉が、これほどこのご姉妹には嬉しかったとは……。

それにしても、いったいどこの誰がイワナガヒメに「醜い」などと失礼なことを?

「だいたい、誰がそんなことをおっしゃったのですか? その者の目の方がどうかしています」

わたくしが少しむっとしてお尋ねしますと、コノハナノサクヤビメもむっとした表情になられました。

「私の元夫よ、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)」

「……え?」

疑問形で返してしまったわたくしに、コノハナノサクヤビメはうんざりしたように続けられました。

「あの男が私に求婚したとき、お父様のオオヤマツミノカミ(大山津見神)にお任せしたの。お父様は喜んで、私と一緒にお姉様のイワナガヒメをあの男に嫁がせたのよ。そうしたらあの男、お姉様を見て『醜い、恐い』とか大げさに騒いで追い返しちゃったのよ。私もひどい男だから帰ろうかと思ったけれど、一応天孫だし、逆らうとお父様やお姉様に迷惑がかかるって思って我慢して妻になったのよ。あなたの言うとおり、お姉様はちっとも醜くなんかないわ。それなのに、あの男が軽率に口走った言葉のせいで、後世までそんなひどいことを伝えられて……。だいたい、お父様がどうして私たちを二人揃って嫁がせたと思う? 天孫とはいえ、地上に降りて現人神あらひとがみとなれば、高天原にいたようなわけにはいかないわ。寿命だって短くなるのよ。だからお姉様がいれば、どんなことがあっても寿命は岩のように長くなったのに、私だけを妻にしたから栄えることは栄えても人間並の短い命になっちゃったのよ。後でお父様が説明したら『先に言ってよ』とか、ぶつぶつ文句を……。姉妹揃えて嫁がせたっていうときは、常識で考えても意味があるもの。なのに、あの男、それを私たちに訊こうともしなかったし。この地の神であるお父様が、無駄なことをするわけないでしょうが! 最初から国津神を馬鹿にしていたとしか、思えないのよね」

そんな事情がおありだったとは……。

天孫とはいえ、ひどいことをなさいます。

イワナガヒメ、どんなに傷ついたことでしょう。

お可哀想に。

「それだけじゃないわ。私が一晩で妊娠したら、『それ、本当に僕の子? どっかの国津神の子じゃないの?』とか、ふざけたことを! だから産屋うぶやに火を放って子を産んで、『ほら、天津神の子だから、ちゃんと生まれたでしょ!』って見せつけてやったわ」

お顔に似ず、乱暴なことをなさいます。

それだけお怒りだったのだと推察できます。

姉上のことといい、何ともまあ……。

「その後、私にすり寄ってきたけれど、顔を見るのも嫌になって、お父様も呆れかえって、私に富士山をくださったの。だから近所の大室山おおむろやまに住んでいらっしゃるお姉様と行き来して、しょっちゅう一緒に住んでいるわ。もう、せいせいしたわよ、あの男と別れて。それなのに後世の人間どもが天津神の子孫であるあいつにおべっかつかって、勝手に事実を書き換えているのも頭にくるわ。私が出産でたいへんだったのは、お姉様が嫉んで呪ったからだとか、お姉様のお住まいになる山で富士山を褒めると祟られるとか、もう言いたい放題。私たち昔からとても仲が良いし、お姉様だって追い返されるときに、ご自分だってとても傷ついたのに、『こんな男と結婚して妹は大丈夫なのか?』って心配しておいでだったのよ。だいたい呪ったり呪われたりするような間柄なら、どうしてあちこちの社で一緒に祀られているのよ! 本当に不仲なら、そんなことをされれば、その地全体を祟り殺していますとも」

憤懣やるかたないコノハナノサクヤビメのお言葉、いちいちごもっともでございます。

ふっと、出雲でニニギノミコトにお会いしたことを思い出しました。

決して悪いお方ではございませんが、世間知らずのお坊ちゃん的な感じを受けます。

なぜかわたくしを呼び止めては、しきりにコノハナノサクヤビメのことをお訊きになられていましたっけ。

考えこんでいるわたくしに、コノハナノサクヤビメは苦笑いなさいました。

「私もお姉様も、それにヤカミヒメも、『もう男はこりごり』っていう点で意気投合したのよ。だから出雲でもよく三人で女子会をしているの。さすがにヤカミヒメの元旦那のオオクニヌシノミコトはそっと見守っているだけだけど、ニニギノミコトは何かにつけて傍に来て話したそうなそぶりを見せるのよ。あいつだけじゃなくて男神が来るとうっとおしいから、三人で『来るな!』っていう〝気〟を放っているのよ」

