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経験は共有できずとも、悲しみを分かち合うことはできる【ハイダグワイ移住週報#25】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

2/17(土)

昨晩JJが持ってきてくれたマカロニパスタを温め、バナナと一緒に朝食にする。今日は忙しい一日になりそうだ。朝のうちにタロンと庭仕事を進める。

夏から積もりに積もったくず枝や木片を燃やす。敷地内で切り倒したばかり木の残骸なども混じっていることもあり、なかなか火がつかない。乾燥したものをバーナーで焼き、そのうえに燃えやすそうなものや針葉樹の葉っぱを投げ込む。30分ほど格闘してようやくいい焚き火になった。

ストームで薙ぎ倒された木や枝、川で流されてきた流木、その他建材の端くれを拾い集めて燃やす。一度火がつくと勢いよく燃えていく。松脂がじゅわっと音を立て、熱気で火の粉が高く舞い上がる。見ていてなかなかサティスファイイングなものだ。

***

お昼まえに礼装に着替える。車に寝袋と着替えなどを乗せ、村のホールに向かう。今日はダイアンおばちゃんの息子のメモリアル・サービスだ。

ダイアンは僕がマセットにきた当初から可愛がってくれている陽気なおばちゃんだ。妹のジュディや母のルイズおばあちゃんもいつも気にかけてくれ、クリスマスのファミリーディナーにも誘ってもらった。島で一番仲のいい家族だ。そんなダイアンの息子が一月末に亡くなったというのを聞いた時、どう言葉をかければいいか分からなかった。

とにかく、今日のサービスではできる限りのお手伝いをしよう。クランに不幸があった時、他のクランが食事などを用意して喪に服す家庭を助けるという話を聞いたことがあった。ルイズおばあちゃんやダイアンはイーグル・サイドのクランなので、彼らのサポートをするのはレイブン・サイドのクランということになる。僕に関してはどちらでもないので、とりあえず会場の設営から手伝いをしにいく。

準備段階からてっきりダイアンたちがいると思っていたので、着いた時にホールにいた人々が知らない人たちばかりで少し焦った。
「あなたは何者?モルモン教徒か何か?」準備をし切っている大柄な女性が少し怪訝そうな顔で聞いてくる。
「ダイアンおばちゃんの友達です。何かお手伝いができたらな、と思って来ました」僕がそういうと、彼女は打って変わってにこやかになる。
「そうなの、来てくれてありがたいわ。どんどん食事が来るから、その仕分けを手伝ってくれる?」

2時会場の時間までまだまだ時間がある。世話役のクランの家族たちがぞくぞくと食事を運んでくる。ポットラッチほどの豪勢な食事ではないにしろ、尋常じゃない数の軽食やデザートが運び込まれてくる。家族で手分けして家で調理し、ホールに運び込まれ、僕たち会場待機組はひたすらそれらをプレートやジップロックに分けていく。

オールドマセット村のホールには真ん中に祭壇が置かれ、そのサイドには家族の席が設えられる。祭壇に至るように中央に道が作られ、両側に数列の椅子が並べられる。即席の教会のような図式だ。違うのは祭壇の奥、教会であれば大きな十字架が飾られる部分に、クランのクレスト(家紋)が飾られていることだ。

「双頭のイーグルがメインのクレスト、周りを取り囲んでいるのはカエルね。あのクランのクレストは、ロバート・デイヴィッドソンの作品なのよ」あのクレストは何を意味するんですか、と隣の席に座ったサラおばあちゃんに尋ねると、彼女はそう教えてくれる。
「カエルというのは、どうやったら見分けられるんですか?」
「歯のない赤い唇と、水かきのついた手足が特徴ね。ポールに描かれる際はいつも決まってクマに抱えられているわ」

2時になる。いつも会うたびに祈りのことばを与えてくれる、村のエルダーの中のエルダーであるリリーおばあちゃんが祭壇につき、後方の入り口から故人の家族が入場してくる。みんな一緒にクリスマスを過ごしたルイズおばあちゃんの家族だ。デルバートが厳かな声でスピリット・ソングをゆっくりと歌い上げ、ダイアンがベントウッド・ボックス(ハイダ工芸。一枚の角材を蒸気で曲げて箱にするもの)を持っている。遺灰が入れられたものだ。

リリーおばあちゃんが祈りを捧げ、デルバートのドラムに合わせて讃美歌を歌う。興味深いのは、その儀式がハイダの文化とキリスト教の儀礼の融合であることだ。教会がいかにカナダの先住民を蹂躙してきたかは語るまでもないが、そんな負の歴史にもかかわらず先住民の中でもキリスト教徒という人は多い。
祭壇にも木であしらわれた十字架が立てかけられている。ただ、リリーの祈りを聞いている限り、本来の聖書的内容からはいくらかの変更があるようだ。ハイダの世界における「サラーナ(創世主)」とキリスト教における「主」が同時に出て来たり、別の文脈で使われたりしている。

