私は今、とある南の島に来ている。 長い休暇を取った。職場の上司がぶつくさ文句を言っていたがそんなことはどうでもいい。目覚まし時計もメールチェックもふざけたクレーム電話もここにはない。気ままな一人旅。怠惰な午後。 秘密基地のようなリゾートコンドミニアムから小さなボートを借り、自分で漕いで辿り着いた、小さな無人の島。 無人島と言っても、こうやって砂地にゆったりと寝そべっていられるのも午後4時まで。夕刻になり潮が満ち始めると、ここら辺の小さな島々はたちまち海の底へと姿を
誰かから聞いたか、あるいは本で読んだか。 出所はもう忘れてしまった。しかし私の頭の中には、かなりの昔から 『パイの取り分は皆同じ』 という確固たる思想がある。半世紀に及ぶ人生においてそれは旗幟鮮明であり、 疑いようのない真理、と言ってもいい。 ここに一枚の大きなパイがあると思っていただきたい(そう、私の中ではピザでも お好み焼きでもなく、パイ。アメリカンなオカンが焼くような)。 集まった人数分、8等分でも12等分でも、とにかく切り分けられ、そしてめいめいに配られる。 お
弁慶の泣きどころ、とは向こう脛のことである。 弁慶ほどの屈強な大男でも膝の下の骨、つまり向こう脛をぶつけたら痛くって涙が出るよ、唯一の弱点だよ、ということらしい。 誰にでも泣きどころはある。 フィジカルな話ではなく、要は人にはそれぞれ「こんな場面は絶対に泣く」「こういうシーンにはほんとに弱い」など、鉄板の涙腺崩壊パターンがある、ということ。 私が中学生の頃に他界した父方の祖母は、TVドラマ『ありがとう』シリーズを見てほぼ毎回泣いていた。どうしてそんなに泣くのか
年も改まったということで、この機会にダイエットを、人生何度目かのダイエットを始めようと思う。 なぜか。 理由は、『文化的な人は総じて痩せ型が多い』から。 様々な文化的活動を行っている人々は、皆生き方がスタイリッシュだからなのか精力的に動くからなのか、中肉中背あるいはやや細身な人が多い気がする。明らかに標準値を超えた肥満体型の人はあまり思い当たらない。ナンシー関さんぐらい。 やっぱり何かを発信する側としては自分自身にある程度の格好をつけておかないと説得力が無いから
リッツパーティーに参加したい。 子供の頃から私はリッツパーティーに憧れを抱いている。気の合う仲間が集まり、丸いクラッカーの上に茹で卵やらスモークサーモンやらをお洒落に乗っけて、それをみんなでワイワイ賑やかにつまむ。弾むおしゃべりと、ちょっとしたお酒(たぶんワイン)。そしてもちろん、ホストは沢口靖子。 沢口靖子は誰をも拒まない。いつ何時、こちらがシミのついたジャージを着ていようが、手土産も持たずに出向こうが関係ない。その広い心・満面の笑みで「いらっしゃい、どうぞ」と
一度だけUFOを見たことがある。 確か小学6年生の時。気持ち良く晴れた7月の正午近く。 私と友達は、夏休み直前で授業が半ドンになった学校の帰り道、 いつものように四つ角で立ち話をしていた。 友達は南、私は西の方角へそれぞれ帰るのだが、それこそもう毎日 会っているのに、必ずと言っていいほどその十字路で30分は話し込まないとバイバイが言い難いほどの仲良しだった。 その日はとても空が高く澄み切った青が広がり、見える範囲では雲は ひとつもなかった。強い日差しの下