そうでした。

なぜかお三方に男神が近寄ると祟り神も真っ青な殺気が巻き起こり、男神はそそくさと立ち去ってしまわれるのでした。

わたくしは、のほほんと歩いておりましても遠くからお三方ともすぐにお気づきになってお呼びくださいますから、よくオオモノヌシノカミ(大物主神)に「本当にウサギ神っていいよね〜」とうらやましがられております。

「時たまニニギノミコトから『コノハナノサクヤビメ、僕のこと、何か言ってなかった?』と訊かれましたが、あなたにまだ未練があるのでしょうね」

わたくしは、ため息交じりに本音を漏らしてしまいました。
 
コノハナノサクヤビメは、むっつりしてしまわれました。

「そのようね。うざいったら、ありゃしない。あなたも関わらない方がいいわ」

「親しいわけではございませんし、あちらからお声をかけられなければ、お話しすることはありませんから……」

コノハナノサクヤビメが、にやりとなさいます。

「そりゃあそうよね。最初は天津神の多くは国津神を軽んじていたけれど、オオモノヌシノカミがニニギノミコトの子孫である帝に喧嘩を売ったり祟ったりしたから、侮ればえらいことになるって理解しておとなしくなったわね。だいたいすんなり国譲りが成立したのは、オオクニヌシノミコトができたお方だったからよ。もしも、あそこで国津神を総動員して天津神と戦ってごらんなさい。天津神を退けることだってできたはずよ。もちろんたいへんな犠牲が出たでしょうけれどね。オオクニヌシノミコトが天津神の資質を見定めてお譲りになったから穏やかに支配権が移っただけなのに、何を勘違いしたのか、ニニギノミコトといい他の天津神といい……ふん!」

当時を思い出されたのか、お怒りがめらめらと燃え上がっておいでです。

今は双方の神はこの日の本の神として仲良くしていますが、中には恨み辛みをお持ちの方がおいでになっても当然でしょう。

それでも表だって争わず、できるだけ怒りも憎しみも流そうと心がけているので、この国は平和なのです。

(となると、鹿島はどうなっているのでしょう?)

嫌な思いに襲われたわたくしに、コノハナノサクヤビメが明るくおっしゃいました。

「着きましたよ。さあ、お入りになって」

いつのまにか、立派なお屋敷に来ておりました。

ただ、人間達に見えるのでしょうか、ここ?

「ここは人間が参拝するお社ではないのですか?」

コノハナノサクヤビメは、お笑いになりました。

「人間達が参拝する神社はあちこちにありますが、私たちはここに住んでいるの。ここからどの神社の様子もわかりますからね」

コノハナノサクヤビメに案内していただき、中へ入りました。

ご姉妹でお住まいになるのにふさわしい、華やかな女性らしいしつらいです。

やがてあるお部屋の前で、コノハナノサクヤビメはわたくしをそっと戸の陰に押しやり、人差し指を口に当てられました。

理由はわかりませんでしたが、お指図の通り黙って戸の陰におりました。

コノハナノサクヤビメは戸を開けられて、声をおかけになりました。

「ただいま戻りました」

「ずいぶん長い散歩でしたね。例の件で少し考えたいと外へ出ましたが、結論はでなかったのでしょう。わたくしも同じですよ。この件はオオモノヌシノカミかどなたかに相談しましょう」

懐かしい穏やかなイワナガヒメの声がしました。

コノハナノサクヤビメは、少しもったいぶった口調になられました。

「鹿島の件は、お姉様のお考え通りにした方が良いと思います。ところで、外へ出たおかげで珍しいお方に会いましたよ」

「どなた?」

不思議そうなお声がします。

コノハナノサクヤビメが手招きされましたので、わたくし、ちょこんと戸口から顔を出しました。

室内でお座りになってこちらを見ておられたイワナガヒメが、歓声をあげられます。

「まあ、シロナガミミノミコト! あらあら、どうして、あなたがここに? もう、コノハナノサクヤビメ、早くお通ししてちょうだい。さあ、こちらへどうぞ。誰か、極上のお茶とお菓子を持ってきておくれ」