「彼は愛に満ちた生涯を送りました。彼は類稀なるアーティストで、ポールやアージェライトの彫刻に携わりました」
親族の一人が故人の略歴を紹介する。まだ三十代後半の早すぎる死だった。死因は聞けなかった。昨年の夏に撮ったという母のダイアンと彼の写真を見せてもらったが、顔は痩け、健全な状態には見えなかった。この時、母であるダイアンはどんな思いで写真を撮り、どんな言葉をかけたのだろうか。そのことを考えると心が締め付けられる。

なにより、いつも気さくで冗談の絶えない友人たちが、若い息子/孫の早すぎる死に直面しなければならなかった運命の残酷さを恨まずにはいられなかった。何もできないもどかしさに唇を噛む。ただ、いつかタモが教えてくれた「経験は共有できずとも、悲しみを分かち合うことはできる」ということを心の中でマントラのように唱え、手を動かした。

***

サービスが終わり、遺灰を埋葬するために家族たちは墓地に向かう。その間に、ホールにはテーブルが設営され、世話役クランは忙しそうに配膳の準備をする。軽食とスープが振る舞われるようだ。僕はいつものレオナおばあちゃん、デラヴィーナ、サラ、クリストファーと座る。

わたしの幼馴染なの、とレオナおばあちゃんが紹介し、僕の隣に座ったのはスフェニアおばあちゃん。日本からハイダグワイに住みたくてやってきたんです、と話すと興味を持ってくれる。

「あなたに伝えておきたいことがあるの」僕がハイダ語の授業やカンファレンスに参加した話をすると感心した様子で、スフェニアは語り始める。
「政府の先住民管理エージェントに連行されて、私はエドモントン(アルバータ州、2000キロ以上離れた土地)でレジデンシャル・スクールに入れられたの。ハイダ語を使うことはもちろん禁止されて、うっかり話してしまった時、左の指の爪を3つ剥がされたのよ」
彼女は細く痩せこけているのにも関わらず、生命力に満ちたその手を見せてくれた。レジデンシャル・スクールの当事者に話を聞くことはそれまでなかったので、背筋が伸びる。
「とはいえ私の祖父母や両親もレジデンシャル・スクールに入れられていたので、私もろくにハイダ語は話せなかったんだけれど」

「そのあとはポート・アルバーニ(バンクーバー島)の寄宿校にも入れられて、バンクーバーに移ったの」
ハイダグワイの地に帰って来た時には、私はもう60歳だった、と彼女は付け加えた。6人の子供を育て上げ、19人の孫と10人のひ孫はすくすくと育っている。「私自身も一度もアルコールに溺れたことはないし、子供と孫たちもみな素面で生と対峙している。誇らしいことよ」

今は政府相手にレジデンシャル・スクールの賠償をめぐって大きな訴訟を起こしているの、と彼女はにこりとして言った。その言葉と表情から、スフェニアの覚悟と意地、そして若者のような情熱が見て取れて、僕も胸が熱くなった。
「私はいつまでも戦い続けるの、スクールから生きて帰れなかった子供達のためにもね」

そうこうしていると、墓地から家族たちが帰ってくる。僕は世話役クランの子供達に混ざって配膳。サンドウィッチや果物がプレートに乗せられ、ビーフシチューかクラムチャウダーのスープが選べる。ひたすらスープを会場に運び続ける。

配膳を終え、みながちゃんと食事しているのを確認し、僕も席に着く。デラヴィーナが僕のためにクラムチャウダーを取っておいてくれていた。大きな貝がごろごろと入っている贅沢なスープだ。素晴らしい出汁が沁みる。

式も終盤に差し掛かり、歌の時間になる。スピリット・ソング、感謝のソングがドラムに合わせて歌い上げられる。最後にはハイダ・ネーションの歌だ。僕も歌えるものが増えてきて嬉しい。

ダイアンと夫のスコットにハグをする。ダイアンは少し疲れたようだったが、声は元気そうだった。スコットは「コーホー!」と叫んですごい力で僕を持ち上げる。彼らが悲しみと共に、彼ら自身のこれからの人生を営んでいけるように、僕もできることを探したいと思う。

まわりのおばあちゃんたちから「食べられないから」とお土産のクッキーや果物を大量に持たされる。車の後ろに積み込み、片付けを手伝った後、ホールをあとにする。

***

すでに時間は6時過ぎ。空ももうほぼ真っ暗に近い。これからは一時間半ドライブし、スキディゲート村に向かう。博物館のビストロで働いていた時の同僚の誕生日パーティがある。

