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ショートストーリーの茶話会 6

ラストは少々コメディタッチですが、やり場のない不条理に対する怒りや自殺を扱う、ややダークなストーリーです。

続編が二話あります。そのうちに。


題名『俺が死神と出会った話』

疲れた。
もう、どうでもいい。
俺の人生、何だったんだよ。
こんな俺なんて、生きてる価値ないよな。
人のいない暗いプラットホームで、俺は線路を見つめた。
駅員の姿もない小さな駅。
都内とはいえ、郊外にこういう所もあるんだな。
縁もゆかりもない駅に、どうして来ちゃったんだろう?
ぼんやり電車を乗り継いでいたら、最後に降りたのがここだった。
遠くから灯りが近づいてくる。
ああ、電車が来るんだ。
自然に足が白線の向こう側へ踏み出す。
なぜだろう、ふーっと線路の方へ吸い込まれる。
このまま向こうから引き込む力にまかせれば、楽になるはずだ。
来年は四十才か。
もう充分生きた。
頑張ったよな、俺。
だんだん電車が近づいてくる。
考えるのも嫌になって、俺は線路から引き寄せようとする未知の力に身を委ねた。


小学生高学年頃から、俺は怠さや偏頭痛に悩まされるようになった。
病院へ行っても、身体のどこにも異常はない。
だが中学生になるとさらに悪化し、特に試験前や行事などの前には、いっそうひどくなった。
心配した両親にあちこちの病院へ連れて行かれたが、どこでも「異常なし」と告げられ、親たちはだんだん「おまえが怠けているだけだろう」という態度に変わった。
兄貴も同じだ。
毎日「都合の悪いことから逃げてるんじゃねえ」「怠けるな」と、顔を合わせる度に怒鳴られた。
「俺が悪いんだ、気合いが足りないんだ」と自分を叱咤して頑張り、何とか高校大学へ進学したが、慢性的に怠く、頭がボーッとして、緊張する場面になるとさらに症状が悪化するのは変わらなかった。
最初は母親も心配して、食事を和食中心にしたり豆乳を用意したりしてくれたが、効果はなかった。
自分でも体育系の部活に挑戦したり、リラックスするために楽器を始めたりしたが、どれも倦怠感と疲労で続かなかった。
大学を出て就職したが、長続きせず、半年で辞めた。
いや、首になった。
それからは派遣やバイトをしながら正社員を目指したが、すぐに疲れてしまって続かない。
中学生頃から、親も兄貴も俺を非難するのが習慣になっていた。
怠け者
わがまま
身勝手
辛抱が足りない
どこも悪くないのに病気のふり
五体満足のくせに恥ずかしくないのか
性格も根性も悪い
嘘つき
親父からは「しょうもないろくでなし」、おふくろからは「こんな子に育てた覚えはない」と説教される毎日。
兄貴にも、兄貴が高校からつきあってきた彼女にも、そして結婚して義姉になっても、おまけにその子供達にまで、「怠け者でわがままでまともに仕事もできない奴」と言われ続けている。
ようやく三十才手前で医療系の社団法人に正職員として採用され、家を出た。
仕事は何とか続けられたが給料は安い。
10年勤めて、月の手取り十五万。
ボーナス無し。
職場でも疲れやすいし、頭はいつもぼーっとしているが、必死に頑張って仕事を続けた。
1人だけの後輩から毎日「そんな仕事でよく給料もらえますね?」「しっかりしてくださいよ、世間は甘くないんですから」「社会人として恥ずかしくないんですか?」とネチネチ。
室長がやんわりとがめても、「僕、あの人のために言ってあげているんですから」「真人間になってほしいんですよ」で笑って終わり。
パートのおばちゃん達や他の職員は、普通に接してくれるが後輩を咎めるわけでなし。
怒る気力もない。
俺だってそう思うよ。
ぼんやりする頭とだるい身体を気力でむち打って生きてきたが、ある日、うちの法人と関わりが深い大学病院から、治験のために一人貸してほしいと依頼が来た。
室長に勧められて、一泊二日の出張扱いで入院し、採血やら尿検査やらなんやらをされた。
何の検査なのか、説明されたが覚えていなかった。
翌日、教授や医師やインターンの団体が分厚い書類を抱えてやってきて、このまま入院して治療に協力して欲しいと言った。
「クビになる!」と拒否する俺に、教授はすでに職場に話してOKをもらい、有給扱いになると説明した。
それならばと承諾して、詳しい話を聞いて愕然とした。
俺が小学生時代から苦しんできた倦怠感は、怠けでも性格が悪いのでもなく、食物アレルギーのせいだったと判明したのだ。
しかも、米、麦、大豆の三点セットでアレルギー!
