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最果ての地へ【ハイダグワイ移住週報No.1】

この記事はカナダ太平洋岸の孤島、ハイダグワイに移住した上村幸平の記録です。

一日目(2023/08/01)

「当船はまもなくスキディゲート・ターミナルに到着いたします。お車でご乗船のお客様は、車両デッキに戻る準備をお願いいたします」

 8月1日、カナダ太平洋時間5:30。薄暗いフェリーのなかで電子音声が鳴り響き、僕は目を覚ました。昨晩までの二日間は車をフルフラットにして寝ていたが、今日はフェリーの客席の床で寝袋に潜り込んでいた。ゆとりのある客室設計で、久しぶりに足を放り出して熟睡。

 BCフェリーはカナダ太平洋岸のブリティッシュ・コロンビア州(BC州)の島々・沿岸部をつなぐ水上交通網を形成している。本土のバンクーバーと、バンクーバーの街を守るかのように南北に広がるバンクーバー島をつなぐ路線が主だが、州の北部の離島をつなぐ路線も少なくない。アラスカとの国境付近の港町、プリンス・ルパートから出航するフェリーは、ハイダグワイへの数少ない交通手段のひとつでもある。

 構想から半年、日本を出国して20日弱、カナダに入って10日強。そして、バンクーバーから文字通り野を越え山を越え1,600km、二泊三日のドライブ。ついにハイダグワイの地に着かんとしている。窓の外を望むと、低い雲を抱き込むようにした島陰が見えてくる。

「とうとう、ここまで来たのか、、」そんな感傷に浸る暇もなく、電子アナウンスがデッキに戻るように急かす。

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 僕が降り立ったのはスキディゲートという南部の村。ハイダグワイの北島には5つほどの村があり、それらを繋ぎ止めるように州道16号線が走っている。目指すのはマセット村、島の北端の村だ。人口が4000人ほどしかいないカナダ極北の離島といえど、その面積は岐阜県ほどある(分かりにくい)。マセットまではおよそ100km、一時間半弱のドライブだ。案内員の指示に従ってフェリーからゆっくり車を出す。そのあとは道に迷いようもない。北のマセットに向かうか、南のダージン・ギーツに向かうかしかないのだから。ここでの生活は極めてシンプルだ。

 朝6時のハイダグワイは霧が満ち満ちており、道端には多くの鹿が、空には渡鴉が飛び交い、世界が動物たちの時間から人間の時間に移り変わっていくようだった。運転していると安心と疲れからかうとうとしてしまい、道中少し車を止めて15分ほど仮眠をとる。

 北に向かってひた走り、8時過ぎ。本当にささやかなサイズの港が見えてくる。ここがマセット村、僕の今回の旅の(ひとまずの)最終目的地だ。待ち合わせ場所の村役場の前に車を停め、スーツケースからダウンジャケットを取り出していると、目の前に大きなピックアップ・トラックが止まった。犬のウォーリーとともに出てきたのがタロン。村のFacebookグループに家を探している旨を投稿したら、家の周りのお手伝いをしてくれたらベッドルームも貸すしご飯も出すよ、といってくれた本人だ。しばらくは彼のもとでお世話になる。

 タロンはプリンス・ルパート出身で、三年ほど前からマセットに住んでいる。今は先住民コミュニティで大工仕事を教えているという。家に行く前に職場を案内してもらい、マセット村の中のハイダ族のコミュニティ、オールド・マセットを歩く。本土でうんざりするほど通過したカナダの田舎町のひとつに過ぎないように見えるが、どの家もハイダ族の旗を掲げていたり、表札の如くトーテムポールが力強く立っている。呪術的で、形而上的なものが、ここでも日常に溶け込んでいる——直感でそう感じた。

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 初日はタロンの家で荷解きをし、近くの森を散歩した。葉を落としたスプルースがまた葉をつけたかのように、びっしりと苔が覆い尽くしていた。この地の降水量の多さを、窒素循環の豊かさを感じさせられる。

二日目(2023/08/02)

「8時が干潮だ。ウェットスーツを着て、カニを採りに行こう」
 この地での生活は潮汐表に大きく左右される。潮が満ちればサウナを焚いて裏の川に飛び込めるし、引き潮は磯に取り残されたディナーの素材を集めるのにぴったりの時間だ。

