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仕事上の不満は「やっかみ」そしてそれは「裸の王様」

結局、文句言っているのは「やっかみ」。そうだと分かっていても、どうにもできないこのむかむかする気持ち。もう長年超えられない問題。分かっちゃいるけどやめられない。不公平だと心の中で叫び、それを正論のごとく口にする(=友達に愚痴る)。ストレスを与えてくる人がいなくなればと思う。私の見えないところへいってくれと。
それを真剣に相談したこともある。分かってる、人のことをいくら言ったってどうにもならない。けれど募る不満をどうやって解消していいのか分からなかった。後輩でも人のことは全く気にしない、悪く言わない人がいる。尊敬でしかない。どうしたらそんな思考回路になるのか。不思議だった。

しかし、ここにきてその重いもやもやが晴れた。完全にではない。けれど自分がもやに包まれている瞬間に「あ、私やっかんでるな」と気が付くことができるようになった。ちょっとしたもやの合間から青空を見上げる習慣ができてきた気がする。今は分かる。私のストレスの原因は「正論なのに聞き入れられないから」ではなく「やっかみ」であるということを。やっかみは自分の鏡である。

私の長年のやっかみは、主に仕事の場で発生する。
仕事をバリバリやっているバリキャリの人の話ではない。そんなに働きたくないのに、やらざるを得ない仕事に悩まされている凡人(=私)の話です。

今の会社に勤めて15年経つ。暇を勝ち取っている人がたくさんいる中で、私は常に忙しい業務に回され、いいように使われている(気がする)。忙しいのは決して私だけではない。それどころか、私よりもっと忙しい人はいる。その人から見たら私こそ「暇を勝ち取っている側の人」かもしれない。それでも自分の人生は常に「仕事が忙しかった。」それが私にとっては不本意なのだ。もう少しのんびり仕事したい。丁度いい量で仕事したい。それと裏腹に実際は人生のかなりな部分を仕事に費やしてしまっている。へとへとになっても、だったらやらない。という性分ではなく、やってしまう。逃れられない性格なのだ。

期限に追われ、利害関係が絡むPJにも対応し、ストレス満載だ。やることは尽きることなく、それどころか倍々になっていく。その業務は私、となっているために誰も手を出して来ない。だったら効率化をと思ってやればやったで、空いた時間には新たな仕事が追加される。そしたらずっと忙しいじゃん!出口ないじゃん!いつまで経っても暇にならないじゃん!

何度も言うが、私よりストレスフルな仕事をしている人は山ほどいる。が、はなから仕事を振られない人、それに胡坐をかいている人、それなのに他の誰よりも偉そうな人がいるのがくやしいのだ。

忙しい時に一番いやなのは、横にいる暇な人である。忙しそうにみせてぼーとしている人。上司だって忙しいのだと思っているわけではなく、忙しいことにして放置している。(これは私が上司の立場でもきっとそうする。なぜならできる人がやればいいのだから。そして給料も同じにしときゃいい。どっちがどうもらったって上司本人には痛みはない。)私は横にいるからより分かるのだ!マジ勘弁してくれ。お子さんがいるは免罪符だったりする。仕事は振らない。テレワークで会社にはほぼいない。好きな時間に仕事を始め好きな時間に早退する。休みも全種類網羅するが業務への影響はない。上のポジションの人といえば下へ雑務振り放題。前面には出ず、対立した相手にもああ言えこう言えと指図してくる。自分は上にいい顔をしてやりますと仕事を請け負ってくる。自分で言えよ。自分でやれよ。とお伝えしたくなる。ここぞというところでは力になってくれるのだけど。

人生半年だけ忙しくない日々があった。サポートをつけてもらい、その人がまじめに仕事をしてくれたから、バラ色だった。自分の決して暇という訳ではなく業務量が丁度よかったというのもいい。幸せだった。その頃結婚もして家のオペレーションも順調だった。以前は必死に働き、ダッシュして電車に飛び乗り、疲れ切って電車で爆睡する毎日だった。座れない時は座っている人をなんで降りないんだと睨んだものだ。子供もいないのに毎日毎日追われていた。週末はちゃんと休んでたので言うほど忙しくないのだけどね、そんな気持ちでいた。お子さんにいる人は本当に日々戦いだと思う。週末も自分の時間もない。分かっております。

