ブッダの基本的な教え<四聖諦>とは? 【苦しみの矢をまず抜いて心のストレスを減らす生き方】①
最近はブッダ(お釈迦さま)についての記事を書いていますが、今回は、苦しみの矢をまず抜いて心のストレスを減らすために、ブッダの基本的な教えのひとつである<四聖諦>を取り上げたいと思います。
ブッダのいう「苦」(パーリ語でドゥッカ)とは、心に生じる悩み苦しみのことですが、この「苦」を構成するものは、不満足や痛み、イライラや欲求不満、不快感、不安定、空しさなど多岐にわたります。
また一般的な苦しみだけではなく、永続しない幸福感や享楽などもドゥッカに含まれると言います(参考 『ブッダが説いたこと』 ワールポラ・ラーフラ 著 今枝由郎 訳)。
たとえば、精神的なストレスを感じたことの代償として、高額な商品を買い求めたり、性的な快楽に耽ったりしたとしても、そのような幸福感は一時的なものに過ぎないため、ある種の苦しみだといえるのです。
ちなみに普段生活していると「四苦八苦」という言葉を耳にすることがありますが、この「四苦八苦」という言葉は初期の仏教経典から来ています。
「四苦」とは「生・老・病・死」の四つ、「八苦」とは、以上の四つに、
「愛別離苦」 「愛するものと離れる苦」
「怨憎会苦」 「うらみにくんでいるものと会う苦」
「求不得苦」 「求めるものが得られない苦」
「五蘊盛苦」 「以上を総括して五つのあつまり=一切は苦である」
を加えたものであるとされています(『インド仏教思想史』 三枝充悳 著 講談社学術文庫から引用)。
すなわち「苦」(ドゥッカ)とは、思い通りにならない、気持ちが満たされないという、脳が感じるストレス全般のことを指しているといっても良いのですが、この「苦」が生じてしまうのには、貪欲や怒り、妄想、執着などの「原因」があるのです。
このことを説明するのは、ブッダが説いた基本的な教えである、「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」という四つの真理、「四聖諦」(四諦)です。
(ちなみに「四聖諦」の「諦」とはあきらめではなく、真理や真実を意味します。)
「苦諦」・・・人生は苦である。
「集諦」・・・苦の原因(主に渇愛によって生じる)。
「滅諦」・・・苦を滅した境地。
「道諦」・・・苦を滅するための道(方法)。
この「四聖諦」について立川武蔵氏は『ブッダから、ほとけへ』のなかで、
「四つの聖なる真理」では、「苦」は現状認識を、「集」はその原因の認識を、「滅」はその原因のなくなった境地、「道」はそこに至る手段、方法を指しています。四聖諦は、苦に満ちた現状を認識し、その源を知り、その苦のない境地を目指し、そこに至る道を歩めと教えています。
と簡潔に説明しています。
また僧侶であり宗教学が専門の大学教授でもある釈徹宗氏は、『いきなりはじめる仏教生活』のなかで、
「〈四聖諦〉とは、「なぜ苦悩は生じるのか」「どうすれば苦悩を解体できるのか」という仏教の根幹を、因果律の構図で説明したものです」
と述べています。
「苦諦――生きることが苦悩である 苦の結果」
「集諦――なぜ生きることが苦悩になるかというと、それは無明や執着があるからだ 苦の原因」
「滅諦――苦が消滅した世界 苦を解体した結果」
「道諦――苦は正しい道を歩むことで解体できる 苦を解体する原因」
(『いきなりはじめる仏教生活』より抜粋)
そして、釈徹宗氏は、
生きることが苦悩である〈苦諦〉とは、〝思い通りにならない〟ということです。そこで、苦悩が生起するメカニズムを知り、苦悩を解体するための実践道を説きます。その実践道(道諦)は〈八正道〉として表現されます。
と述べています。
今回は、難しいことをあれこれと考えるよりも、まず苦しみの矢を抜くことが大事という観点から、ブッダ(お釈迦さま)の基本的な教えのひとつである「四聖諦」を取り上げましたが、実は私自身、原始仏教に関心をもった10年ほど前に初めてこの「四聖諦」を知った時、何がスゴイのかいまいち理解できませんでした。
しかし今は、心の悩み苦しみを減らすためにブッダ(お釈迦さま)が説いたことのありがたみがよく理解できます。
この「四聖諦」の重要なポイントは、苦しみとは結果であり、その苦しみが生じるには原因があるため、苦しみが生じないようにするためには、原因にアプローチすればよいのです。
もし原因が分からなければ(無明 暗闇の状態)、人生はつらいままなのです。そしてお釈迦さまはきちんとその苦しみを減らしていくための方法を智慧(ちえ)によって開示しているのです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます(^^♪
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