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2歳のみぃに度肝を抜かれた ~洗練された言語センス

みぃは、小学校の通級の利用を申し込むために必要なため、5才の時に発達検査(IQテスト)を受けました。検査をとってくれたベテランの先生に「(検査結果の各項目の数値の)凸凹の高低差は歴代三本の指に入る」と言われたくらい、能力にアンバランスがある、凸凹界の横綱です。その凸の部分は「言語性の高さ」です。語彙力が年齢よりかなり高いということが検査で明らかになりました。

まだ二歳半頃のこと、わたしが「みぃちゃんのほっぺ食べちゃいたい」と言ったら、ほっぺを人差し指でポンポンして、「食べていいよ。塩かけて。」と余裕あるチャーミングな態度で(塩かけての部分はちょっとゆっくりと言う巧みさで)返してきました。私は度肝を抜かれました。「え?いま、塩かけてって言った?え!すごい!でも、まさかね。そんな洒落た返しするわけないよね。でも、確かに言ったよね。」といった感じで、とても驚きました。そこで、もう一度聞いてみると、また同じように返してくれました。まだ、滑舌は良くない、しかもおっぱいもまだ飲んでいた、プニプニの小さな二歳児と、そのウィットとのギャップがすごかったです。

みぃは、言葉に対するアンテナが高性能で、新しい言葉も概念をバシッと掴むことができるのだと思います。みぃに言葉の意味を聞かれて説明していると、「~ってことね」と自分の言葉で置き換えるのですが、それが毎回、辞書に載っていそうなくらい端的で完璧な日本語なのです。わたしの方が拙い説明で、みぃの方が簡潔なのです。

言葉遊びも早くからしていました。わたしの呼び方もアレンジして楽しんだり。おかーぽん、もかーさん、お袋さん等 (お袋さんなんて言葉いつの間に覚えたんだ?森進一見たっけ?)
「ペットボトル取って」をわざと「ペットん、とっティ」と可愛く言ったり。

言葉そのものへの興味が人一倍強かったから、漢字を調べて、美しいと思う漢字をコレクションのようにノートに書きとめたり、漫画「日本人の知らない日本語」をすごく気に入って何度も図書館で借りたり。

そして、高い言語性があったからなのか、幼い頃から、ひとり頭の中で哲学的な思考をしているようでした。人はなぜ怒るのか、人にはなぜ笑顔があるのか、犬はなぜ草原を走り回るのか(「犬が草原を走る回るのは、暴れているのではなく、本来の自分を思う姿なんだよ。」)など。
みぃなりの見解を突然言われて驚いたことが度々ありました。固定観念がまだない幼稚園の頃までに、特にハッとするような発言が多かったです。

洗練された言語センスは、みぃの強み。本人は最近は将来への不安がとても強くて、「わたし大丈夫?」「どうにかなる?」など毎日のように聞いてきますが、ゆくゆくは、きっと言葉という強みを生かしていくのではと私は密かに思っています。

未来への漠然とした不安を抱えているみぃに、本人が幼稚園の頃に突然言った言葉を捧げたいです。

「信じるのは勇気と一緒だよ。だって、今日は絶対できる!って信じることが勇気でしょ」


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