見出し画像

【日本の和の精神】聖徳太子

和の精神として
一つの考え方を日本中に示された方として
聖徳太子の存在があります


今回は聖徳太子について
書いてみようと思います


聖徳太子は574年に
用明天皇の第二皇子としてお生まれになりました
聖徳太子は十七条憲法の制定や
冠位十二階など様々な制度を作られました



それだけでなく、聖徳太子は
当時の日本において
海外から様々な文化や技術を取り入れられたのです


日本は島国であり、
昔から世界から積極的に
文化や考え方・技術を柔軟に受け入れてきました


そして、海外の文化や技術を
そのままではなく

日本の中で創意工夫で発展させて
独自の文化や技術まで高めて
日本文化に融合してきました


明治で、明治天皇が
「知識を世界に求め、国を盛り上げましょう」
と言われたみたいに


世界の優れた文化文明を取り入れて
日本の中で、独自にそれが発展し
日本の文化になっていく
それが日本の特色でもあり、同時に強みです


仏教がインドや中国以上に日本で発展したこと

世界から来た紡績や車などが日本で発展し

世界のトップランナーになったこと

カレーやラーメンが日本食とされていることも


日本の特色を表す
海外にない文化ではないでしょうか





さて、話を聖徳太子に戻すと
聖徳太子は、推古天皇元年に皇太子となられます


皇太子として、
始めて隋に使いを派遣されました
目的は、世界の優れた技術や文化を学ぶことです


その中で
聖徳太子は、仏教などの海外の精神性も
大切に学びたいと考えられていました

なぜでしょうか?


それにはこの時代の背景を探る必要があります


この頃の日本は、
中国大陸から多くの人が渡ってきたため
人種や文化が入り交じり、
他国の文化を理解する必要が出てきました


その中で争い事もあったと思いますし、
違う文化の方々と調和して
日本の意識を一つに合わせる必要が出てきたのです



そこで聖徳太子は
その答えを、中国大陸に求め
相手の国がまずは何を大切にしているのかを知り


海外からの文化と人達が混ざり合ってきている
日本の中で
その方々も納得できる方針を考えたのです


そして、それを正式に定めました
これが十七条の憲法です


まずは相手を知り
相手の言葉で語り掛ける
これも日本の一つの特色ですよね



この十七条憲法が

「和を以て貴びと為し」

という有名な文から始まる
日本の憲法です。


次回は、
十七条憲法に何が書いてあるかを
紹介できたらと思っています



つづく







 最後まで読んでいただいて
 ありがとうございました(^^)
 フォロー・いいね嬉しいです。
 ありがとうございます。


---------------------------------------------------

新日本精神道 ~日本的宇宙の成幸法則 ~


☆ブログhttps://note.com/sinnihon

☆YouTubehttps://www.youtube.com/@sinnihon

☆お問合せ先https://forms.gle/ZbKudVvz9yWhkRFu5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?