つまり、ご飯、パン、パスタ、菓子、麺類、醤油、味噌、豆腐や油揚げなどはすべてアレルゲン。
つけ加えれば、市販のハンバーグやちくわなどの練り製品など加工食品には小麦タンパク質や大豆タンパク質が混ぜられているものが多く、フライや天ぷらやフライドチキンもすべて俺にとってはNG食品。
食べるもの、あるのか?
ぼんやりした頭でそんなことを考えつつ入院を継続し、治療を受けた。
治療と言っても、薬ではなく、徹底的にアレルゲンを除いた食事療法だった。
ご飯やパンはないが、時折パスタは出る。
あわ、ひえ、きびなどの雑穀で作ったものらしい。
醤油っぽい味付けもあるが、大豆と小麦で作る普通の醤油じゃなくて、キヌアや雑穀を加工したものだとか。
そんなものがあるんだ~と感心できるようになったのは、入院して一週間をすぎたころからだった。
突然、頭がしゃっきりして、今まで霧に覆われていたような頭の中が澄み渡ったのだ。
身体は驚くほど疲れない。
仕事をしていないからなどの理由じゃない。
いわゆる普通の疲労感とは違う、地面にのめりこみそうな異様な倦怠感が消えたのだ。
十日目から、身体の運動機能測定にも協力した。
体力が無いと思っていたのはアレルギーによる怠さのせいで、俺の身体機能は年齢相応、三十九才成人男性の値だった。
十五日目になると、入院が苦痛になってきた。
最初は好きなだけ寝ていられて幸せだったのだが、頭も身体もしゃきりとすると、退屈でたまらない。
ブルーライトの刺激を避けるため、ゲームもネットもダメ。
読書かテレビか散歩か。
「病人じゃないんですから」と医師に控えめに文句を言ったら、嬉しそうに笑っていた。
「それだけ元気になったってことだね」
医師の言葉に、俺は納得した。
そっか、これが本来の自分なんだって。
なぜか心理テストやら知能検査やら職能テストやら、アレルギーとどう関係するのかわからない調査にも協力を依頼され、退屈しのぎにすべて受け入れて検査三昧の日々になった。
この頃から、妙なモヤモヤが胸の中に沸いてきた。
最初は小さかったが、日を追うごとにモヤモヤは広がっていった。
身体の異常じゃない。
心の中のモヤモヤだ。
一日の検査スケジュールを終えて、夜に病室で寝ながら考えてみたが、モヤモヤの正体はわからなかった。
そのうち気づくだろうと放っておくことにして、俺はアレルギー除去食と検査の毎日をこなしていった。
二十二日目から食事、生活指導が始まった。
きれいごとや理想論じゃない、実際に通勤する男の一人暮らしでできる生活上のノウハウを学んだ。
コンビニにサラダチキンやできあいのサラダやバナナがあるのはありがたい。
ナッツだってある。
スーパーへ行けば、緑豆春雨やチーズや新鮮な野菜、肉、魚、果物がある
ビールや日本酒はダメでも、芋焼酎やワインは飲める。
俺にとっては、自然食レストランの「玄米、無農薬野菜、自然放牧肉、自然採取の魚」で作ったヘルシーメニューより、コンビニで買った「サラダチキン、サラダ、ゆで卵、バナナ、ポテトチップス」の方がずっとヘルシーだ。
過去に健康に気をつけて摂っていたものが、すべて俺の身体を痛めつけていたなんて皮肉なものだ。
ジムに通うのもありだ。
もう変な怠さはないから、身体を鍛えられる。
アレルギーは治らなくても、基礎体力をつけることで免疫力を上げられるだろう。
