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小さな小さな一隅を照らすために

「一隅を照らす」
朝闇の時間に、この言葉がアフガニスタンで灌漑事業に従事した中村哲医師の座右の銘と聞いた瞬間、要するにこれなのだ、わたしに欠けていてずっとさがしていたことはこれなのだ、と分かった。

何かを成さなければならないとか、世間の役に立たなくてはならないとか、思い込まされていた。何故かは分からない。誰のせいかも分からない。でも何故かずっとそう思い込んでいて、何も成し遂げていないし世間の役に立つ仕事もしていない自分を責めること以外何もしていないような日々だった。

何かを成すとか世間の役に立つと言うと、それなりの大きさが必要に思える。そうすると、とても私にはできない、私には何もできない、と感じる。それがすべての間違いのもとであった。一隅のサイズは大きくても小さくても関係ないのだ。

遠くアフガニスタンの地へ灯火を運んだり、国全体を照らす大きな光源を灯すような事業、あるいは世界中の人々の心に灯りを届けるような影響力を持つ行為と比較することに意味はない。自分の手の届く範囲の空間で、米粒ほどの隅っこを照らすだけの小さな小さな灯りでも、そればかりか灯りがあまりに小さくて照らされていることに誰も気づくことがなくてもいいのだ。自分自身の手でその灯りを灯していることが大切なのだ。とにかくまっとうに生きて、灯りを消す行為ではなく灯す行為をする、これこそが大切なことなのだった。

どんなに小さくてもいいから、私はいま、灯りを灯しているだろうか。小さな小さな空間でも、照らしたり照らされたりしているだろうか。そのことを瞬間ごとに問いながら生きられればそれだけで、宇宙は私を褒めてやるだろう。


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