目をこすりながらハイウェイをひた走り、スキディゲートにたどり着いた時には8時前。間に合った。ドアをノックすると、黒のドレスを着たエリンがいた。久しぶりだね、とハグを交わす。「エリンの青春さよならパーティ」というテーマで執り行われる、彼女の40歳の誕生日パーティである。

すぐあとにシェフのアーモンドともうひとりの同僚のソフィーンがくる。ソフィーンはUBCの学生で、昨年の秋セメスターだけハイダグワイにいた。久しぶりに彼女に会えて嬉しい。

生粋のパーティガールであるエリンの家には、ぞくぞくと彼女の友達が集まる。博物館で働いていた時によく見かけたスキディゲート・ハイダのひとびとだ。なぜかみんな僕のことは名前も顔も覚えていてくれた。なんで?

さて、パーティの内容に関しては特に記憶がない。ひたすらにショットを流し込んだり(記憶しているだけで10ショット)、ビア・ポンに興じたり、ソフィーンとダンスしたりしたことだけを漠然と覚えている。とにかく、南部スキディゲートでもちゃんと友達がいることを嬉しく思った。1時過ぎにアーモンドの家に転がり込み、そのままソファに倒れ込んだ。そういえば最後に同じくらい酔ったのも、この家だったっけか。

2/18(日)

アーモンドの家のソファで目覚める。そこまで二日酔いは酷くはないようだ。たくさん水を飲んでおいてよかった。

彼のオーシャンビューの家からは本土との間に広がるヘケート海峡が見渡せる。今日はあいにくの曇天。晴れた日は思わず目を顰めてしまうほど朝日が差し込むロケーションなのではあるが。

ひどく不思議な夢を見た。昨晩のパーティで会ったビストロのスタッフたちが出てきたり、仕事のクライアントがでてきたり。変な汗をかいていたし、酔いが残っていたこともあって起きてすぐシャワーを浴びる。

そうこうしているうちにアーモンドとソフィーンが起きてくる。朝から彼がインスタント麺で焼きそばを作ってくれる。サクッと美味しいものを作れるのだからシェフはすごいな、と久しぶりに感心する。

彼らは昼からマセットのモーテルで過ごすのだという。僕はひと足先に村に向けて帰ることにする。島での仕事を探しているというソフィーンに、天の導きがあることを祈るよ(wish universe will align)と言葉をかけてハグを交わす。

***

「まだスキディゲートにいる?アーロンをマセットまで送って欲しいんだけど」昨晩の誕生日ガールだったエリンからメッセージが来る。もちろん、とテキストを送って家までピックアップに行く。

アーロンは最近できたエリンの新しいボーイフレンドだ。エリンは昨日40歳になったのだが、アーロンは25歳だということを昨晩聞いて仰天した。面白い組み合わせだ。帰り道の一時間半、友人の新しいボーイフレンドと村に帰るという不思議な状況である。

「俺はオールドマセット出身。一年だけテラス(BC州北部)に学校に通っていたことを除けば、二十五年間のほとんどは島で過ごして来たんだ」
今ではマセット周辺で大工仕事をしつつ、地元の友達たちと心地よく暮らしているのだとか。

「僕は同い年くらいの若者をマセットで見たことないんだけれど、僕らくらいの年のハイダも一度は島外に出るもんなの?」
「そうだな。高校卒業と同時に、ほとんどが進学や就職で島を出ていくな。俺みたいな一部の連中は相当地元が好きで残ってるんだけど」
日本の田舎と同様、こんなに素晴らしい場所に生まれたとしても一度島を出ていくというのは通例のようだ。大学もなければ職業選択の自由も決して豊かとは言えない。

「俺は好きだぜ、あんたみたいなタイプ。チルでクールで、パーティではクレイジーになれる。欲しかったんだよ、そういう輩も」とアーロン。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
同い年くらいのハイダの青年と会うのは初めてといっていい。嬉しい出会いである。

***

家に帰ると、同居人のタロンとサシャが庭仕事をしている。屋外トイレのまわりに苔が敷き詰められ、まるでおとぎの世界のトイレのよう。
「夜は鹿ソーセージでディナーにしよう。ルークたちも呼んで」とタロン。

少しばかり走りに出かける。パーティで変な疲れが溜まっているからこそ、汗をかいておきたい。シューズを履いてハイウェイを東に30分ほど走る。

帰宅するとスキレットでソーセージが焼かれていた。トマトソースがじゅわっと弾け、いくつかのスパイスが芳しい香りを広げる。ターメリックライス、ガーリックバターを塗ったチャパティ、ケールとキャベツのサラダにクランベリードレッシングをかけて。ソーセージとトマトソースには缶パイナップルが乗せられ、オーブンから出てくる。

