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パンセクシャル

ぼくの恋愛対象は人間だ。
異性愛者でなければ同性愛でも両性愛でもない、全性愛だと思っている。
まず、誰かを好きになる時に相手の性別から決めることはない。好きになってしまえば、相手の性別なんて相手が自認している性別で構わない。

正直、性別なんてどうでもいいと思っている。どんな性別の相手だろうと、されて嫌なことは共通して嫌だし、自分が性的対象として受け入れられてもいいと思っている相手以外に性的対象に見られるのは、不愉快だし気持ちが悪い。

好きになった相手がどの性別を自認していようが、それがその人なのだから困ることなど何もない(少なくてもぼくは)
ぼくは相手が男女以外の性でもいい。例えばMtF、FtM、X、Q、ノンバイナリー、そのほかにぼくの知らない性別だとしても、その人が生きやすいと思っている性別を自認しているなら構わない。
ただし、社会や他人に迷惑や不快な思いはさせないでほしい。そこの線引きがとても大切でとても難しいことだと思う(そのことについては機会があれば別に書く)

ぼくのような全性愛のことをパンセクシャルと総称するらしい。

全性愛、パンセクシュアリティとは、男性ないし女性等の性の分類に適合しない人々も含め、あらゆる人々に恋をしたり、性的願望を抱いたりするという、全ての性的指向を内包する汎愛性の高い愛に於る形態である。全性愛の性質を持っている人を全性愛者、パンセクシュアル、略してパンセクとも言われる。性的少数者のひとつ。

Wikipedia

あまりにも個人的な意見だけど、好きになった人の性別を気にする方が逆に謎に思ってしまうところがある。
例えば同性を好きになったとする。同性だから諦めないといけないという決断がよくわからない。
相手が異性であろうと同性であろうと、相手が自分のことを好きになってくれないのなら(どちらかと言うと嫌悪感を出しているなら尚更)、性別に関わらず諦めないといけないと思う。
なので、逆を言うと相手が好意を持ってくれるなら、同性でも異性でも好きで居続けていいと思う。
なぜ、性別を判断基準に諦めてしまうのかわからない。大切なのは相手が自分のことをどのように感じているかだと思う。

長くなってしまいそうだから、今回はこの辺で終わりにしよう。
この記事は社会に訴えたいと言うよりは、自分の考えていることを誰かに伝えたくて書いた。今後同じテーマで記事を書くことがあるかもしれない。そのときは、もっと自分の思うことを書けたらいいなと思っている。

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