驚きと喜びで大歓迎してくださるイワナガヒメのお傍へ、にこにこしておられるコノハナノサクヤビメと共に進み、わたくしも嬉しさに満ちた顔で御前に座り丁寧にお辞儀をしたのでした。

     



型どおりの挨拶をすませた後、侍女が薫り高い駿河のお茶とおいしそうなお菓子を持ってきてくれました。

まずはお茶とお菓子をいただき、一息つきました。

にこにこしながら見ておられたイワナガヒメが、身を乗り出されます。

「来られるなら、一言言ってくださればよかったのに。急な用件でおいでですか?」

わたくしは、湯呑みを持ったまま答えました。

「こちらへ来たのは、諏訪大社から飛ばされたからなのです。まさか富士山へ来ることになるとは、想像もしておりませんでした」

イワナガヒメが悲鳴をあげられました。

「諏訪大社って……タケミナカタノカミがおいでの所ですよね。何て酷いまねをするのかしら! あなたをここまで投げ飛ばすなんて!」

どうもご姉妹そろって、諏訪の大神様をとてつもなく乱暴な方だとお考えのようです。

確かに、あのお方は出雲へ全くいらっしゃいませんから、コノハナノサクヤビメもイワナガヒメも面識がなく、タケミカヅチノカミと同等の強さということで想像をたくましくしておられるのでしょう。

一度でもお会いになれば、そんな乱暴なことをなさる方ではないとわかっていただけると思うのですが。

今回の件が解決したら、タケミナカタノカミに年に一度出雲にお出でになるようお勧めした方がよさそうです。

「いえいえ、違います。あのお方はわたくしの危機を救ってくださって、共に鹿島神宮へ向かうところだったのです。それが何者かによって引き離され、わたくしだけこちらへ飛ばされました。決してウサギを蹴り飛ばしたり投げ飛ばしたりしたわけではないのです。たいそうお強い方ですが、とても真っ直ぐでお優しい大神様なんですよ」

わたくしは急いで、また諏訪の大神様のために弁明いたしました。

イワナガヒメが、はっとしたようにわたくしを見つめられます。

「鹿島神宮……いったい……」

「そのことを話し合うために、お連れしたのです、お姉様」

コノハナノサクヤビメが、わたくしの方をご覧になり説明を始められました。

「シロナガミミノミコト、今朝、私と姉は妙な気配を感じたのです。この富士山は霊山。山そのものがご神体とも聖域とも言える場所なのです。たとえ悪しき〝気〟が近づこうとも、ここへは入れません。ところが、ほんのわずかな髪が一筋そよ風になびく程度のものでしたが、はっきりとした悪意を私たちは感じたのです。この富士山中にある社の中で、です。ここに住んで以来、そのようなことは初めて……。そこで、すぐに調べたのです」

それまで黙っておられたイワナガヒメが、静かに続けられました。

「ところが駄目でした。そこでわたくしは、少し富士山から離れた方がわかるかもしれないと思い、わたくしの住まいである大室山おおむろやまへ行き、悪意の出所を調べたのです。ずいぶん時間がかかりましたが、夜になってようやくどうやら鹿島辺りから流れてきているらしいとわかったのです。驚きましたとも。あそこはタケミカヅチノカミの本拠地。こんなことが起きるなんて、信じられませんもの。それでここへ戻って来て妹に話したものの、いったいどうして鹿島からそのようなものがここまで漂ってきたのか、さっぱりわからなくて……」