ルークとレイチェル、娘のエレーナ、レイチェルの妹のハンナ、そして我が家のタロンとサシャ、そして僕で食卓を囲む。気の置けない近所のみんなとの食事は久しぶりな気がする。

ディナーの味については言わずもがなである。鹿のソーセージはさっぱりとしていて、濃いトマトソースとよく絡んでいる。パインがいい甘味のアクセント。ターメリックライスの香りが食欲を引き立てる。

6人で腹一杯になる。こんなに素晴らしいエリアとご近所さんに恵まれていることを改めてラッキーだと思う。まだ8時過ぎだったが、皆腹一杯でベッドに向かう。僕は少しばかり文章を書き、本を読んで、ストレッチをして1時前に眠る。

2/19(月)

カナダの祝日、ファミリー・デイ。先週から素晴らしい天気が続いている。コーヒーを濃いめに作り、パンケーキで朝ごはんにする。今日はハンナの家のお手伝いにいく。

タロンのピックアップ・トラックにウォーリーと共に乗り込む。チェーンソーとライフルも詰め込む。カナダの田舎というものを凝縮したかのような出立ちである。
まずはロギングロードに入り、薪を少し集める。祝日で林業関係車両も走っていない。いつもの森を走っていたり、友人が来た時に数回訪れたゴールデン・スプルースのあたりと比べると、林業用地は森が泣いているように思える。スクラップになった数多くの木々が無造作に捨てられている。見ていて快いものではない。

そろそろ狩りのシーズンも終わりだ。ロギングロードを走っている間に鹿を見つけたら撃とうということで、僕が助手席でライフルを抱えている。銃を手にした僕を目にして、ウィーリーも目の色を変えている。ハンティングとなると突然ハイになる犬だ。

***

ある程度荷台を薪でいっぱいにしてから、ハンナの家に向かう。
ハンナは僕らの家の裏に住むレイチェルの妹。ルークと結婚して島に移り住んだ姉を追いかけて、ハンナも2年ほど前に島に移った。オールドマセット村の小学校で教諭をしている。三十代前半の独身女性なのに、マセット村とポートクレメンツ村のあいだにある開拓地のような場所に小綺麗なキャビンを買って一人で住んでいる。

ハンナの家に着くと、すでにレイチェルとエレーナ、そして犬たちがいた。広くて開放的な敷地には太陽が降り注ぎ、とても明るい。

今日のエレーナはご機嫌。「ゴーギ・コーヘイ!(ゴーギはハイダ語で「おじさん」)」「コーヘイ、カム!」などと叫んでは飛びついてくる。可愛すぎる

こんなに広くて隔絶された場所に女性一人で住むのは(きっと男性でも)相当に大変だろう。「天水システムが昨日から動かなくて、水が出ないの。困ったものね」そう爽やかに語る。クールな女性だ。

日が昇るにつれてどんどん暖かくなってきたので、我が家と同様こちらでも昨年からの木片や木の枝を燃やす作業。2メートルほどまで積み上げられた枝たちの中心に火をつけ、どんどん木々をくべて燃やしていく。針葉樹の葉を火にかけた時のじゅわっという音がたまらない。

火の管理をする。次々にテンポ良く枝をくべ、火を弱めないように、逆に強くなりすぎないように調節する。体全体が煙たくなる。エレーナが犬たちと遊んでいるあいだに、僕とハンナで火の管理をし、レイチェルが枝を運んでくる。そのあいだにタロンは昼ごはんを作っている。

***

「ランチだ。皿をもってきなよ」というタロンのもとにいく。
焚き火でこんがりと焼かれたムース肉のパテと覆い被さるチーズ。甘辛く炒められた玉ねぎとともにバンズに挟み、おおぶりのじゃがいもを切って2度上げしたフレンチフライズとともに頂く。ムースの味付けが完璧。ポテトも不揃いなのがチャーミングで、甘くて美味しい。しっかりとご馳走である。こんなキャンプ飯・屋外飯をサラッと作れるようになりたいものだ。

ハンナの家の西向きのデッキで日光浴をする。軽い日焼けをするのでは、と思うほどの日差しだ。暖かさをぞんぶんに謳歌する。春が来るとやっぱりうれしい。

***

陽が傾き、木々に遮られて陰ってくると一気に寒くなる。ハンナの家での一仕事も終えたので、犬三匹と僕、タロン、レイチェルとエレーナで僕らのトラックに乗ってマセットまで帰ることにする。「久しぶりに来てくれて嬉しかったわ。お手伝いありがとう」とハンナ。こんな辺境に住んでいるのだから、困った時はお互い様だよ、と伝えておく。