ストレスもアレルギーを悪化させるから、試験やイベント前に具合が悪くなるのも当たり前。
俺の性格や根性が悪いわけじゃなかったんだ。
もちろん入院はこれまでの「毒抜き」で、根本からアレルギー体質が治ったわけじゃない。
かろうじて醤油はOKになったが、その他の食物は充分気をつけるようにと医師と管理栄養士から念を押された。
退院前日、俺はしばらくぶりに母親にLINEした。
二世帯住宅で兄貴一家も住んでいるから、一人暮らしを始めてからは年始に顔を出すくらいで、たまにおふくろから生死確認のLINEが来る程度のつきあいだ。
医師の診断書を添えて、俺が怠けていたんじゃなくてアレルギーだったこと、入院で体調は整ったがこの先も食事には注意する必要があることなどを細かく知らせた。
とにかく、わかってほしかったんだ。
俺は怠け者でも嘘つきでもない、本当に苦しんできたんだってことを。
その日に、母親からは既読になっても返事はなかった。
翌朝、お世話になった教授や医師や看護師さんたちに見送られて病院を出たら、すぐに母親から連絡が来た。
「今夜、退院祝いをするからうちへ来るように。何時頃来られるか?」という知らせだった。
不思議な気持ちだった。
嬉しいのに、いらだたしい。
会いたいのに、顔も見たくない。
何なんだ、このモヤモヤは?
ややしばらくしてから、「今日は会社へ顔を出すが、十九時には行ける」と返しておいた。
もともと一泊二日の予定だったので、荷物は小さなものだ。
必要なものはすべて病院で無料レンタルしてくれた。
治験の延長だからという特別待遇だった。
まっすぐ職場へ行った。
すでに始業時間になっていたが、室長もスタッフも驚いたような顔で迎えてくれた。
俺のアレルギーのことはすでに全員知っていた。
室長や皆から贈られるいたわりの言葉が身にしみる。
ただ、ネチネチ後輩だけは、「アレルギーを仕事ができない言い訳にするのは、社会人としていかがなものか」と新たなバージョンを展開してきた。
周囲が戒めたが、「アレルギーくらいで年がら年中具合が悪いって、甘えでしょう」「この人のために言ってるんですよ」「仕事に支障が出るくらいなら、責任を取って辞めたらどうですか?」と、だんだんテンションが上がってくる。
とうとう室長が口を開こうとしたが、俺は笑みを浮かべて前へ出た。
「そうですね、社会人として責任を持たなきゃいけませんよね。俺が休んでいた間の仕事、始めますよ」
さっさと席について、積み上げられた書類を手にしつつ、パソコンを立ち上げる。
「退院したばかりなんだから、無理しないで」とパートのおばちゃんが心配してくれたが、俺は悠然と笑っていた。
「ありがとうございます。でも、すっかり体調がよくなりましたから、少しでも遅れを取り戻したいんですよ」
俺はさっさと仕事を始めた。
後輩が側に来て何か言おうとしたが、俺はすばやくさえぎった。
「いつまで、くっちゃべってるんだ?就業時間だろう?社会人がそんなけじめもつけられなくて恥ずかしくないのか」
いつもボーッとしている無気力な俺が言い返すなど、想像もしていなかったのだろう。
奴は口をパクパクさせていたが、また何か言おうとした。
だが、室長の方が早かった。
「君も仕事をしたまえ」
聞こえよがしにぶつぶつ言いながら奴は自分の席に戻り、他の人たちは心配そうに俺を見ながら自席で仕事を始めた。
俺はどんどん作業を進めた。
