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みんなの泣きどころ

 弁慶の泣きどころ、とは向こう脛のことである。
 弁慶ほどの屈強な大男でも膝の下の骨、つまり向こう脛をぶつけたら痛くって涙が出るよ、唯一の弱点だよ、ということらしい。

 誰にでも泣きどころはある。

 フィジカルな話ではなく、要は人にはそれぞれ「こんな場面は絶対に泣く」「こういうシーンにはほんとに弱い」など、鉄板の涙腺崩壊パターンがある、ということ。

 私が中学生の頃に他界した父方の祖母は、TVドラマ『ありがとう』シリーズを見てほぼ毎回泣いていた。どうしてそんなに泣くのか幼かった私にはイマイチ分からなかったが、孫の前で少し照れ臭そうに「おばあちゃんね、あったかい心を見るとどうしても涙出るんよ」と言いながら鼻をちーんとかんでいた。
 今にして思えば、息子夫婦と同居で何かと肩身が狭く、あったかい思いやりのようなものに少し飢えていたのかも知れない。坂本九の歌でも、泣いていた。坂本九も、祖母にとってあったかいもののひとつだったのだろう。

 私の夫は、断然学園ものである。熱中時代や金八先生、映画『いまを生きる』。一番思い入れが強いのは『スクール・ウォーズ』。主題歌のイントロが流れるだけで目を潤ませている。
 落ちこぼれの不良たちが集まる学校が、一人の教師の登場によりラグビーを通して再建していく様を描いたTVドラマだが、ラグビーの精神=One For All、All For Oneという仲間を大切に思う心、絆に泣けてくるのだそうだ。学生時代に良い友人や恩師に恵まれ、自らも教師を志したことのある夫らしい、と思う。
 私には、皆目分からない世界だ。だいたい学校の存在自体が嫌い、教師なんて一般社会で務まらんから子供相手に偉そうにしてるだけの輩ばっかりだろと本気で思っている。全部がそうとは言わない。でも少なくとも私が生涯で出会った教師と名の付く人間たちは99%がそうだった。だから学園ものなんて、見てても睫毛は常に乾き切っている。

 では『私の泣きどころ』はどこか。

 私は「親子」と「犬」だ。
 結婚して実家を出るまで、私にとって母は、私の生きる意味のほぼ全てだった。生きざまが凄すぎて娘の私は何ひとつ追いつけていないが、人としてあまりいないタイプの凄さを持っていて、尊敬していた。そんな凄い人に育てられたというのにどうして自分がこうも自堕落に成長したのかはさておき、そんな思い入れのある母がいたので、親子ものはどうしても感情移入し過ぎて泣けてくる。『母を尋ねて三千里』や『一休さん』(なんで!?とお思いの方へ。一休は寺に預けられ母には滅多と会えないのです)、一番泣いたのは映画『ステラ』。この話のように私と母も、親友同士のように密な関係だったので、ラストシーンでは毎回滝のような大号泣に。
 
 あとはやはり「犬」。
 昔から犬が好きで飼っていたこともあって、犬ものに滅法弱い。『HACHI 約束の犬』や『僕のワンダフル・ライフ』などの映画もさることながら、今まで見た犬の映像で最も心に残っているのが、いつだったかTVで放送していた、おじいさんをいつまでも待つ犬。
 さびれた山村に犬と住むおじいさんは、週に数回、通院のために早朝バスに乗って街へ出かける。犬はおじいさんをバス停で見送ると、そのままそこへ座り込む。病院は遠いため夕方までかかるのに、犬はその場から決して動かず、一日中おじいさんの帰りを待つのだ。
 そして夕暮れ、おじいさんの乗ったバスが戻って来る。昇降口からおじいさんが降り立つのももどかしく犬は飛びつき尻尾を振りまくる。おお待ちかねたろう、とおじいさんは声をかけ相好を崩す。やがて二人は朝来た道を、並んでゆっくりと帰っていく。
 これが愛でなくて何だろう。何十年も前に見た映像だが未だにこうやって書くだけで泣けてくる。私にとって犬はあったかく、涙腺を刺激するものなのだ。
 
 『ありがとう』と坂本九と『スクール・ウォーズ』と『ステラ』とおじいさんと犬。
 泣きどころって一ヶ所じゃないらしい。だから人って面白い。
 
 


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