「それで少し頭を冷やして考えるために外へ出て歩いていて、あなたにお会いしたのです」

コノハナノサクヤビメが、小さくため息をつかれます。

わたくしの長い耳が、ピクリと動きました。

「あの……異変を感じられたのは、今朝なのですね? それまでは何事もなかったのですね?」

イワナガヒメがうなずかれます。

「ええ、そうです。そして悪意を感じたのはその一瞬だけで、その後は何も……お心当たりがありますか?」

「実は今朝、白兎神社へ鹿島から遣いが来まして……そこから全てが始まったのです」

わたくしは、ゆっくりと因幡から富士山へ来るまでの一部始終をお話しいたしました。

ご姉妹は熱心に聞いておいででしたが、わたくしの長い話が終わった後、すっかり考え込んでしまわれました。

こちらからもあえて促さず、黙ってちんまりと座っておりました。

沈黙を破られたのは、コノハナノサクヤビメでした。

「シロナガミミノミコトの言うとおり、何から何までわからないことばかりですわ。ただ、鹿島で異変が起きているということだけは、はっきりしておりますが……」

イワナガヒメが、お考えをまとめるようにおっしゃいました。

「わかっていることを整理してみましょう。まず鹿島で〝軸〟をずらすような何かが起き、鹿島神宮の周囲には結界が張られていて、タケミカヅチノカミがどうしておられるのかは不明。さらに謎の敵もタケミカヅチノカミもシロナガミミノミコトを鹿島へ呼びたがっている。そして敵の中で一人だけ、シロナガミミノミコトを守ろうとしている者がいる。敵には、強い霊力を持つイザナミノミコト(伊耶那美命)の領巾ひれの化身すら手こずらせるほどの虻の群れを操ったり空間を歪めたりする力がある。そして、根の国も高天原も大騒ぎになるほどの問題が起きているのに、なぜか人間界の日の本ひのもとにはこれまで全く異変が起きておらず、今朝、微かな悪意とも言うべき気配が現れた……」

コノハナノサクヤビメが、わたくしをご覧になりました。

「つまりシロナガミミノミコトが動いたら鹿島の気配も活発化するように動いた。状況から見て、そう考えてよさそうですね」

「ええ、同感ですよ」

イワナガヒメが、うなずかれます。

わたくしは改めて決心しました。

「やはり、わたくしが鹿島へ行くことで、真相がはっきりすると存じます。夜が明けたら、鹿島へ参ります」

イワナガヒメが今までに見たこともない厳しい表情になられました。

「まあ、お待ちなさい。焦ってはなりません。あなたがこの事件の鍵を握っているとなると、あなたが敵の手に落ちれば何が起こるかわからないのですよ。ここは慎重に行動しなければ……。あのお強いタケミカヅチノカミですらどうなっているかわからず、そのお方と互角に戦ったタケミナカタノカミと畏れおおくもイザナミノミコトの領巾の化身のお二方の傍からあなたを連れ去ろうとしたほどの相手。ここから鹿島へ向かうとしても、どのように行くのです?」

そのとおりでございます。

〝神の道〟さえ安全ではなく、タケミナカタノカミと鳥もいない今、わたくし一人でどうやって鹿島へ行けましょう?

コノハナノサクヤビメが、慰めるようにおっしゃいました。

「もう少し様子を見ましょう。国譲りで『八百長試合』をした、あの二柱の武神達ですら苦戦する敵ですもの。あなたの身を守ることを第一に考えましょう」

「あ、あの〜……いくらなんでも、その〜、『八百長試合』は……」

こんな状況ですが、もごもごと言ってしまいました。

あのお二方の取っ組み合いの真相は、すでに日の本中の神々が知っていることですが、それでも一応、高天原においでの大神様達と天孫の名誉のために、皆で「知らなかったことにしよう」という暗黙のお約束があるのですから。

でも、さらっと言ってしまわれたところを見ると、やはり天孫である夫だったニニギノミコトに今もお怒りなのでしょうね。

イワナガヒメが苦笑されました。

「これこれ、コノハナノサクヤビメ。一応、みんなで『知らんぷり』をすることになっているのですから、そうはっきり口にするものではありません。ただ、あなたの言うとおり、あの『訳ありの戦い』をした二神を出し抜いている敵ですからね、よく考えてこちらも動かなければ……」

いえ、『訳ありの戦い』って『八百長試合』とそれほど違わないと思いますけれど……お姉様もお怒りなのですね。

無理もありませんが……。

コノハナノサクヤビメが、姉君に硬い表情を向けられました。

「どうしたらいいのかしら? 私とお姉様では、とてもシロナガミミノミコトを鹿島まで送れないわ。それにここを離れるわけにはいきませんし。やはり、どこぞの神に相談した方がいいのかしら?」