自分でも驚くほど軽やかにスピーディーに仕事がはかどる。
今の時期は閑散期だということもあるが、もともとこの法人組織自体、天下りの受け入れと政治家の資金集めパーティーの斡旋など団体と政治家を結ぶ目的で作られたようなところだから、年に一~二度の法人団体の会合や選挙時の対応などの繁忙期以外は、仕事量自体が一般企業に比べて極めて少ない。
俺が一ヶ月ためこんだ仕事は、昼にはあっさりと片付いた。
以前ならどうあがいても一週間はかかっただろうが、すっきりした頭と元気な身体ならこうも簡単に処理できるのかと自分で驚いた。
昼休みの合図のベルが鳴ると同時に、後輩が飛んできて俺のパソコン画面をのぞき込んだ。
「全部終わったよ」
それだけ言ってシャットダウンし、書類を手にして室長のデスクへ行き、手渡した。
「お願いします」
室長は受け取りながら、驚きを隠さなかった。
「パソコンから来たデータを見たが、完璧にできあがっているね」
俺は微笑した。
「書類も大丈夫なはずです。ミスがあったら、すぐに訂正しますので」
そして、しつこく俺に近づいてきた後輩とすれ違うように奴のデスクへ行った。
「あのさあ、まだこんなに仕事残ってんの?私は一ヶ月たまっていたのを午前で片付けたんだけど。君はずっといたんだよね?何やってるの?こんなに遅くて、社会人として恥ずかしくないの?それに君は健康なんだよね?ずっと半病人だった私と同レベルって、世間は甘くないんだよ。そんなに仕事ができないなら、責任とってやめれば?」
呆気にとられている後輩に、俺はネチネチと今まで言われてきたことを返してやった。
奴は必死に反撃しようとしたが、俺はプリントしておいたすでに終わった自分の仕事の一覧表を目の前に出してやった。
「私は完全に仕上げて終わらせたよ。君、何やってんの?他人にぐちゃぐちゃ言う前に、自分の無能を反省したら?口を動かすよりも働けば?」
俺の方が簡単に終えた証拠を突きつけられて、奴は矛先を変えた。
「そんな言い方しなくてもいいでしょう?いくら何でも失礼だ」
「ほおう。そんな失礼なことを、ずっと私に言ってきたんだ?私は君に真人間になってほしいから、あえて過去に君に言われてきたことを君に返しているんだよ。毎日毎日私に言っていたことって、嫌がらせだったの?」
奴は目で周囲に助けを求めたが、誰も助け船を出さない。
そうだよ、この職場は良くも悪くも「当たり障り無く」をモットーにしているんだから。
俺は必死に言い返そうとしている奴に背を向けて、室長に帰宅の許可をもらった。
今日は挨拶だけのつもりが、流れでたまっている仕事を片付けてしまい、もういる意味は無い。
室長が帰宅許可をくれて、俺はしばらくぶりに小さなアパートへ帰った。
安っぽい鍵を開けて4畳半、流しと一口ガスコンロの半畳のキッチン、トイレとシャワーが強引に一つになっているだけの月4万円の俺の住まいに入ると、湿っぽい臭いが鼻を突いた。
一ヶ月も締め切っていたからな。
窓を開けて空気を入れ換え、改めて見回したが、ほとんど何もない部屋だ。
隅に畳んでおいてある布団、折りたたみ式のちゃぶ台、テレビは畳に直置き、衣類や日用品は半間の物入れに収まる程度。
ため息が出た。
半病人状態で精一杯頑張って、この生活。
もし、もっと早くアレルギーだとわかって対処して健康体になっていたら、違う生き方ができたんじゃないか?