タロンがビールを1ダースほど空けていたので、帰りのトラックは僕が運転する。ピックアップ・トラックはいつ運転しても慣れない。加速も遅ければ、減速も遅い。でかすぎて体感速度も遅い。唸るようなエンジン。それでも、後部座席では母子がすやすやと眠り、僕の手元ではサルサが甘えている。

家に帰り着くとどっと疲れが来る。レイチェルとエレーナにハグとキスをして別れ、僕たちも早めにベッドに潜り込む。太陽に長く当たると、眠くなるのが早いな。

2/20(火)

お湯を沸かしてコーヒーを入れる。もう2月も下旬、気温も昼には8度まで上がるようになってきた。朝晩もそこまで冷え込まない。

おとといのディナーののこりのターメリックライスとチャパティを温め、ベーコンとスクランブルエッグをささっと炒める。たっぷりのクランベリーが乗ったサラダと共に朝食にする。朝にご飯を食べると力が出る気がする。

少なくなっていた薪を家の中に足した後、昨日に切って持ってきた小さな丸太を加工する。エッジを削り、オイルでコーティングし、地面に埋めてちょっとした歩道にするのだ。エッジ・グラインダーなるツールを使う。円盤型のやすりが高速回転するものだ。指を切ってしまわないように用心する。

***

15時ごろにしげたさんとビデオ電話を繋ぐ。SNSでフォローされた時、民族衣装を纏ったプロフィール画像に興味を持って僕もフォローを返したのだ。そこからメッセージをもらい、オンラインで初めてお話しすることになった。

しげたさんは僕と同じ早稲田の法学部出身。しかも同じ国際法を勉強していたのだという(担当の先生こそ違うが)。数年会社員として働いたのち、道東アイヌのとある長老のもとで鞄持ちとして活動し、アイヌの精神世界について学んでいるのだとか。カナダの先住民について学ぶ中で、ちょうど日本の先住民や日本の植民地主義のようなものについて興味をもっていたので、そんな人と繋がることができて幸運だ。

「平和に関する仕事をしようと思った際に、もっと日本のことを知らないといけないな、と思ったの」どうしてアイヌの長老のもとで勉強しようと思ったんですかと尋ねた時、しげたさんはそう語ってくれた。
「そこで目に留まったのが、一万年以上も北の大地で平和に、持続可能的に生活を営んできたアイヌの世界だった。彼らの精神世界には、なにか平和のエッセンスがあるはず。彼らの知恵を現代世界に転用できれば、それは平和へのひとつの道になりうるんじゃないかな」

しげたさんが仕えているアトゥイという長老は、現代アイヌの中でも一目置かれている人物の一人。「絶滅種鎮魂祭」なるお祭りをプロデュースし、音楽芸能団体を立ち上げて作曲家としても活動している長老なのだという。

「僕はハイダ族のコミュニティにいて、そこで働いたりもしているけれど、彼らのアートや芸能に僕も混じってやろうとは思えないんです。やはりカナダの先住民はジェノサイドや植民地主義の歴史から、外部の人間が先住民文化の芯にある営みに入っていくのはあまり歓迎されないような気がしていて」
気になっていたことを尋ねる。先住民のコミュニティにいる日本人(和人)という共通の立場で、何か共通することがあるかもしれない。「アイヌの長老のもとで活動し、そのコミュニティで生活し、彼らとともに伝統芸能に従事するのにあたって、現地の人からはどんな反応がありました?」
「私が仕えている長老は、和人とアイヌが手を取って、入り混じって何かをやることには大きな抵抗がないようだね。それでも、『文化をつまみ食いしてはならない』とは強く言われたことを覚えてる。よその文化を学ぶ際は、好き嫌いせず、先入観を持たず、判断もせず、まっさらな状態であれ、って」

つまみ食いをするな、というのは言い得て妙だな、と思う。観光のためや地域おこしのためという大義名分のもと、コモディティ化され、消費されていくその地の文化というものが散見される現代だ。「わかりやすい」「大衆にウケやすい」などが先行し、長い年月をかけて洗練されてきたものがいともファストフードのように扱われていく光景には閉口してしまう。
「もちろん私も自分自身が侵略者であることは忘れないようにしているけれどね」