「オオモノヌシノカミやオオクニヌシノミコトでさえも考えあぐねておられるのですから、はてさてどなたに相談したものか……」

こうしてまた皆で考え込んでしまいましたが、ふと思いついて、ご姉妹に提案いたしました。

「タケミナカタノカミと鳥になっている領巾に、ここへ来てもらってはいかがでしょう? もちろんお二方はお会いしたことがないので呼びかけられないと思いますが、わたくしはどちらも知っております。ただ……恥ずかしながら、あまり力がないので、諏訪まで呼びかけが届くかどうかはわかりませんが……」

「それなら心配はいりませんよ。私とお姉様が力を貸しましょう。ね、お姉様」

「そうね。さすがに敵も、あなたがここにいるとは知らないでしょうし、万一近づいたとしてもこの霊山全体の結界を強化すれば、入り込むことは不可能ですもの」

コノハナノサクヤビメとイワナガヒメがうなずかれました。

そして、ご姉妹は両腕を上げられます。

「さあ、シロナガミミノミコト、手をつないで念じてください」

イワナガヒメのお言葉に従い、わたくしどもは互いに手をつなぎました。

そして懸命に諏訪の大神様と鳥に話しかけたのです。

最初はおぼろげに浮かんできただけでしたが、だんだんわたくしの頭にタケミナカタノカミのお姿が少しずつ現れてきます。

その傍らに鳥もいます。

諏訪大社ではなく、どこかを歩いておられるような感じです。

ご姉妹の頭の中にも同じ映像が浮かんでいることは、はっきりわかります。

ええ、わたくしたち、手を取り合い、互いに映像を共有し合っているのです。

「タケミナカタノカミ、鉢巻きさん、聞こえますか、シロナガミミノミコトです」

必死に呼びかけますが、答えはありません。

突然、ばっつりと映像が途絶えました。

「え? どうしたんでしょうか?」

「今見えたのは、おそらく〝神の道〟……そしてこんなふうに途切れてしまうということは、どうやら戦闘に入られたのかと」

イワナガヒメが、顔をしかめられました。

コノハナノサクヤビメも、額に縦皺を寄せておいでです。

「おそらくあなたを追って鹿島神宮へ向かわれた途中で何者かに襲われ、戦っておられるのですね」

わたくし達は手を離しました。

「戦闘中に下手に呼びかけなどして気をそらせては危険ですし、しばらく声をかけられませんね。あの諏訪の大神様とイザナミノミコトの領巾の化身が一緒なのですから、心配はないと思いますが……」

だんだん事態は混迷を極めております。

イワナガヒメが、コノハナノサクヤビメにおっしゃいました。

「まさかタケミナカタノカミにまで戦いを挑んでくるとは……事態の究明を急がなければならないようですね。後で呼びかけたならば、お二方は鹿島に着いておられるかもしれません。そこからこちらへ迎えに来ていただくと、また道中で何があるかわかりません。こちらからシロナガミミノミコトに太郎坊を付けて、鹿島神宮ではなくその近くへ送るというのはどうかしら? タケミナカタノカミと領巾の化身は手間取るかもしれませんが、必ず敵をなぎ払って鹿島へ行かれるわ。シロナガミミノミコトを先に鹿島へ送り、そこでお二方と合流して鹿島神宮へ向かうようにすれば安全ではないかと思うの。あちらの戦闘が終われば連絡できるでしょうし、太郎坊がいればわたくしたちの代わりに、お力をお貸しすることもできましょう」

コノハナノサクヤビメはうなずかれました。

「今のところ、それ以上の案はありませんね」

同意し合っておられるご姉妹に、うかがいました。

「太郎坊って、どなたですか?」

イワナガヒメが、にっこりされます。

「この富士山に住む天狗です。武神ほどの力はありませんが、様々な神通力を使い、空を飛ぶこともできます。地上のどこもが危険であれば、空を行くのが安全ですよ」

このわたくしが、空を飛ぶのですか?