もっと良い給料をもらえる会社に勤めて、結婚して子供がいる家庭を築けたんじゃないのか?
ぼんやりそんなことを考えながら座り込んでいると、あたりが暗くなってきた。
時計を見ると十七時過ぎだ。
急いで窓を閉めて、ざっと掃除をしてからしばらくぶりに親兄弟のいる二世帯住宅へ向かった。
十九時ちょうどに、昔は自分の、今は親と兄一家の家のベルを押した。
すぐさま、母親が出てきた。
促されてダイニングへ行くと、なぜか父親やいつも帰りが遅い兄貴や共働きの義姉、そして高校生の姪と中学生の甥まで揃っていた。
母親がニコニコしている。
「まさかアレルギーだったなんてね。よかったね、元気になって」
いつも俺には仏頂面の義姉まで笑っている。
「退院のお祝い。さあ、座って」
テーブルを見て、俺は顔が引きつった。
「俺のお祝い?」
掠れた声で問いかけた。
兄貴がうなずく。
「ああ、おまえが元気になった祝いだ。みんな、そのために早く帰ってきたんだ」
入院中から芽生えていたモヤモヤが消えた。
腹の底から、カーッとわき上がるものがある。
モヤモヤは激しい怒りに変わっていた。
「ふざけるな!」
俺は全力でテーブルをひっくり返した。
皿もコップも料理も飛び散る。
「何するのよ!せっかく用意したのに!」
わめく義姉に、俺は怒鳴りつけた。
「俺をまた病院送りにしたいのか?アレルギーだって言ったよな。米と麦と大豆がアレルゲンだって知らせたよな?その俺の退院祝いが、鮨に唐揚げに麻婆豆腐に天ぷらにケーキかよ!そんなに俺をまた病人に戻したいのか!」
義姉はようやく気づいたらしく顔色を変えて、あわてて言い訳した。
「いや、入院して治ったと思って……子供達も久しぶりにみんなが揃ってごちそうだから食べたがっていたし、みんな大好きな物ばかりで……」
腹の底から湧き上がってきた怒りが頭にまで一気に上り噴火した。
「そうか、俺を口実にして、結局ガキどもや自分たちが食いたいものを並べただけか。何が俺の祝いだ!だいたい、偉そうに『祝ってやる』とかほざく前に、おまえら俺に謝るのが先だろう!」
全く予想していなかったのだろう。
全員ポカンとしている。
そのあほ面に向かって、俺はあらんかぎりの大声で怒鳴った。
「俺は怠けていたんでも病気のふりをしてグダグダしていたんでもない。本当に苦しんで苦しんで、それでも必死にがんばってきたんだ!そんな俺にあんたら、何て言ってきた?親父もおふくろも兄貴も姉貴も、ろくでなし、怠け者、ぐうたら、言いたい放題言ってくれたよな?あんたらのガキどもも、親や祖父母にならって俺に言いたい放題。謝れよ!全員土下座して謝れよ!偉そうに、俺に毒を盛るような食事作って、祝ってやるなんて、ふざけるな!」
ようやく、入院中から感じていたモヤモヤの正体がわかった。
俺は怒っていたんだ。
自分は全然悪くないのに、何十年もののしられてきて、馬鹿にされて、自分で自分が嫌になって、必死に頑張ったのに、また馬鹿にされてののしられて……。
母親が小さく反論してきた。
「だって知らなかったんだし」
義姉もすぐに大声で続いた。
「そうよ、知らなかったから仕方ないじゃない。悪気はなかったの、あなたのためを思っていたのよ」
「ああ、そうですか。知らなければ、どんなに俺を傷つけて踏みにじっても、無かったことですませるんですか!以前、隣の嫁さんが『お義母さんが無神経にいろんなことを言ってきたり、いらないものを持ってきても、うちの主人は悪気はないからって。本当に悪気はないのがわかるけど、我慢しなくちゃいけないのか?』って泣いたとき、あんたら『悪気がないのが一番たちが悪い。悪気はないんで~すで、すむことじゃない』って怒ってたよな?じゃ、自分はどうなんだ?悪気がなけりゃ、俺に何を言ってもいいのかよ!」