平和な時間は半年で終了。いつかは終わると思っていたが、あっけなく、たったの半年で幸せな時間は終わった。将棋の駒のように、摘まみ上げられ、はい今度ここね、と異動となった。またもや忙しいポジションに。サポートもおらず、下っ端に逆戻り。忙しさに堪え切れず辞めた人の後釜に。

異動後は、お局にいじめられ、周りは無関心、質問すると気だるい反応、明らかに面倒臭そう。あのー、手を動かしてるのこっちでアドバイスするだけの人がなんでそんなに嫌な顔するんですか?と心で質問。ストレスが最高潮になり、気が狂いそうだった。というか狂っていた。心は崩壊。絶対に辞めてやると毎日吠えていた。心のなかで。

そんなにつらいなら辞めれば。と言われる。(だろう)
自分もそう思う。

けれど、辞める勇気はなかなかでない。

再就職も厳しいし、できたとて新しいところでも絶対に同じことが起こる。人生仕事ばかりだったとはっきり言える。けど別に特殊技能はもっていない。なのに、長く仕事ができたことはありがたいことである。

だったら文句言うな!

そうだよな。

下手なのだ。
暇を勝ち取っている人たちは勝ち取る能力がある。給料は同じなのに仕事量が少ない。私はというとなんだかんだ言ってやってしまう。だから、やるだろうと思われている。そしてそれがいいように使われるのが最大の要因だ。

子育て中の方を悪く思った時期もあるが、今はそんなことは全く思っていない。誰もが自分の丁度いい頃合いで働きたい。私だってそれを目指して、けどそれができないからイライラしているのだ。いい頃合いで働いてなにが悪い!優遇されていそうな方の今が丁度いい頃合いなのかは分からないが、その働き方は他人に文句を言われるものではない。私だって自分にサポートが付いていた時、ラッキーと思って悪いなんて1ミリも思わなかった。それにもし自分に子供がいたら、絶対に今のようにフルフルの多忙な仕事はできない。少し免除してもらうだろう。少しどころか全面的に免除して欲しい。そしてそれを当然と思うだろう。

こういうことは第三者になるとよく分かる。シングルファーザーの人がシングルマザーには制度が充実している。働かないで補助をもらっていた方がいい、優遇され過ぎている。と言っていた。
パートナー探しでも、年収バーがあるイベントに「証明書なんてださないんだから本当に年収あるかなんて分からない奴らがいる」と怒っていた。
反論をする間がないマシンガントークで仕事の文句を言われたと同僚に怒っている人がいた、が、その怒っている間、その人がマシンガン過ぎて私が口をはさむ余地がなかった。ちょっとコメントしたことも即否定。そして再びマシンガンに。

人のことだと「やっかみ」だとはっきり分かる。自分がそうしたいのにできない。または、自分がやりたくないことをさらりとやってしまう人に正論を言ってやりたい。本人(=全面的に私)は気が付いていないが、そう言っているのと同じなのだ。要はやっかんでいる自分、自分がやらないよう努めていることをやってしまう人を羨んでいる「裸の王様」なのである。
見えちゃっているよ~
服着ているつもりだろうけど、全部見えているよ~
服きてないよ~

今、私は肩の力を抜いている。正論より、自分が居心地のいいところを勝ち取る。それを誰かが既に勝ち取っているかどうかは関係ない。自分がそれを手にすることに集中したい。他の人が優遇されていると思しきものでも欲しいものでなければ、知らんぷりでいいのだ。人をとやかく言うのはもうおしまい。人の人生を生きているのではない。自分の人生を生きているのだから。散々不満をぶちまけましたけど…笑

それに楽をすればいいと考えている訳でもない。仕事人生で得たことも沢山あるのだから。人と比べてどうこうではなく、自分がどう生きたいのか。それに向かってその状況を作るようにする。それが正しい王様なのである。服を着た王様でいれるのが一番いい。

自分がやっかんできた、それに苦しんできた。その大元は一部の人ではなくみなが働きやすい環境制度を使う権利をもつことをずっと望んでいたからでもある。コロナ後にその流れがきた。テレワークである。今はみな子供がいるからという理由ではなくテレワークをしている。

テレワークをしていると、みんなとの働き方に差が出でしまうと言われたり、テレワークをする証明を出せとたまに言われる。まだまだ道半ばだなと思う時もある。けれど、理由を述べずテレワークをできる環境になりつつあることは大きい。やっとワークライフバランスを本当の意味で時間できる。ストレスが減ったから、やっかみから解放されたのかもしれない。

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