ええ、もちろん、自力で飛ぶのではありませんが、ウサギが空を行くって……。

驚きと期待でぼーっとしてしまったわたくしに、コノハナノサクヤビメが微笑みかけておいでです。

「後のことは私たちが手配します。あなたは、ゆっくり朝までお休みなさい。虻に追い回されたり、穴に落とされたり、耳を掴まれたり、さんざんな日でしたから疲れたでしょう。こちらへいらっしゃい」

イワナガヒメも笑顔でうなずいておられます。

わたくしはイワナガヒメに一礼し、コノハナノサクヤビメについてお部屋を出ました。

案内されたお部屋では、侍女が布団を敷いていました。

「さあ、こちらでお休みください。大丈夫、結界を強化しましたから。安心して眠ってください。明日は、いよいよ鹿島の近くまで行くのですし」

侍女は無言のままにっこりしながら立ち上がり、出て行きました。

コノハナノサクヤビメが、すまなそうな表情におなりです。

「本来なら私の手であなたとタケミナカタノカミ、そしてイザナミノミコトの領巾の化身と合流させてあげたいのですが、私たち姉妹は武神ではないうえ、こうも予測不可能な事態では富士山を離れることができません。この霊山に何かが起これば、日の本は大変な惨事に見舞われます。この山は、この国の精神的な力のかなめになっていますからね」

「はい。わたくしもあなた方はここを離れてはならないと存じます。精神的な力は、神のみならず人にも大きな影響を与えます。何が起こるかわからない今、あなたとイワナガヒメがこの霊山一帯をお守りせねばなりますまい。不吉なことを申し上げるようですが、不穏な出来事がここで起きたとしても、いつもならばすぐに他の神々が助けに駆けつけられましょうが、今の不安定な状態では皆様も動けるかどうかわかりません」

コノハナノサクヤビメは、そっとわたくしの頭を撫でてくださいました。

「ゆっくり眠ってください。明日のことは、すべて準備しておきますから」

「ありがとうございます」

コノハナノサクヤビメがお部屋を出て行かれた後、わたくしはすぐにふかふかの布団に潜り込みました。

これからの危険や恐怖を感じるよりも、全身の疲れの方が大きかったのです。

富士山の霊気に包まれて、安らぎを感じます。

そのおかげで目を閉じるやいなや、わたくしはぐっすりと寝込んでしまったのです。





微かに身体が揺すられて、目を覚ましました。

室内に窓からやわらかい陽の光が入り、ほんのり明るくなっています。

イワナガヒメが、心配そうにのぞき込んでおいでです。

「もう朝ですか? おはようございます」

あわてて起き上がったわたくしに、イワナガヒメがほっとしたようにおっしゃいました。

「よかったわ。あまりにも深く寝入っているので、死んでいるんじゃないかと思いましたよ」

いえいえ、殺さないでください。

わたくし、まだピンピンしておりますから。

「一気に疲れが出てしまったのです。ご心配をおかけして、申し訳ございません」

イワナガヒメが、にっこりされます。

「ささ、朝餉あさげができていますよ」

イワナガヒメに続いて、昨日話し合ったお部屋へ行きました。

すでにお膳が三組用意され、おいしそうな香りがしています。

待っておられたコノハナノサクヤビメが、満足そうにうなずかれました。

「疲れがとれているようですね。できるだけこの山の霊気をあなたに向けましたが、得体の知れない敵と次々に遭遇して身についた悪しき〝気〟を完全に祓えるかどうか心配でした……よかったわ」

「そのおかげでしたか。昨夜はぐっすりと眠り、もう元気です。お気遣い、ありがとう存じます」

わたくしは、勧められてお膳の前に座りました。

イワナガヒメもご自分の席に着かれ、わたくしはご姉妹と共に美味な朝餉をいただいたのでした。

食事中は誰もが鹿島神宮の件は口にせず、富士山のことや因幡の暮らしなどの話題に花を咲かせ、わたくしはご飯をお代わりして、すっかり平らげてしまいました。

「ご馳走様でした。お味はもちろん、込められた霊気も大変な身の養いとなりました」

侍女達がお膳を下げてゆくのを見送り、わたくしはご姉妹にお礼を申し上げました。

コノハナノサクヤビメが、明るい表情から真面目なお顔になられます。

「せめて、あなたの体力と神気を回復させてあげなければと思いましたから。鹿島までの旅はともかく、そこでタケミナカタノカミとイザナミノミコトの領巾の化身と合流し鹿島神宮へ行けば、何が起きることか……」