兄貴がたしなめるように口を挟んだ。
「でももうすんだことだ。おまえも元気になったんだし」
俺は兄貴をぶん殴った。
「はあ~?あんたらは『すんだこと』だろうが、何十年も毎日毎日一年365日、罵られ続けてきた俺の気持ちがわかるのかよ?だったら、俺がこれから毎日毎日ここへ来て、おまえら全員、この先30年間『無神経、身勝手、人でなし』って罵ってやるよ。それでおあいこだろう!」
起き上がった兄貴を含めて全員、化け物でもあるかのように俺を見ている。
どうせわかりゃしない、俺の苦しさなんて。
俺は家を飛び出し、あてもなく歩き回った。
わかっている。
誰も悪くない。
当時の医者だって、俺がまさかこんなアレルギーで調子が悪かったとは気づかなかったんだから。
わかっているよ。
俺だって、親や兄貴と同じ立場で、俺みたいな兄弟がいたら、同じ事を言っていたと思うし。
でも、俺はそっち側の人間じゃない。
罵られ、馬鹿にされてきた、こっち側の人間なんだ。
30年に及ぶ、家族にも周囲にも誤解されて孤立して自己嫌悪に悩み苦しんできた俺の心の中は、誰も思いやってくれないのかよ?
「アレルギーがわかって体調がよくなってよかったね、はっはっは、過去は水に流しなさい」って、おまえらはそれでいいだろうよ。
でも俺の気持ちはどうなんだよ。
怒りは、だんだん重い疲労感に変わっていった。
病院では、うまく生きられないのは自分の性格が悪いからじゃないとわかり、身体はすっきりして、とても幸せな気分になっていた。
だが、現実に引き戻されると、あまりにも無神経な家族、家族にも周囲にも馬鹿にされ続け、この年になっても安い給料で働くしかない自分のみじめさ、まともな体調ならつかんでいたはずのチャンスなどなど、失ってきたものの大きさと深い悲しみに直面してしまった。
もう失った若い時代は戻ってこない。
馬鹿にされてきた過去は消えない。
重いよ。
やりなおす?
簡単に言ってくれるなよ。
この先も、こんなものを背負って生きていくなんて辛すぎる。
気がつくと、知らない駅のプラットホームに立っていた。
電車が来る。
線路からは見えない力で引っぱられている。
こんなやりきれない人生、終わりにしよう。
死ねば楽になれる。
白線の外側へ踏み出そうとした途端、横に誰かがいるのに気づいた。
ギギと音がしそうな重い首を動かして、目をやった。
ぽかんと口を開けてしまった。
声が出ない。
そこにいたのは、スーツ姿の50代くらいの男だった。
外見は人間だが、その顔色は異様に青く明らかに人ではないオーラをまとっている。
俺は直感した。
死神だ!
恐怖はなかった。
むしろ、心の底からほっとした。
ああ、これで楽になれるんだ。
自分の口元が緩んでいるのがわかる。
よかった~。
次の瞬間、俺はぎょっとした。
何と、横にいた死神が線路へ飛び込んだのだ。
「おい、ちょっと待て!俺を連れにきたんじゃないのか?」
線路に落ちた死神に向かって叫んだ声は、入ってきた電車にかき消された。
呆然としている俺の前でドアが開き、また閉まって、電車は出発して遠ざかっていった。
いやいやいやいや、それはないだろう?
死にたいのは俺で、どうして俺より先に死神が飛び込むんだよ?
暗い線路を見下ろしたが、死神の姿はない。
立ち尽くしている俺の側へ、気配が現れた。
そちらを見ると、やはり青ざめた顔の女が立っている。
こっちも死神だ。
……そうか?
