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孤独について 2024年抱負の振り返り(1月~4月)

私の2024年抱負は人付き合いをする、である。
私は人付き合いが基本苦手。でも人付き合いなくして成長はない。私の人生の目標は成長したなと思って終えること、である。夢多き若い時からしたらかなり下方修正した目標であるが、これでいい。

つまり人と共にいることが人生だ…と心から思っている。人なくして私はこの世にいない。そして人がいないこの世にいてもつまらない。この先ひとりになって(もちろん人はどこかのタイミングではひとりになってしまうだろうが)多くの時間を過ごすのはつらい。

散々好き勝手やってきて、人と親密になっても何かあればすぐにお別れし、一人が楽で気ままにやってきた自分。何を今さらと思うが、何よりも人との関係が人生で大事だとここにきて実感している。そう気が付いた3つのターニングポイント。

50歳になった
離婚をした
緑内障で不都合な毎日になった

ことが大きく影響している。

きっかけは何にしろ今優先しなければならないことが分かったことはいいことである。すでに孤独に向かっていた事実を見て見ぬふりをしていたのだから。

この3つは確実に私に孤独への恐怖を感じさせた。が、今今孤独を感じているかと言うとそうではない。

テレワークで仕事をして人とはほぼ会わないが、チームの一員としてつながっている感じがある、プライベートでも友人に会う、ボランティア活動をする、興味のある展覧会や公園にでかるなど、自分時間を程よくコントロールしながら楽しんでいる。両親が元気なのもありがたい。これらは寂しさを紛らわしてくれる。紛らわすどころか寂しさを感じない。

寂しいと思っていないが、これは勘違いである。幻である。錯覚である。

気を許すと、つい大好きな一人時間を満喫してしまうが、一人時間より優先すべきものを無理にでも優先すべき時である。それが2024年私がやるべきことである。

旦那さんとの時間はどうだったかというと、私なりに家庭を最優先にしてきた。結婚してからは家事と旦那さんが一番だった。しかし一番と思っても仕事が結局忙しくて時間もとられ、ストレスもたくさんあった。自分のやりたいことも、資格取得の勉強も手放さなかった。ということは、優先はしていたが、結局どれもこれもやっていた、というのが正しかろう。もちろんマルチタスクはみんな当然やっている。これくらいできなくてどうする。なのだが、結局失ってしまった。そして結婚は大切な人と大切な時間、空間だったと改めて思う。そこまで思い合えた人とお別れを決めた自分の判断は絶対的に間違っていたと思う。けれど当時それを避けられなかった。それは当時、優先すべきこと以外に多くのことに執着していたからだろう。もっと他を捨てるべきだったと思っている。

それは目の病気になったことも同じ。

私がやっていたことは目が悪くまでするべきことだったのだろうか。例えばスマホを何時間も見る。買い物を迷い何時間もサイトで調べ上げる。旅行先を行く前に調べ尽くす。などなど。(まだやってしまっている。)

1つの大事なこと以外はもっと捨てる。

老いと病気と選択肢が1つ1つなくなっていく中で、人と接する機会は最後まであって欲しいと願う。これからは1番大切なこと以外はもっと手放さなければならない。

離婚をしてうっすら描いていた未来が消え、年を取り、病気のことがあり、老後をリアルに想像できたことは正にターニングポイントだった。

2024年の抱負の達成基準はどれくらい手放せているかだと思う。

そして、もう1つの達成基準がある。

一番大切と分かったところで、人付き合いが苦手であることには変わらない。私はここまでの人生で多くの人と出会ってきた、しかし多くの人とお別れもしてきた。出会いが一期一会の貴重なものであることにも気が付かず嫌なことがあると強気に限(きり)をつけてきた。もっと気の合う人と一緒にいたいと。居心地悪い人とはいたくないと。究極の気の合う人は家族である。が家族のような付き合いは結婚しても、親友でも早々できない。今どきは複雑なネットの絡む人間関係に疲れ気軽な親との時間を楽しむ親と仲良しな若者が増えているそうだ。私はその先駆けだ。

パーフェクトを追求するのではなく、人から学んでいくことこそ大切だった。だからもっと居心地がしっくりこない領域に留まる経験が必要なのだ。勉強、勉強。

それに、私はそんな強気と同時に気を遣い過ぎて本心を出せず萎縮して、結果的に自分の不安定により相手に居心地の悪さを感じさせてしまう人である。それにより離れていかれたことも数えきれない。恋愛に限った話ではない。偉そうなのに自己肯定感が低い自分。苦手だから避けて通り、このまま逃げ切れないだろうかと何度も思ったものだ。逃げる…でも逃げるってさ、私はどう生きたいの?

人生一度切り、逃げ切る。という人生では悲しい。年を取ればもっと寂しくな。

私ももう一つの目標の達成基準は人付き合いを楽しんでいるかということ。

今年の抱負は
英語上達でも資格取得でもなく

人づきあい一択である!!

達成基準は、どれくらい手放せているか。どれくらい楽しんでいるかである!!

一人が好き
というか
一人が楽
というか
誰かといることが苦手
というか
誰かといると気を遣う

大袈裟に驚いてみたり
大袈裟に喜んでみたり
私今正しいリアクションとれているだろうかと考えてみたり
時におせっかいなことを言ってしまったり
あれ?それ相手が求めていたことだったのだろうかと言ったことを後悔したり
自分が自分らくしない偽りの自分のような気がして居心地が悪い
相手にもそれらが伝わり気を遣わせ、言葉足らずの私に、面白みのない私に距離を置きたくなるだろう。

そうかと思えば
平気で相手を拒絶する自分がいる
相手のことに全く同意ができなかったり
話を聞きながら、違う違う違うと考えていたり
偉そうに、意地を張って主張したり
イライラしたり
距離をとったり

一人でいる方が楽である
しかし私が一人でいる理由は逃げである
怖いのである
いい関係が作れないどうしようもない自分を守るため
そしていつまでも家族がいると錯覚してしまう
選択できない一人が迫ってきているのに

長く一人で楽しんだ
一人で楽しみ確かに、楽をした
でも、幸せは一人ではつくれない

私は人が恋しい

都合がいいが、このまま一人ならきっといつかどこかで精神を破綻してしまう。老後の不安というのももちろんあるが、人と関わってこそ人生だと、当たり前のことに今さら気が付いたのだ。

人生って生きている間だけのこと。その間に何をするかということ。その間一人で過ごすのではなく、多くの人と関わって、いろいろなことを経験して、成長したい。

こんなに強く思うのに、忘れてしまう。楽な方に逃げてしまう。表面的な付き合いを始めたから、友達と遊ぶ約束をしたから安心。ではない。それは目標を達成していることにはならない。

2024年目標達成率:10%

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