「くれぐれもお気をつけくださいね」

イワナガヒメも厳しいお顔をなさっています。
 
わたくしは無言でうなずきました。

こんな事態は初めてですから、どうしても緊張してしまいます。

「失礼いたします。太郎坊が参りました」

開け放った廊下側の戸口から、侍女の声がします。

「通しなさい」

イワナガヒメのお言葉で、誰かが入ってきました。

背は人間の男よりも高く、赤い顔に長い鼻、ぎょろりとした眼、そして修験者の格好をして錫杖しゃくじょうを手にしています。

「シロナガミミノミコト、あなたを鹿島までお送りする天狗の太郎坊です。太郎坊、こちらがシロナガミミノミコトです。ご挨拶をなさい」

イワナガヒメに紹介されまして、わたくしは天狗に頭を下げました。

天狗はじろりと値踏みするようにこちらを見まわしてから、もったいぶった様子でその場に座りました。

そのふてぶてしい態度に、どうしてよいのか困ってしまいました。

わたくしのとまどいに気づかれたのか、コノハナノサクヤビメが優しくおっしゃいました。

「シロナガミミノミコト、天狗はこの通り態度が大きいのです。どうぞお気になさらないでください。誰に対してもこのようなものなのです。でも間違いなくあなたをお守りしてお送りし、タケミナカタノカミ達と連絡が取れるように計らってくれますゆえ、ご安心を」

「はい」

わたくしはほっとして太郎坊ににっこりしました。

「お世話になります」

太郎坊が破れ鐘われがねのような声でわたくしに問いかけました。

「諏訪大社で、何か食わなかったか?」

「はあ? ……えっと……そばがきを食べましたが……」

あまりにも唐突な質問にしどろもどろになってしまいました。

ご姉妹も首を傾げておいでです。

「何を言いだすのですか、太郎坊?」

コノハナノサクヤビメの問いかけには答えず、天狗はわたくしを凝視したまま続けました。

「そうか、蕎麦を食ったか。なるほど……それで命拾いしたな」

え?

蕎麦ですか?

確かにあのそばがきは美味しゅうございましたが、命拾いって……。

イワナガヒメが、少しイライラしたご様子になりました。

「わけのわからないことを……そばがきで命拾いとは、どういう事です」

さすがに女神様の不機嫌に気づいたのか、天狗は少しだけご姉妹の方に身体を向けて腕組みをしました。

「昨夜、遣いの者から話を伺い、一族の者達と話し合った。鹿島の件はわからなかったが、ウサギ神が空間を歪めた穴に落ちたとき剣で斬って難を逃れた点について年寄りが見当をつけた。おそらくその穴は、魔性の生き物の腹の中だったのだろうと……」

わたくし、ポカンと口を開けてしまいました。

ご姉妹も目を見張っておいでです。

生き物の腹の中って、あんなに大きな生き物がいるんですか?

訊きたいことに気づいているらしく、太郎坊は大仰にうなずきました。

「そうだ、ただの空間にできた穴ではない。この日の本の通常の空間を歪めて異界へと繋げ、そこに待機させていた魔性の者が飲み込んだのだろうと、その年寄りは言うておった。そうそうできることではないが、できないことでもないらしい。最初、異界のどこぞの場所に閉じ込めてから連れ去ろうとしたのに失敗して敵も考え、直接使い魔の腹の中に入れて鹿島へ運ぼうとしたのだろうとな。ただし呪印を斬れない剣では、いくら生き物とはいえ呪力で守られている奴は斬れぬ。それゆえ、たまたま何か強い魔除けの食材を食べ、その力が宿っていた時だったから、神の剣に魔除けの力が呼応し斬ることができたのだ」

なるほど、蕎麦には魔除けの力があると聞いたことがございます。

あのそばがきは、単なる回復だけではなく魔除けの力まで兼ね備えていたのですね。

「では、わたくしは知らずに魔性の者を斬り殺していたのですか?」

太郎坊は首を横に振りました。

「死んだなら近くに死体があるはずだ。おそらく耐えきれずにおまえを吐き出し、逃げたのだろう」

「そうすると、わたくしの身体には魔除けの力が宿っているのですか?」

「もう消えたな。その剣のことは、以前に女神達から伺った。国造りの大神から賜った剣だったからこそ、蕎麦の魔除けの力が最大限に引き出され敵を打ち破った。だが、しょせんはちっぽけな力よ。すでに使い切ったわ」

