シングルファザーな私のバックボーン

今回は私という人間のバックボーンについて、書いてみたいと思います。

理由・理解して欲しい事は下記となります。
恐らく「私のプロフィール第二弾」のようになると思いますがご了承願います。

※シングルファザーな私のプロフィール
https://note.mu/single_father/n/nc09fc24e93a4

それでは「なぜ」書く必要があるのか?ですが、このバックボーンが無かったら「活動しよう!法律を変えよう!黙ってられっか!」みたいな自分はいなかっただろうからと思うからです。

まずは私自身が「子どもの貧困」状態の中で育ち、母子家庭で育った事で、もう1人の半身である父親へ対する愛着形成を求めており、その期間に疑問と将来に向けた夢を持ち、そして大人になり打ち砕かれ、また社会へ減滅し、そして戦おうと決めるに至る背景を知ってもらいたいと思うからです。

要約すると下記2点を踏まえ理解して欲しいと思っています。

——————————————


「人は幼少期からの経験や環境の変化等により成人期の(あるがまま)が作り出される」という事が前提である事を理解して欲しい。


「私、大変で可愛そうアピール」の為の記事では無く「今に生きている」「生かしていける」事を理解して欲しい。

——————————————

以上の理由を踏まえ私のバックボーンを読み解いて頂けたら幸いです。

——————————————
バックボーン(その1)
□父親である事にリセットボタンを押し、私を忘れていた父親の存在


・母子家庭で育った私は20歳の頃、初めて父親に会いに行った時の言葉をどうしても許すことが出来ていない自分がいます。

その言葉とは「まさか、会いに来るなんて、まさか、こんな日が訪れるなんて」です。

そう彼は私の存在と母の存在を忘れ、のうのうと新しい家族を作っていた。
養育費も、面会も、手紙の一つも寄こさず。

当時はそうした離婚の仕方が当然だったのかもしれない、しかし子どもである私には正直関係のない話。今、父は全身をガンに侵され余命宣告を受けている状況のようです。

そんな彼に私が望むのは「親子3人写った写真」と「会って話を聞いてもらいたい思い」恐らく実現することのない私の願いです。

私はそうした「悲しみを子ども達が受けるのが当たり前の世の中」が変わってしまえばいい。その為に私には何が出来るだろうか、そんな思いが常に胸の内にくすぶっています。

———————
バックボーン(その2)
□小学校3年生から始まった不登校、そして先生との出会い

・体罰が普通だった過去、そんな学校生活でどうしても納得が行かない、理解が出来ない事柄があり、それでも教師の言う事を聞かなくてはならない現実に心身のバランスが崩れてしまったことがあります。

毎朝の発熱、時には嘔吐、また更には足が全く動かなくなってしまう事もありました。
通院先の日赤病院の小児科から精神科を紹介されて箱庭をしたり、絵を描いたり、面談を受けたりしたことを覚えています。

最終的に私は公的な機関のフリースペースへ通所することを求められました。
マジックミラー越しに支援員が見守っているような実験室のような場所。
私の中の正義は、それを許さずマジックミラーを叩き割って逃げ出したことを覚えています。

そして当時では珍しい、学習支援、子ども食堂、居場所事業、また私財を投げ打って購入した山でのレクレーションを身銭をきっておこなっている坂本先生(現在はお亡くなりになっています)と出逢います。

最初の面談を今でも覚えています。白いタンクトップのTシャツに、ももひき姿
穴の空いたソファーに先生は寝転がりながら屁を一発かましました。
その後、私に真剣に語りかけます。

「学校なんて行きたくないなら行かなくていい。ただなこれだけは覚えておきなさい。それは自分で決めたことなんだ。絶対にこれから、どんな苦しいことがあっても愚痴を言うな、人のせいにするな、自分で責任を持つんだ。それを守れるなら何をしたって良いんだ」

