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自分のことを書いてみる【これまでの人生編】

こんにちは、sinraです

今日はあらためて、自己紹介を

名前

sinra(しんら)
由来は、森羅万象から 

牧歌的な子ども時代


地方のごくごく普通の家庭に育ちました
二人姉妹の姉
父親は教師、母親は事務員
農家の祖父母
の6人暮らしでした
家族仲は悪くないです

子ども時代にいわれていたことは、
・癇癪がすごい
・体が弱い
・ひどいアレルギーと気管支喘息もち
・絵本を一言一句覚える
・わがまま
・幼稚園から脱走する
などですかね

今から振り返るとめちゃくちゃ発達障害っぽいですが、
時代的にあまり問題視されなかったのと、
言葉などを覚えるのが早く、外面もよかったので、
ただの敏感な気質の子、って感じでした

田舎だったので、田んぼで遊んだり、近所のお兄さんお姉さんたちと走りまわったり、
わりかしのびのび育ちました

苦難の小中学校時代

田舎出身者あるあるですが、
その地域にひとつしかない公立学校に進学

選択肢とか多様性とかは基本ありません

ここで大きな壁にぶちあたります

ザ・集団生活が苦手

画一的なルール
興味のない話題
強制的に一緒に過ごさなければいけない大勢の苦手な人たち
ワイワイガヤガヤうるさい教室

ASDである私にとっては苦痛すぎました
人生で二度と戻りたくないです

しかし、ここであることを発見しました

わたしは勉強ができる

そう、わたしはあらかじめ答えの決まっているペーパーテストが大得意だったのです

芸は身を助くというか、このおかげで優等生というポジションをゲットし、
なんとか不登校にならずに乗り切ります


もうひとつ、

地域のソフトテニスクラブに入る

ASDであるわたしと運動クラブなど相性がいいはずがなく、最初の2年間は泣いて嫌がって逃げだしてました
(親の腕に噛みついて脱走してた)

けれども、親が石の上にも三年という考えだったため、3年やるまではやめてはいけないと、無理やりいかされました

そして、来るべき3年目、わたしはなぜかソフトテニスが大好きになってしまうのでした

その後、わたしは中高大とソフトテニスを続けることになります


人間関係の大切さ
体を動かすことの楽しさ
挨拶や継続の大切さ

人生の基本はすべてテニスから学んだといっても過言ではないです

あのとき、泣いて嫌がってたわたしを無理やり連れていってくれた親には感謝してます

大つまづきの大学時代

高校は、地域で一番の進学校に進み、
部活はソフトテニス部に入部
自分と同じような人たちに囲まれて、比較的楽しく過ごしました
いま思えば、高校時代がいちばん平和だったかもしれない

そしてわたしは、そこそこ偏差値の高い都会の大学に進むのですが、
ここで人生いちばんの挫折がやってきました

都会での一人暮らしが苦手すぎる

そう、わたしはびっくりするくらい生活力がなかったのです

朝時間どおりに起きられない
ご飯を自分でつくれない
毎日お風呂にはいれない
人間関係を自分から築けない
都会の喧騒や人混みに耐えられない
アルバイトは嫌になってバックれる

生活は昼夜逆転、ネット漬けの毎日で、どんどん荒んでいき、
講義にも出席できずに単位を落とし、とうとう留年が決まります

この時期は本当に人生どん底で、絶望感がすごかったです
自分には何かしら決定的な問題があると気づきはじめたのもこの頃です

ここでわたしを助けてくれたのが、細々と続けていたソフトテニスの仲間でした

ソフトテニスの仲間は、わたしのだらしないところ、人間としてダメなところをわかってくれて、わたしが大学を卒業できるよう支えてくれました

人生でいちばん感謝してます


苦い春 新卒時代

なんとか五回生で大学を卒業できたわたしは、都会での一人暮らしは自分には無理だと悟り、地元にUターン就職します

昔ながらの会社に事務系総合職として入社
営業部に配属されます

やりたいことは特になく、
働きたいという意欲もなく、
ただそこそこ安定してそうというだけで選んだ会社でした

ここでは、光と闇
正反対のふたつの経験ができました

まず、闇の方

わたし、総合職むいてない

こんなんばっかりですね

でも、当時のわたしは、まだ発達障害というものをしらず、ほかの人もできてるんだから自分もできるだろうと本気で考えてました

・新しいアイデアや企画を進められない
・イベントの開催などで臨機応変に動けない
・いろんな人がかかわる交渉や調整が苦手
・興味がないことができない
・会社での飲み会や会食、雑談が苦痛すぎる

まわりの人は優しかったですが、わたしはだんだん病んでいき、急に仕事を休んでしまったり、日常生活がままならなくなっていったり、嘔吐などの身体症状がでるようになっていきました

このあたりで、発達障害というものを知り、これ、わたしじゃん!と愕然とします

しかし、光の面もありました

それは、人生ではじめて普通の青春っぽいことをしたこと

その会社は、良くも悪くも古い体質の会社で、若手の交流会や飲み会がいっぱいありました

おかけで、わたしは、部活以外ではじめて普通の友達ができました

会社帰りにみんなで居酒屋にいったり
コンビニで缶チューハイを買って夜の海辺でだらだら飲んだり

休みの日には同期で海水浴やバーベキュー、
花見や卓球など、
普通の遊びを人生ではじめて経験しました

はじめて男の人と恋をしたのも、
今の夫と出会ったのもこの会社でした


そういう意味では、自分の発達障害に直面させられた苦い場所でもあり、
わたしに普通の喜びを教えてくれた青春の場所でもありました


人生の二大転機 結婚と転職


わたしは結局総合職の仕事に耐えられず、転職します

転職先として重視したことは

・女性が働きやすい
休みがとりやすく、ワークライフバランスが整っていること
・事務職であること
・できれば興味のもてる分野であること


わたしの長所として
・ルールの理解度が高い
・細かい事務作業やマニュアルの決まった作業は正確で速い
・文章を読むのが得意

というものがあり、前職でも経費処理や書類関係の仕事の正確性や迅速性には定評があったため、それを活かせそうな仕事を探しました

ちなみにいちばん得意なのが誤字脱字をみつけることです


転職してよかったこと、苦労したこと、いろいろありますが、おおむね満足できる転職ができたと思います



ついでに結婚もしました

わたしは、田舎生まれの保守的な土地で育ったので、結婚は当然するものという古い価値観があり、結婚については特に悩まずノリと勢いでしました

(妊娠出産育児については、またものすごい壁にぶち当たるのですが、それはまた別の機会に書きます)

また、一人暮らしで手痛い失敗をした経験もあり、自分は一人では生きていけない人間だと身に沁みて感じていたからです


結婚で意識したことは、ありのままの自分でいられることです

いろいろ書いたとおり、わたしはいろいろ偏った、欠点の多い人間です

だから、自分を偽って、よくみせようとするのだけは最初からしませんでした

たとえばわたしは料理ができないけど、付き合っているときに無理して料理をふるまうことはしませんでした

できないものはできないと、最初からはっきりいいました

それでも、ありのままの自分でも受け入れてくれる、そのままでいいといってくれる、それだけが結婚の唯一の条件でした




長々と書いてしまいましたが

今日はこの辺で失礼します

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