はあ〜。

思わずため息をついてしまいました。

「それでは鹿島までの危険な道中、もう守りの力はないのですね」

しょんぼりしたわたくしの長い耳に、再び破れ鐘のような声が響きました。

「ふざけるな! わしを誰だと思っている。富士山太郎坊だぞ! ふん、そんなケチな連中など敵ではないわ」

うそぶく天狗に、イワナガヒメが厳しくおっしゃいました。

「相手を甘く見るでない。〝軸〟をずらし、根の国や高天原にまで異変を起こすほどの相手ぞ。これまで以上の敵にまみえることもありえます。おまえの力は確かに強大ですが、日の本にはおまえがかなわぬ相手も大勢います。うぬぼれもたいがいにせよ」

それでも天狗は、平然としております。

なるほど、本当にふてぶてしいのですね。

この非常時には、頼もしい存在です。

「では、太郎坊さん、よろしくお願いいたします」

「ふん」

傍らに置いてあった梨割剣と袋を身につけ、わたくしと天狗とご姉妹は無言で玄関へ向かいます。

外は清々しく晴れ渡っていました。

「よいお天気です。鹿島まですんなり行けそうですよ」

わたくしがにっこりしますと、ご姉妹よりも先に天狗が鼻を鳴らしました。

「当然だ、このわしが一緒なのだからな」

コノハナノサクヤビメが、わたくしにおっしゃいました。

「くれぐれも注意してください。決して単独で動かず、タケミナカタノカミと領巾の化身の到着を待つのですよ」

イワナガヒメが、太郎坊をじっと見ておいでです。

「シロナガミミノミコトを、必ずタケミナカタノカミとイザナミノミコトの領巾の化身である鳥に会わせてください。それまでは、おまえがお守りするのです」

「容易いこと」

天狗は、わたくしに背を向けました。

「乗れ」

わたくしは、素直に天狗の背におぶさりました。

「行くぞ」

バサリと音がして、それまで見えなかった翼が天狗の背中から現れ、わたくしと天狗の間に広がります。

わたくしは、ご姉妹にお別れの挨拶をしました。

「ありがとうございます、イワナガヒメ、コノハナノサクヤビメ。お二方も、どうぞお気をつけて。また出雲大社でお会いしましょう」

ふわりと天狗が浮き上がりました。

首にしがみつくと、太郎坊が怒鳴ります。

「しっかり捕まっていろ」

すぐさまぐんぐん上昇してゆきます。

手を振っておられるご姉妹が、下の方に小さく見えます。

そして、前方へと進み始めました。

わたくし、空を飛んでいます!

富士山が見えます。

それも頂近くですよ。

大勢の天狗がこちらを見ていることに気づきました。

きっとご家族やご親戚、お仲間なのでしょう。

でも、それを問いかけることはできませんでした。

たいへんな速さで、わたくしを乗せた天狗が飛んでいるのです。

キラキラと駿河の海が光り、潮風がわたくしの長い耳を後ろへ飛ばさんばかりに吹き付けます。

必死に捕まっているのが精一杯で、とても口を開くことなどできません。

天狗も無言で飛んでいます。

やがて海の色が少し変わり、人間が多く行き来する街道や街が見えてきました。

(きっと話に聞いた江戸に近づいているのでしょう。速いですね〜。えっと、鹿島はもっと北東のはずですが、この調子ならもうすぐですね。ああ、わたくしが空を飛んだなどと話したら、ヤカミヒメや因幡の神々がびっくりなさるでしょうね)

暢気にそんなことを考えているうちに、天狗がピタリと空中で止まりました。

もちろんバサリバサリと羽ばたきを続けていますが、まるで立っているかのような姿勢になっています。

「どうしたんですか?」

「ここは……こんなふうな場所だったか?」


        つづく

富士山へ飛ばされ、親しい女神たちと再会、天狗に助けられて鹿島へ向かうシロナガミミノミコト。

空中は安全だから選んだルートのはずですが……。

次回はいよいよ謎の敵と遭遇します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?