 家から歩いて数十秒の海岸に出ると、昨日は浜のぎりぎりまで満ちていた海が、いまでは海岸線が300メートルも先まで後退している。ここまでの変化が1日に数度起こるから、重量というものの計り知れない力の存在を感じざるを得ない。

 大きな網を持って、膝がつかるくらいまで海に入ると、足元に大きなカニが隠れていた。日本では毛蟹に分類されるタイプのカニだろうか。決められた大きさのオスのカニだけを採取できる決まりだが、それでも一時間足らずで大きなバケツがいっぱいになった。タロンは仕事に行くようなので、カニの調理を任せられる。「海水が沸騰したら、カニをいれて20分茹でるんだ。あとは冷まして甲羅を剥がして終わり」極めてシンプルな調理である。

 ワーク・トレードという形で、タロンのところには滞在させてもらっている。欧米ではよくある滞在方式で、ゲストは家の周りのお手伝い(おもに農業系や庭仕事、掃除や大工仕事など)をし、ホストは見返りに住まいと食事を提供する。ハイダグワイの物価が恐ろしく高いということは計算外だったので、この形で住まわせてもらえることはとてもありがたい。

 彼は三年ほど前にこの敷地を買ったという。二年ほど人が住んでおらず、荒れ放題になっていた二階建ての家とキャビンがあり、サッカーコート一面くらいのヤードがある。広ければ広いほど家仕事は増える。さらに新しくキャビンを建てたり屋外トイレをつくったりするプロジェクトもあるらしく、手が増えるのは彼も助かるのだという。

 朝に獲ったカニを晩ごはんに食べる。これほどブリブリのカニがタダで食べ放題だなんて、、、

三日目(2023/08/03)

 僕が今年カヤックを始めたのはほかでもなく、まさにハイダグワイを漕ぐためである。

 星野道夫さんの遺作となったエッセイで、島に点在している朽ち果ててゆく集落跡とトーテムポールの存在を知った。「ハイダグワイを旅するなら、しっかりカヤックやってみたほうがいいよ」写真家の石川直樹さんに会った時、シーカヤックという移動手段について知った。カナダ在住の比企さんや、西伊豆でカヤックスクールを営む村田さんから、れっきとした航海手段・探検手段としてのシーカヤックを学んだ。お金をため、集め、カナダに渡り、偶然売りに出ていた状態のいいツーリングカヤックを手に入れた。大金を叩いて海図とカヤックギアをバンクーバーで取り揃え、新しく買った車に乗せ、大陸を縦断するかのように運転し、この島までやってきた。

 満潮に合わせ、今日は裏の川を漕ぐ。初めて自分の船で、初めて自分だけでカヤックを漕ぐ。この瞬間のために、いったいどれだけの準備をしてきたのだろう。いったいどれだけの新しい出会いがあり、どれだけの不安な日々があり、どれだけのワクワクした時間があったのだろう。そんな感傷も、19フィートの長い船が音も立てず水の上を滑り出したらどこかへ吹き飛んでしまった。

 自分の力だけで、自分の判断だけで、自分で全ての責任を負って水面を旅する。新たな世界に向け、比喩的にも、文字通りにも漕ぎ出した瞬間だった。

四日目(2023/08/04)

 今日も昨日に引き続き、カラッと晴れたいい天気だ。気温は23度ほど。太陽のもとで動いていると少し汗ばむくらいだが、心地よい風が海から吹き込むために外で作業するのが本当に気持ちがいい。

 ひたすらタロンと二人で肉体労働に励んだ。石を運び、土砂を運び、家の基盤に潜り込み、草を刈る。スパークリング・ウォーターが身に染みる。オフィスチェアになんて30分も座っていられないけれど、庭には5時間いても何も苦痛ではない。

 今日は早めに仕事を切り上げ、音楽を聴きながら本を読んでいた。最近はずっと心待ちにしていたThe Japanese Houseの新アルバムを擦り続けるように聴いている。イギリス出身のシンガーソングライター、アンバー・ベインの個人プロジェクトでもあるThe Japanese House。アンバーは脆くて繊細な感情と彼女自身のストーリーを、ドリーミーなテンポにバイオリンのような歌声を乗せて表現する。特に、アルバムのラストをかざる「One for sorrow, two for joni jones」が素晴らしい。この曲は超絶意訳して一本記事にしたいくらい。

