幸せそうな彼と残された自分、それを比較する意味
ここでは、離婚のこと、おひとり老後の備えのこと、日々感じていることをnoteしています。今回はその5回目。
前回は突然別れることになった過去の経験を書いた。その時はそれがトラウマになるとは思っていなかったけれど、10年後似たようなことが起こった時当時の記憶が蘇り、同じように、いやそれ以上に深く苦んだ。辛い経験は良くも悪くも自分の物事の判断基準の1つになる。そしてその感情は簡単に自分でコントロールできるものではない。そういう背景は誰にでもあるはず。相手の考えや物の見方が理解できない時、その背景には何かあったのかを想像し思いを馳せることができたなら、自分との違いを大目に見る(理解する)ことができるのかもしれない。
今回は少し脱線して、過去の恋愛の顛末と失恋後の暮らしについて書こうと思う。
手痛く私を振った彼はそのアピール強め彼女と結婚した。子供もすぐに生まれた。私とは結婚の話にならなかったのだから、結論としてこの別れはなるようになっただけ。別れたくないとすがったけれど、それは時間の問題だった。
私は彼の家を出た翌日から一人暮らしを始めた。派遣の仕事がちょうど契約が切れたため、彼なし、仕事なしの中での初一人暮らしだった。3週間ウィークリーマンションに住んだ後、女子4人のシェアハウスに引っ越した。一般的なシェアハウスとは少し違い、オートロックのあるファミリー向けの立派なマンションの1室に個室4部屋がある作りだった。自分の部屋は狭かったけれど(4畳半!)、キッチンもお風呂もリビングもきれいで広くとても快適だった。最初は私しか住んでおらず、家の中は驚くほど静かで、しーんとしていた。淋しい。当時スマホは普及しておらず昼間はネットカフェに行って仕事を探した。そんなスタートだった。しばらくは苦しくて、悲しくて、もう一生笑えないと思っていた。けれど、全然そんなことはなかった。
時間が解決してくれる。この言葉に嘘はない。あんなことがあっても、時が経てば忘れるものだ。半年?1年?だったか私は完全に回復した。
今回の離婚と決定的に違っていたことがある。それは、その時私がまだ若かったということ。「いくらでもやり直せる。」と周りから言われると反発を覚えるものだが、実際にそうだった。
ネットカフェで探した(←そこは関係ないけど)会社で正社員となり、今もその会社で働いている。
その後3人の人とお付き合いもした。
さらに、大好きと思える旦那さんに出会えた。
一人暮らしも満喫していた。年に3回海外旅行に行き、山登りもしょっちゅう、パン作りにもはまって、彼を思い出すことはなくなった。50歳直前の離婚では、ここまでは劇的にやり直すことは出来ない。
さて、この別れには後日談がある。
結局彼は彼女とひどい争いの末離婚し、子供にも二度と会えなくなった。
5年くらいしてからだろうか電話してきてそう私に告白した。
聞いてみたら、あの時の修羅場のことは何一つ覚えていなかった。離婚で揉めていたからか、彼は少々おかしくなっていた。何度か電話で話は聞いてあげてたが、途中からは電話に出るのを止めた。
それから10年、今度は自分の離婚でごたごたしている中、私は久しぶりに彼の情報をネットで検索してみた。
彼は再婚していた。
英語が堪能になっていて、日本各地に山に行き、一流企業に再就職し(当時は自分で会社をもち不安定だったが)、全国を飛び回っていた。奥さんへの感謝の言葉に溢れ、最初の子供として生まれたばかりの子供を紹介していた。可愛がっているのがよく分かった。
そして思うのだ。
人はノリノリの時と、そうでない時がある。別れた時は彼はノリノリで幸せ真っ盛り、私は取り残されて底辺だった。その後彼は底辺になり、そして今は乗っているようだ。
旦那さんもそう。離婚した時は新しい彼女とノリノリで(イメージ)、私は底辺だった。半年前の私の日記には「自分はゴミ。」と書いてある。
けれどそれは波であって、人生全部ではない。浮気した旦那さんに対し私を苦しめて自分だけ幸せになるなんて。とは思わない。人は好調な時もあれば不調な時もある。旦那さんが生涯好調かどうかは分からない。
惨めな自分と幸せな人をある時点の状態で比較して悲しんだり、羨んだりすることは無意味。そして幸せだった時の自分と今そうでない自分を比べて後悔するのも意味がないのだと思う。
もし彼が今幸せだとしたら、それは彼が勝ち取ったもの。そしてそんな中にもつまづくこともあるだろう。
そんな風に思う。
次回はトラウマが蘇えることなった旦那さんとの出来事を書き残しておこうと思う。
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