人間ではないことは確かだが、うーん。
髪はゆるく巻いたセミロング、胸が大きく開いた可愛いピチピチのTシャツにひらひらした膝上のスカート、リボンの付いたパンプス。
可愛い女の子の格好だが、顔は若い頃は可愛かったのだろうが、今はかろうじて可愛い面影が残っているだけの40女だ。
さっきのスーツ男もそうだが、死神ってこんなんだっけ?
混乱している俺に、現れた若作り死神が甲高い声で話しかけてきた。
「えっと~、あなたって~、自殺するんですよね~。早く飛び込んでくださ~い」
こんな状況だが、俺はむっとした。
「どうして私が死ななきゃいけないんですか?」
女は、大げさに目を見開き、両手をこぶしにして口に当てた。
「ええ~、だって、あなた、死ぬんですよね~。だから~、自殺課の死神の私が来たの~。早くお仕事すませたいから、ちゃっちゃっと飛び込んでくださ~い」
「ちょっと待て。死神にも死に方の担当があるのか?」
思わず口に出してしまった俺に、女死神は小首を傾げて見せた。
「そうですよ~。病死課とか、事故死課とか、いろいろあるんです~。どこも忙しいの~。だ~か~ら~早くしてくださ~い」
俺は線路に目をやった。
「さっき飛び込んだのも死神ですよね?死神も自殺するんですか?」
すると、女死神は軽蔑したような顔になった。
「さっきのは私の上司。めったにないけれど~、そういうこともあるんです~。死神が自殺しちゃったら悪霊になるんですよね~」
「ええ~!な、なんで自殺を?」
「無能だからじゃない? 中間管理職はたいへんだって口癖だったから~。えっと~、上司が悪霊になっちゃったから~、あなたの自殺を見届ける担当は私なんです~。早くしてくださ~い」
この女の上司って、苦労したんだろうな。
なんだか察せられる。
俺はだんだんいろんな意味で冷めていく自分に気づいた。
楽になりたくて死のうとしたのに、死を司る死神が自殺するんじゃ、少なくとも自殺してもいいことなさそうだ。
可愛い子ぶってしゃべる40女死神に、俺は宣言した。
「自殺はやめました。家へ帰ります」
女死神はアイラインと付け睫毛が不自然に目立つ目をさらに見開き、上目遣いにこっちを見た。
「うっそ~。私、わざわざ来たんですよ~。これじゃムダ足じゃないですか~」
ぷうと頬を膨らませた。
若い子なら可愛いかもしれないが、40過ぎでそれは痛い。
さっきの上司なら俺の死を見届けてもらっただろうが、この女が担当なら絶対嫌だ。
冷ややかな眼差しになったのを感じ取ったのだろう。
頬を膨らませていた若作り女死神が、俺を睨んだ。
「も~お、信じられな~い。せっかく来たのに~、プンプン」
うわ~、本当に「プンプン」って言ったよ。
いたたたたた。
俺の呆れたような視線に気づいたのか、女死神は怒ってくるりと背を向けて消えていった。
そこへ電車が入ってきた。
俺はすぐに乗り込み、誰もいない車両の中で座った。
アナウンスがあり、これが最終便だとか。
次の駅で少し人が乗り、ごく数人で都心へ向かった。
見ず知らずの人たちだが、生きている誰かと一緒って心地よい。
まだ家族や俺の人生の理不尽への怒りは消えないが、少しずつ静まってはいる。
これからのことを考えるのもかったるく、俺は見ず知らずの乗り合わせた乗客達と共に目を閉じた。
みんなと一緒に船を漕いでも大丈夫、終着駅で車掌さんが起こしてくれる。
明日のことは明日考えよう。
とりあえず、死ぬのは寿命が尽きるまでお預けだ。


                    完


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