この指導は私の今の軸の一つになっています。

———————
バックボーン(その3)
□父子家庭・母子家庭育ちの同じ境遇の仲間達との出逢い


先生の居場所で私は3人の仲間と出逢います。リエとマコトとタクロウです。

リエの家は離婚に向け別居状態、マコトは父子家庭で育ちで父親との仲はよくありませんでした。タクロウは離婚はしていませんでしたが父・母共にある程度の立場という事もあってから完全な仮面夫婦の中で育ちっていました。

そんな3者3様の仲間で、いつも話し合っていたことがあります。
「俺達は絶対に、離婚なんてしない。絶対にふざけた大人にはならない」でした。

それぞれの家庭は時を経ていくごとに悲惨と凄惨な状況に向かって行きます。
それに合わせて私達の仲間も家庭内暴力をしてみたり、窃盗をしたり、暴走族に入ったり、無免許運転したり、ぶつけようのない怒りは行動となって現れていたのを覚えています。

他にも様々な状態に落ちていく友人達が沢山いました。
両親に首を絞められ気絶し目が覚めたら目の前に両親がぶら下がっていた経験を持つ奴
離婚した夫の実家に金の無心をして来いと母親に言われ日課にしている奴
両親が失踪し、一歩も家から出られない状態になってしまった奴
自傷行為と性的な関係を不特定多数とすることで、紛らわす奴
実の父親を刺した奴もいました。

この時期の経験が今世の中から離婚という言葉は無くならないかもしれない、でも「パパとママは夫婦ではいられなくなってしまったけれども、貴方達のパパとママである事は絶対に変わらないからね」「離婚後のパートナーシップを持ち続けて行くことが当たり前の世の中になって欲しい」

その為に、私に出来ることは何だろう?そう常に自信に問い続けています。

——————————————

私は10年にわたり活動を続けてこられたのは、私の時代と何一つ変わらない時代に対し無関心でいることは、腐った大人になりたくなかったからだし、変わらない社会に対しての怒りが未だに収まっていないからなのだと思います。

しかし社会は少しずつ、数少ない誠実な大人たちの手と行動によって変わりつつあります。
国会議員の中にも強く理解し議員連盟まで発足され、子どもの貧困対策法まで出来上がりました。

今の社会は「子ども達の声を掬い上げ、施策に生かしていこう!」そんな社会に生まれ変わりつつあるのです。それでも残念ながら、その原動力はいまを苦しむ子ども達の切実な訴えを元になりたっています。

ところが当事者である、大人である、父子家庭の父親は不在、母子家庭の母は不在、そしてひとり親家庭の当事者団体の老舗である(財団法人)全国母子寡婦福祉連合会(一部先進的な活動をしている組織はあります)の当事者団体も無関心です。


だからこそ、私は「数少ない誠実な大人」でありたいと思うのです。

では。

「いつ、どこで、誰が、どの様に、実行するのか」

私の場合は「父子家庭」となった「あの日」に「今やらねば誰もやらねーよな」と、そのように思ったに過ぎません。

「いつか、どこかで、誰かが、その内、やるだろう」

それで何人の子ども達が死にましたか?

それで何人の人が人権侵害を受け苦渋の思いに立たされたでしょう。

現在の法律が現代社会と乖離し、ひとり親家庭の貧困を助長させた責任は誰にあるのでしょう。

「世の中の、普通、一般的、当たり前、時代ごとの社会風潮」

これらに振り回され、自ら考える事を放棄し一体、どれだけの若者達が傷付き、病み、部屋から出られなくなり、生きる力を奪われてしまったのでしょう。これは引きこもり問題で顕著に数値としても現れています。

私は今、書いていて思います。

・皆さん、その「正しい」や「普通」は「優しい」とイコールとなっていますか?

・報道やニュース、芸能人言葉に振り回されずに自ら考え導き出したものですか?

・人は皆、違っている事を本当に理解していますか?

・今隣にいる愛する人の笑顔は、心からの笑顔を向けてくれると思いますか?

・皆さん、ちゃんと理解して選挙に行かない。当事者団体に所属しない事を選択していますか?

改めて自らに問い正して頂きたい。

それが私からの切なる願いであり、祈りです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?