アイヌだけで解決できることは少ない。和人や他の人々とともにいっしょに日本を、北海道を良くしていこう。それがアトゥイの立場なのだという。

同じ先住民に関するトピックといっても、日本における日本人とアイヌの関係、カナダにおけるカナダ人(?)と数ある先住民たちの関係には、構造的に大きな違いがある。そもそもカナダという国・概念自体が侵略的なものなのに対し、和人とアイヌは北海道・東北で混じり合ってきた歴史がある。現代の日本の人口のほとんどが歴史的に日本に住んできた和人であるのと、先住民の固有の土地に勝手に建国された多民族国家カナダという対比もあるかもしれない。面白い。僕の知識でそれ以上言及するのは適切と言えないのでこれ以上の考察を書き連ねるのは避けるが。

とても楽しい話が続き、一時間半ほど語り合って電話を切った。やはり北の地はおもしろい。北海道・東北の歴史、アイヌの歴史ももっと勉強したいし、道東も住んでみたい。まだまだ訪れるべき場所も人々も多すぎる。人生があと1ダースほど欲しいところである。なにはともあれ、それぞれ違う先住民コミュニティで、外部の人間として試行錯誤しつつ、辺境から平和を考える仲間に出会えたことが嬉しかった。

***

今夜のハイダ語の授業はおやすみだったので、ウェルネスグループの集まりに向かう。いつものメンバー:コーディネーターのダン、村のおばちゃんたち(モリーン、デラヴィーナ、ジュディ)とリリーおばあちゃん。ワシの羽を持った人が語り、それ以外は静かに聞く。

改めて自分の言葉でダイアンの息子のメモリアルについて振り返った時、少し目頭が熱くなってしまう。ダイアンおばちゃんも、ルイズおばあちゃんも、ハイダグワイに来て一番仲良くしてくれた家族だ。クリスマスには家族が集まるディナーに僕も招いてくれた。あの夜にハイダの歌を教えてくれたデルバートも、ハイダアートについて教えてくれたロジャーも、大切な友達である。

そんな彼らが若い息子を亡くし、悲しみに暮れているのを目にするのは、なかなかにしんどかった。僕にできることもほとんどないという事実も。

「若者がわたしたちよりも早くスピリット・ワールドに行ってしまうことには、いつも心を裂かれます」リリーおばあちゃんがいう。
「それでも、コミュニティがひとつになって故人の家族を助け、彼らのヒーリングを後押ししているのを見ることができるのは、希望のようなものです」

チェックインの後、いつも通りカードゲームに興じる。いつもフェーズ10というゲームだけれど飽きないのだろうか。僕がもってきたボードゲームを今度持ってこようと思う。帰宅した時には20時過ぎ。カモミール・ティーを淹れて読書をし、少し書き物をして寝る。

2/22(木)

朝にストーブに火をつけなくてもいいくらいの気温だ。素晴らしい。フレンチ・プレスでコーヒーを淹れ、いつも通りパンケーキを焼く。僕が玄関でラジオ体操しているのを聞きつけて隣の犬二匹が家にくる。

エレーナをつれてルークもやってくる。
「30分ほど手を貸してくれないかい?いいレッドシダーが浜に流れ着いてて、運ぶのを手伝って欲しいんだ」
「もちろん。コーヒーを飲み切って、15分くらいに行くよ」

ルークが新しくゲットした日産のピックアップ・トラックはモンスター級のデカさ。いわゆるフルサイズ・トラックといわれる種類。カナダでは普通に乗用車として使われているトラックだけれど、今でも慣れない。
しかも、新しくゲットしたといっても相当年季の入ったトラックである。サスペンションのほとんどは錆び、後部バンパーは抜け落ちている。太めの角材がその代わりに据え付けられている。応急処置だよ、とルークは笑う。

これもカナダの(田舎)あるあるなのだが、日本では考えられないほどのおんぼろ車が普通に使われている。傷へこみは当たり前、割れたフロントガラスは「ハイダグワイ・ウィンドシールド」との愛称で呼ばれる。ダクトテープ(カナダ人はすべてダクトテープで修理する、何だと思っているのだろう?)でつぎはぎに修理された20年落ちの車たちが今日も元気に走っている。いちいちエンジンランプが点いたりキズがついたりするぐらいでは何とも思わなくなってくる。

「20年ハイダグワイのビーチを走ってきたけど、今まで砂浜にスタックしたことはなかった。本当、参ったもんだ」
ルークは先日、自分が持っていたピックアップ・トラックを海に水没させてしまったのだという。村から離れた東のビーチを運転していると砂利に車輪を取られ、抜け出せなくなってしまったのだ。不幸にも大潮の日であり、どんどんと潮が上がってくる。思い出のトラックが海に沈んでいくのを、なすすべもなく見守っていた。
「バイキングの葬式みたいだったよ。砂浜に焚き火を焚いて、死にゆく車を眺めてさ。沈む前に慌てていろんなギアや書類を車から出す時に、一本のビールが出てきたんだ。『相棒、いままでありがとな』って車に乾杯して、窓ガラスやタイヤにかけてやったよ」