 何もかも終わりにしてしまいたいような、深く悲しい出来事は僕らの人生において避けることはできない。同時に、そのような出来事があろうとも日々は続き、時間が程度はあれ解決してくれるということの物悲しさもある。

五日目(2023/08/05)

 タロンの友人や、ご近所さんの家族が本土から遊びに来ているということで、家で寿司パーティを開催することになる。日本人として外国でコミュニティと仲良くなるための伝家の宝刀。スウェーデンに留学した時、シェアメイトと手巻き寿司パーティをしたのが懐かしい。今回の寿司パーティがいつものものと大きく違うのは、「寿司のネタを現地調達する」ということである。鉄腕DASHか?

 ともかく、主催者側としてしっかりネタを確保するのは責任重大である。タロンが以前釣って冷凍していたマグロやサーモンは解凍しておきつつ、海岸に向かう。今日はカニと、ウニと、ムール貝と、運が良ければタコもゲットしたいよね、と喋りながら引き潮の海岸を練り歩く。

 カニは呼ばなくても先方からやってきてくれるし、ムール貝はそこらじゅうに生えている。ウニも海藻をめくれば隠れている。問題はタコ。死んだタコはうんざりするほどみたけれど、いくら石の裏を突いても、穴をほじくり返してもフレッシュなタコに巡り合うことはできなかった。無念である。

 まあともかく、最小限のネタは確保した。鍋で3ラウンドの米を炊き、鮨飯を作る。カニの食べかすで出汁をとり、キャベツとカニの味噌汁をつくる。あとは具材を巻きやすいようにカットし、準備完了。みなさん嬉々として巻いて食べてくれました。ただお前ら、それは「カリフォルニアロール!」ではない。れっきとした寿司だ。

六日目(2023/08/06)

 キャビンの水道工事。大工仕事をしていると、いかに自分の英語の実用的ボキャブラリーが貧相なのかをまざまざと思い知らされる。「角材(lumber)」「合板材(plywood)」とか知らんがな。語学はどこまでいってもゴールがない分、どこまでも突き詰めることができる。今年は本も必然的に英語のものを読むしかなさそうだ。

 昨日の寿司パーティに来ていたハンナにお呼ばれし、またディナーパーティに参加した。バンクーバー島からフェリーでやってきた三人の友人たちも来ていた。欧米あるあるの「知らない人いっぱいホームパーティ」は自分がどうたち振舞えばいいのかわからず毎回キョどってしまう。スウェーデン時代からこれはなかなか苦手である。

七日目(2023/08/07)

 世界の果て、としか表現しようのない場所だった。

 ローズスピットとよばれる岬を目指す。朝から雨で風も強く、フェールラーベンのシェルジャケットを久しぶりに羽織る。ハイダグワイの東端部に位置する岬で、ハイダグワイとカナダ本土にまたがるヘケイト海峡、ハイダグワイとアラスカにまたがるディクソン・エントランスが出会う地点だ。あいにくの天気で、アラスカのプリンス・オブ・ウェールズ島を望むことはできなかった。遠浅の海岸の先には、魚の群れでもあるのだろうか、カモメたちがせわしなく海に飛び込んでおり、それらをあしかたちが遠目から見ていた。びっしょりぬれたハクトウワシがさも疲れたかのように岩場に立ち尽くしていた。

 心底冷え込んだので、となりの家のサウナに火をつける。持ち主のルークに火の付け方を聞くと、暖炉で使うべき木の種類や薪の準備の仕方、いい香りの出し方などを1から教えてくれた。ルークはハイダグワイ出身の青年で、一児の父ながら病院で看護師としても働いている。じりじりと暑さが肌に突き刺してくるサウナ室内で、彼は僕がここまできた経緯を聞いてくれた。「それは大きな決断をしたね!君がここまできてくれて、本当に嬉しいよ」聞けば、ルークの家族はずっとカヤックツアー会社を経営しており、彼は何度も南島の無人島部を漕いだことがあるらしい。今度いい練習場連れてってあげるよ、とヒッピー感のある長髪をなびかせながら、今日は別れた。

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📚写真集を出版しました。

🖋イラストを描いています。

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