ブッダの教えを日常生活で実践するための、守るべき「五戒」とは❓ 『ブッダが説いた幸せな生き方』⑫
誰もがブッダの教えによって有意義な生き方を始めるために、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読んでいます。
前回は、ブッダの教えのなかで大切なのは心の修養、サティ、マインドフルネス習慣であるということについて述べました。
今回はブッダの教えを日常生活のなかで実践していくためには、何が必要なのかということについてです。
実は、「仏教」というと「出家」が必要であると考えられがちですが、お坊さんにならなくても、自分の心がけ次第で、ブッダ(目覚めた人)を目指していくことは可能なのです。
『ブッダが説いた幸せな生き方』のなかで、チベット歴史文献学が専門である著者の今枝由郎氏は、
と述べています。そして、
としています。
では、日常生活においてブッダの教えを実践するためには、何が必要になってくるのでしょうか?
最初にお伝えしておきたいことは、ブッダの教えを実践するのに、特定の宗派や教団に属する必要はないということです。
つまり、『スッタニパータ』にあるように、犀の角のごとく、ただ独りで歩んでもOKだということです。
このことに関して今枝氏は、
とし、仏教徒とはまず最初に、
という、「三帰依文を三度唱え、仏法僧の三宝」に帰依(きえ)した人であると述べています。
ちなみに「ダルマ」(ダンマ)とは、目覚めた人であるブッダが示した真理や自然法則のことを言い、「サンガ」とはブッダの教えを実践し、ニルヴァーナという究極の目的に向かって共に歩む、出家修行者の集団のことをいいます。
さらに、今枝氏は、在家信者は、
という、「五戒」を守ることが必須条件であるとしています。
ところが現代の生活において、これら全てをいきなり厳密に完璧に守ろうとするのには、無理があります。
特に「不殺生戒」(ふせつしょうかい)については、今枝氏は、ハエや蚊など、日常生活でやむを得ず殺してしまうこともあることから、「不要で無益な殺生は慎むという心がけと解釈して差し支えないでしょう」としつつ、「重要なことは、生きものに対する慈しみの心を忘れないことです」と述べています。
また「不飲酒戒」(ふおんじゅかい)に関しても、「現代コンテクストでは、飲酒を絶対的に禁じるということは社会的にも一概に認められないものです」とし、「ブッダの教えの本質的なことに反しない限りにおいて、融通を利かして適応されるべきでしょう」としています。
そして、「不飲酒戒とは、お酒を一滴も口にしてはいけない(禁酒)というのではなく、飲酒によって自らの身口意の行いを自制できることがないようにすること(節酒)が主眼なのです」としています。
他の、
「不偸盗戒」(ふちゅうとうかい)
「不邪婬戒」(ふじゃいんかい)
「不妄語戒」(ふもうごかい)
に関しては、自分自身の欲をコントロールし、相手に苦しみを与えないということが前提であり、これらの戒を守っていくためには、以前に取り上げた「戒定慧」(かいじょうえ)が示す倫理的行動や集中力、智慧や自制心を培っていくことが必要になるよう思います。
ちなみに今枝氏は「仏教徒としての生活規範」は、この五戒と、「八正道」のうちの、
に集約されていると述べています。
以上ここまで「五戒」について述べましたが、この「五戒」は、(他者にみだりに危害や損害を与えないという意味で)健全な社会生活を営むうえでシンプルなルールであるように思います。
(ちなみに私自身の経験ですが、ブッダの教えを知らなかった若い頃は自分自身の欲にだらしなく、何が善で何が悪なのかと善悪の境界が曖昧な中で不安な毎日を生きていました。しかしブッダの教えに出会ってから分かったことは、きちんと最低限「してはいけないこと」をルールとして示されたほうが、より自由に生きられるということです。このことは道路交通法をよく理解しないで車を運転していれば、運転中の自分の行為が違反として警察に止められるのではないかとビクビクしてしまうのと同じです。
反対に仏教徒として出家しなくても、この「五戒」を自分の生き方のルールとして常に認識していれば、大きく人生の方向を誤ることはないのですし、より自由に生きられる可能性が出てくるのです。)
とはいっても、現代の社会生活においては、この「五戒」を常に完璧に守ろうとするとハードルが高くなってしまい、ブッダの教えを実践しようとしても挫折してしまう可能性が出てくるため、「ブッダの教えの本質的なことに反しない限りにおいて、融通を利かして適応されるべき」であると捉えたほうが良いと思われます。
しかしある程度融通が利くからといって、「我田引水」のごとく、この「五戒」を自分に都合よく解釈して、お酒を飲みすぎたり、物を盗んだり、不倫をしたり、他人を傷つけたり、生きものを殺したりしたとしても、やってしまったことは仕方がないことだと正当化ばかりしていては、いつまでもブッダの教えによって自分自身を変えることは出来ません。つまり(自戒の意味も込めて)ブッダが寛容であることに甘えてはならないということなのですね。
……次回へと続きます。
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