申し訳ないけれど、その光景を想像すると笑ってしまう。赤髪、見た目はヒッピーの島男が暗い砂浜でひとり焚き火を起こし、目の前で沈みゆくトラックを眺めている。かわいそうなルーク。いいタイミングで新しいトラックを譲り受けられてよかったね、と話す。

近場のビーチエントランスから浜辺に走り出る。大型トラックの馬力は凄まじい。ただその分重いため、砂に足を取られないようより注意深くなる必要がある。「一週間に2台トラックを沈めたなんて洒落にならないしね」

カナダ軍基地の近くの浜に、いい状態のレッドシダーが漂着していた。ルークはチェーンソーで試し切りし、匂いを嗅いで満足げににやりとする。14フィート分持って帰ろうと意気込んで丸太をカットする。
だが、トラックの荷台に乗せやすいように片側をてこの原理で持ち上げ、滑らせて押し込むようにする。なかなかうまくいかない。重すぎるのもあり、トラックの荷台が高すぎるのもある。

「前のトラックはもう少し車高が低くて、ひとりでも丸太を乗せられたんだ。困ったよ」とルーク。結局、12フィートまで短くし、トラックに苦労して載せきる。彼は惜しいことをしたなという顔をしている。2フィートの丸太を置いて帰ることにここまで悲しい顔をできるのもおかしくて笑ってしまう。

家に戻って丸太をおろし、僕は自分の家の仕事に取り掛かる。庭の装飾に使う木片を加工する。レッドシダーを大出力バーナーで表面を焼きあげ、その後にオイルでコーティングする。そもそもレッドシダーの防腐性も強いが、このように加工することでさらに寿命が伸びるのだ。

昼前までに庭仕事を片付け、米を浸水させて走りに出かける。今日はロング・スロー・ディスタンスのトレーニングだ。一時間半かけてゆっくり15キロ走る。走りながら「イラク水滸伝」高野秀行のオーディオブックを聞く。

イラクというカオスの中の湿地地帯というさらなるカオスに入り込んでいくというノンフィクション。高野さんの本で好きなのはいつも「はじめに」の導入部分だ。取材テーマに興味を持ったきっかけやその下準備を面白おかしく書き上げ、これから始まる冒険にワクワクさせる。鳥肌が立つ。

酷使した下半身を川に沈め、シャワーを浴びる。米を炊き、サーモンをバターで焼いてムニエルにし、ベーコンエッグを照り焼き風に作って米に全てを乗せる。腹持ちも良く、タンパク質も豊富にとれる。そしてうまい。新しい定番になりそうだ。

出勤前に酒屋でヘイジーIPAの6パックを買い、職場に向かう。今日のクライアントたちも長い昼寝をしており、その間に色々と家の仕事を済ませ、本を読んだり文章を書いたりする時間があった。夜遅くにゆで卵サンドを作って一緒に食べる。家に帰り着くと猫のサミーが僕のベッドで丸くなっていた。いっしょに読書を少しして寝る。

2/26(日)

窓の外を覗くと吹雪である。庭にはうっすらと雪も積もっている。しんしんと寒い。リビングにおりるとサシャがすでにストーブに火を入れていた。コーヒーを啜りつつ、ふたりとも各々の読書を進める朝。

友人に勧められた小説を読み進める。「藻屑蟹」赤松利市。昨日まで読んでいた三浦さんのルポタージュに引き続き、東日本大震災・原発事故をテーマにした小説だ。

東北のとある街に住む主人公は、除染作業員や原発避難民が故郷に流入することに苛立ちを覚える。いつしか除染作業員として働き始めたところ、原発行政に関わる利権と裏で動く大金を目にする。そこから彼は見えない力によって大きな渦に巻き込まれていく…。

著者自らが原発除染作業員だったこともあり、その職場環境のリアルな空気感や生活感の描写は凄まじいものがある。そこかしこにエネルギーや利権・癒着といった現代日本の裏にある大きな闇について考えさせられる箇所がありつつ、主人公がどんどん足を取られて運命に引き摺り込まれていく物語の展開が巧み。半日で読み切ってしまう。

***

「1時半くらいに幸平くんの家に通りかかる予定。家にいますか?」とメッセージ。12月に会ったシゲルさんだ。バンクーバー在住で林業の仕事をしており、ハイダグワイには数ヶ月に一回ほどのペースで通っている。今日はずっと家にいるので、都合のいい時間にお越しください、と返信する。

