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時短勤務ワーママが、「働きやすさ」と「働きがい」の落ちどころをみつけた話

この春、育休から時短勤務で復帰しました。
半年間にわたって自己効力感ドン底でもがいていたのですが
自分と向き合い、考え方を変えたら、
ふっと肩の力が抜けてラクになったので
そんなお話を書いてみます。
書いてびっくり3000字あるので、
なんだか眠れない秋の夜長のお供にどうぞ。(長すぎて眠くなる前提か)


育児に理解のある会社


私が本業で勤めている会社は、
産育休の取得率は限りなく100%
復帰後は当然時短勤務だよねしんどいもんね両立ファイト!と言ってくれる
出産を経て働くママさんにはとても働きやすい環境だと思う。

急なお休みのフォローはさも当然。「またか‥」なんて眉をひそめていた人は思い当らない。
その日の仕事を誰かに引き継いで定時ピッタリに帰るのも、さも当然。
様々な当番ごとや業務分担も優遇、配慮のオンパレード。
それが上層部のタテマエではなく、ちゃんと社員全員にマインドが根付いてる。

私自身、独身時代はそんな社風が我が社の魅力のひとつであると感じていたし
絶対ここで産育休取ったる!と、仕事を鬼の形相で片づけて婚活に勤しんだ日々もあった。(ぶっちゃけすぎ)

そうしていざ自分が結婚、妊娠、出産、産休、育休を経て復帰。
数年ぶりに会う同僚や先輩、初めましての後輩たち、
ドキドキしながらお局風を吹かせないように背筋を伸ばして働いた。
時短社員が働きやすい社風、あたたかい配慮は、変わってなかった。

毎朝繰り広げられる激闘の末、子どもの「慣らし保育」は終わり、
すっかりゴキゲンで登園するように。
給食はおかわりまでして、お昼寝もグッスリ、公園までお友達と手をつないで歩きましたよ~なんて保育士さんから報告を受けて
子どもの成長にしみじみ浸る帰り道。
ふと気づいた。

あれ、私の「慣らし仕事」いつまで?


復帰してもう数か月たつのに、新しい仕事は任せてもらえず手持無沙汰。
暇な時間に自己学習をするも、役に立つシーンは回ってきそうもない。
後輩たちが会議で連れ立って離席するたび、自分のまっしろな予定表が恥ずかしかった。

私、チームで一番社歴が長いのに、簡単なことしかさせてもらってない。
ひととおり仕事に慣れてきたころ、ムクムクと湧き上がるのは、
「もっとやれる」「やりたいのに」「なさけない」「居心地がわるい」
新卒以来勤めあげてきた社歴の数字もむなしく、
自己効力感は地面の水たまりのなかでずぶぬれのぐっしゃぐしゃ。

自分が時短勤務の当事者になって気づいたことは、
「急なお休みなどを快諾してくれる」
 =急に休んでも困らないような仕事
「定時ピッタリに帰れるよう配慮してくれる」
 =後よろしく!と押し付けられてもこなせる程度の仕事
つまり、
働きやすさの代わりに、働きがいを失ってる。
どっちかが上がればどっちかが下がる、シーソーみたいな関係だということ。

今考えれば当たり前なんだけど、
ずっと仕事に全力投球してきて、ずっと自己効力感高めで働いてきた私は、
時短になっても同じ会社で同じ部署なんだから、もう少し働きがいもあるんだと思ってた。
時短勤務ってワクにはまっただけで、こんなにも第一線からシャットアウトされた気になるなんて。

会社に求められてないような居心地の悪さで、
でも保育園は楽しんで通ってくれているし
家庭以外の場が欲しいから、腰掛けみたいな働き方でもお給料もらえれば御の字なのかも…なんて
私らしくない考え方でなんとか納得しようとしてた。

そして評価面談の日


「来期の目標」を聞かれて、つい
「今後どういった方向性でチームに貢献していけるのか、私にどういった働き方・業務内容を求めておられるかを相談したい」的なことを口にしてた。

すると上司は驚いた顔で、「もう少しやれるってこと?」というので、こっちも驚いた。

なんと、上司とチームメンバーは私に気を使ってくれてた。
育児経験者がいないから、どれだけ育児が大変かがわからないから
なるべく負担にならないように、できることだけ無理なくやってもらえたら、というスタンスだったらしい。

すぐに私は「じゃあ、担当業務が欲しいし、プロジェクトにも入りたいです。勤務時間は短いし急なお休みもいただくことはあるけれど、社歴は数字だけじゃなく、ほかのメンバーに負けない経験値もあると思っていますし、それを活かしてチームにもっと貢献していきたいです」と答えた。

上司は、その方向でいこう、と了承してくれた。
私が望めば与えられる環境だったのに、
ちゃんと話し合えていなかっただけで、環境も、上司も、同僚も、私も、
誰も悪くなかった。

改めて私はなにを望んでいるのか。


出産前、プロジェクト責任者として毎日終電まで働く日々は
自分が最大限活かされてると感じたし、楽しかった。
そのころのように働きたい、とも思う。

じゃあその望みが叶ったとして、
子供が突然熱を出した時、わたしはファミサポさんに保育園までお迎えを頼んで、病児保育園で預かってもらい、泣き疲れて眠った我が子を終電で迎えに行くのか。

いや、それはなんかちょっと違うな。

もちろんそれだけ仕事にコミットするママもステキだと思うけれど、
私個人の価値観として、自分がありたい母親の姿っていうのは
熱が出たらすぐさまお迎えに飛んでいけて
元気になるまで何日でも仕事を休んで、
食べられそうなものがあれば出してあげて、
しんどくて寝付きづらい夜は明け方まで抱っこしてでも
そばにいてあげたい。

そう思ったら、
「案外、今がベストなんじゃないか?」と思った。

その次の日、上司に声をかけた。
「プロジェクト入りたいって言いましたけど、今の業務内容で貢献することはできると思うし、もっと精度を上げて取り組んでみたいと思えるようになったので、やっぱり現状のままでいきたいです」と。
上司は笑顔で快諾してくれた。
こんな右往左往して申し訳ないのに、私が働きたい姿をそのまま受け止めてくれた。
そう、わが社は冒頭に述べたとおり、「働きやすい」会社だな、と改めて思った。

「状況が変わらなくても、自分の”ものの見方”が変わるだけで
世界はぐっと明るく見える」


私は会社にとって「いてくれたら助かるけど居なくても困らない存在」だからこの仕事を任されているわけではなく
自分でこの働き方を選んでいる。

「ママとしてありたい姿」を最優先にして、
その範疇でうまく融通して働かせてもらっている。

だから、今の私はこれでいいんだ。

母親だから仕事はそこそこにして育児をがんばらなきゃいけない、とかじゃない
私のなかの母なる私がそうしたいって言ってるから、いいんだ。

バリキャリなわたしは過去じゃなく、小さくなってるだけで
母なる私が今は大きく膨らんでいて、
バリキャリの私は、今は小さくなってるだけで、過去じゃない。

いろんな私を抱えたまんま、それぞれの大きさが都度変化するだけ。
過去じゃないし、諦めたんでもない。

人生は分かれ道だとすると「どっちをとるか」の選択になってしまって、そんなの究極すぎて辛いだけ。
アイデンティティなんてなんぼあってもいいですからね!(突然のミルクボーイ)

自己肯定感とは、自分を肯定すること。
自分が納得できる形は何か、とことんまで自分と語り合ってみること。

「今」ありたい自分のバランス
をみつけたら、
なーにひとつ変わってない毎日が、ぐっと楽しくなったよ。

そんなお話でした。

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