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重なった、みぎとみぎ。

今日見た夢の話。それは、昔好きだった人と歩きながら話している夢だった。

同窓会か何かで久々に会ったことがきっかけなのか、それとも地元で偶然出会ってしまったからなのか、なぜか真昼間から公園横のグラウンド沿いをふたり一緒に歩いていた。確か、小学校のころ、通学路として歩いていた道だった。公園は私の家のすぐ隣にある。その横のグラウンド沿いの道は、春は桜が若干咲き乱れ、夏には蚊が元気に飛び交い、秋には銀杏の実の強烈なにおいに塗れ、冬は枯れ木以外に特段何も無い。そんな道を、小学生のときに知り合った彼と、ともに歩いていた。
妙に生々しく感じたのは、彼の右手と私の右手がつながれていることで伝わる温もりであった。私の後ろでくっついて離れない彼の右腕の体温が、私の背中越しに伝わる。そして彼の右手は、私の右のそれと重なっている。左の方を見上げると、キリンのような長いまつ毛を持つ 彼の微笑みがあった。そうやって私たちは笑いあいながら話を弾ませていた。傍から見れば、仲睦まじい光景だったろう。いわゆるバカップルにも見えるくらいの。

……いや、右手同士で手つなぐのどういう状況??

↑このツッコミを入れると同時に目が覚めた。これが夢の終わりの瞬間である。
手をつなぐとなると、重なるのは普通右手と左手であるはず。しかし、この時は確実に右手同士だった。夢は、現実よりも非常に奇である。こうやって書き起こしてみても、思い返してみても、本当に理解できない。

実を言うと、私は、この彼が出てくる夢を、年に数回見ることがある。(今回は、思い返してみてもあまりに不可解な点が多すぎたが故に、なんとなく取り上げてみただけ。あと記録用に。)その夢のほとんどが、見終わったあとに幸福感に満たされるものであり、同時に空虚な感覚に襲われるものでもあった。このような夢を見終わると、きまって「最高と最悪は、やっぱりワンプレートでやってくるのだ」と感じてしまう。

ところで、こんな夢を見るのはどうしてだろう…と、今更ながら気になった。「夢占い 元彼」と検索をかけると無数のサイトが出てきた。未練があるからだとか、(逆に)気持ちの整理ができた証拠だとか、いややはり復縁願望があるからだとか、気持ちがナイーブな時に見る傾向にあるとか、元彼出現の夢には様々な意味が存在しているらしい。その中で私がハッとしたのは、「過去を美化している、現実に満足できていない」であった。あー、これは分からなくもないなと。今の状態に納得がいかず、美しい想い出を振り返りたくなっている状態。私の大好きなジュディマリのYUKIちゃんも「想い出は いつも キレイだけど それだけじゃ おなかが すくわ 」って言ってたし(「そばかす」のサビ歌詞引用)。もしかすると、夢を見ることによって、空腹を満腹にしようとしたのかな、私。


もしあの人がまた夢に出てきたら、今の私は何かに満足できていないのだろう。そんなことが、今回のヘンテコな夢から解明できただけでも満腹です。



今日のところは、こんなもので。

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