少し家の掃除をしていると、外には晴れ間が出てくる。うっすら積もっていた雪もすっかり溶けてしまった。不思議な天気だ。そうこうしているうちにシゲルさんと奥さんを乗せたトラックが到着する。お久しぶりです、と挨拶がわりにハグを交わす。奥さんのタキエさんとははじめまして。ちょうど僕の両親と同世代の元気な二人だ。

家に招き、持ってきてもらったインスタント・コーヒーを淹れてすこしおしゃべりをする。
「やはり白人が植民地化以降、ずっと丸太を奪ってきたという背景もあって、先住民と林業という分野において信頼関係を結ぶには苦労したよ」
シゲルさんは南部にあるハイダ族の木材加工会社とともにハイダ産の木材の振興に関わっている。僕も今の仕事で先住民コミュニティと関わっているということを話すと、話題は日本人としていかにハイダ族と信頼関係を気づくかというものになる。
「何度も通って自分たちの立場を語りかけ続けて、じわじわ進んできた感覚だね。数年通ってきてやっとハグを交わすこともできるようになった」とシゲルさんは笑う。「ハイダグワイにおける林業をハイダの手に取り戻し、プライドを持てる仕事にする手伝いみたいなものだ。それがちゃんと次の世代に受け継がれていくように」
僕はコミュニティで生活しつつ、彼はコミュニティ外から通いつつ、違うフィールドながらお互いハイダグワイのために何ができるのかと日々試行錯誤している。シゲルさんが語ってくれる林業業界の話は本当に知らないことばかりで、いつも新しい世界と経済の見方を与えてくれる。

奥さんもいっしょに自分の家の敷地を見せて回る。木に関わる仕事をしているふたりなので、家の作りや僕の作りかけのパドルにとても興味を持ってもらった。

ビーチに出ると、これまでに体感したことがないほどの強い風が吹きつけていた。海には大きな白波が立ち、砂が巻き上げられて肌に打ち付けられる。ふたりも楽しそうだ。

家に戻ってきて暖をとり、また3人で話し込む。
「よくある偏見だと、カナダ先住民は酒飲んでばっかりで仕事もせず、ホームレスだったり何かの依存症だったりして、ぐうたらに過ごしているというイメージがあるよね。先住民コミュニティに住んで働いていると、やはり見えるものは違うだろうね」とシゲルさん。
「先住民を取り巻くそういう状況も、全て植民地主義のもとで蹂躙されてきた歴史が深く影を落としているようです。僕がこの場所に来る前に想像していたよりも、その傷はずっと深くて衝撃を受けました」
僕はこの場所に住んで七ヶ月。マセットのハイダの人々とともに生き、仕事をし、自然に繰り出す毎日だ。そんな生活の中、彼らの背後にはいつも大いなる暴力の傷跡が垣間見える。

そのあと、実は今同じ本を読んでいることなどで盛り上がったりし、結局五時間近く話し続けた訪問だった。また来る時にはバンクーバーから日本食を買ってきてもらえるようにお願いをし、別れる。

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夕飯にはサシャが作ってくれたバイソンのステーキをいただき、タモの家のサウナに入りにいく。サウナにはタモと彼の友人というクリスがいた。

明日から始まるタモの敷地内での銭湯プロジェクトの一員として、BC州北部のヘーゼルトンからやってきたのだという。バンクーバー出身だが、27の時にヘーゼルトンに移住し、今ではギックサン族先住民コミュニティで大工仕事を教えつつ、妻子とオフグリッドの生活を営んでいる。タロンに似たバイブスを持つクールな男だ。

タモがユーコン州境にある先住民の村に行く途中に立ち寄り、ヘーゼルトンのパブで食事をとっていたところ、声をかけてきたのがクリスだった。
「村のパブで食事をしていると、にこやかな男がやってきてこういうんだ。『前に止まってるバス、あんたらのかい?とっておきのストーリーがあるはずだな!』ってね。そこからクリスとは長い仲だよ」とタモ。

「僕も若い頃は君みたいにいろいろと住み込みで働いたりしつつ、旅を続けていた。そして自分も家を作ったりしたくなって、ヘーゼルトンに一度落ち着いたんだ。今はまた旅に出たくなってきたけど」
僕が25歳だというと、クリスはそう語った。40歳のクリスはBC北部ののどかな村に、小さな川の流れる大きな敷地を持ち、6歳になる子供がいる。落ち着きたくなる場所を見つけるのは難しいけど、自分が巡り合わせの中でころがりこんだ今の場所にはとても感謝している、と。ヘーゼルトン、行ってみたい。

クリスが自分の畑のじゃがいもと鹿肉で肉じゃがを作ってくれる。絶品。明日から銭湯作り頑張ろうな、と話して別れる。少し本を読んで寝る。

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