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色のない世界を歩く

午前5時、いつもより少しだけ早い時間に目覚まし時計を仕掛けた。
夜明け前の道頓堀でフォトウォークを楽しむためです。日が昇る前の道頓堀、これが意外と静かで清々しい。

漆黒の闇から徐々に解放される黎明のひとときは、都会のビルの色彩深度が浅くなる瞬間でもある。人がそんな色と出会うとき、心からの感動が感嘆の声となり、息をのむほどだった沈黙から解放されるのです。

「Canon kiss M2」今日の僕の相棒だ。
しばらくぶりだった相棒に、安いパンケーキレンズをくっつけて首からぶら下げてきた。よし、今日はこれで行こう。頼んだよ。

周りが明るくなるにつれ、ここが都会だっだことを思い出す。
まだ人っ気は少ないのに、なぜか賑やかな感じがする。なんだろう。

色だ。

ぐるりと見渡せば、僕の周りは色で囲まれている。
黄色い居酒屋の看板、ド派手な赤色のビル。カラフルな観覧車や有名なグリコの看板だってそう。色、色、色で囲まれている。情報が多すぎるのです。

いっそのこと色のない世界だったら良いのに。
モノクロの世界だったらもっと楽なんだろうな。
折角、夜が明けはじめたというのに、モノクロの世界に逆戻り。色があるから目立たない。色がなければ想像すれば良い。そんなエセ写真家としての一歩を考えはじめたのです。

想像することは楽しい。
そこには音もなく色彩もない。だから想像するのです。
そこはどんな色なのか、どんな音が聞こえるのか。想像してみる。
そんな瞬間を切り取った写真を追い求めてみたい。


道頓堀川でカヌーを練習する青年


どんな会話なんだろう。
どうしてこんなに早朝から練習しているのか。どんな目標を持っているのだろうか。オールの色やジャケットの色も違い、二人ともカッコ良い。
水面に歪む絵がどことなく寒々しい。気温だって想像してしまう。

色のない世界を歩く。
ずっと進んで行くと、徐々に色を感じてきます。その先に音だって温度だって感じるようになるはずです。

色のない世界をしっかり堪能したい。


何かのおまじないでしょうか?


最後まで読み進めて頂きありがとうございました。



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