見出し画像

黄昏に咲く虚ろな青春。

その日から数日間は、輝かしい夢が心地よい眠りに誘った。

人生がそんなに簡単ではないことは明白なのに。


今日はついに面談の日だ。

舞い上がる気持ちを抑えながら、

普段通りの装いで朝を取り繕おうとする自分に少し笑った。

身支度を済ませ、無意識にステップを刻みながら歩く。

世界を照らす日差しの光度はこんなにも高かったっけな。

小鳥や虫たちの囀りが、ハーモニーのように背中を押してくれる。

良いことがあれば全てを良い方向に捉えるという、

この人間らしい感情にただただ酔いしれていたいと思った。

駅に着き、電車を乗り継いで辿り着いたその場所は、

渋谷の雑踏から少し離れた小さなビルだった。

エレベーターのボタンを押す手が震える。

これからどんな人生が待っているのだろうか。

有名になってしまうのかな。

これだけ苦難を乗り越えてきたのだからそれくらいの

褒美があっても良いだろう。

そんな事を考えているうちに、目的地に到着した。

綺麗なオフィス。一般的な職場とは違い、

ラフな格好をしたオシャレな人たちがオシャレな業務をこなしている。

「初めまして。お待ちしておりました。」

若手に見える女性写真に案内され、

オフィスの一角にある商談スペースのような場所で話をすることになった。

数分の後に、明らかに役職を振りかざしていそうな男性が登場。

「君が鈴木君か。待っていたよ。君の将来の話をしよう。」

彼は素の笑顔とも営業スマイルとも取れるような淡い表情を浮かべながら、

握手を交わし、綺麗にデザインされた名刺を渡してくれた。

「オーディションご苦労様でした。ここまで来れる人はほんの一握りです。」

「ありがとうございます。僕は自分の精一杯を出したまでです。」

変な緊張の汗が全身を包み込むが、不快感は感じなかった。

「3回の選考を経て僕たちは君の潜在的な才能を評価しました。」

淡い表情を崩すことなく、感情を込めて俺の嬉しい言葉を投げかけてくる。

「僕自身、最終選考のレコーディングオーディションの声を聞かせてもらって、

君の深く心に突き刺さるような低音ボイスに惹かれたのです。

特徴的な声色。それでいて力強く優しい心を感じる。」

本気で歌を歌っている人にとっては最高の褒め言葉。

平静を装いつつも頭の中では遥か遠い未来図までもが、

簡単に描けてしまうほどの舞い上がり方をしているのが自分でもわかった。

「もちろんまだ未熟なところはあるんだが、

それはこれから経験を積んでいけば補って余りある。

僕たちは育成にも定評があってね。レーベルやTV曲とも沢山のコネがある。」

TV出演、レーベルとの契約。

人間の想像力は計り知れない。

与えられた言葉から非現実的な妄想が、

まるで現実に起こっているのかのように脳内で再生される。

彼はそれを掻き立てる能力に長けているのだろう。

そしてその勢いのまま匠に操ってくる策士であることなど想像に難くない。

しかし、舞い上がっている人間になどそれに気づくはずもなく。

「ところでこれからいくつか質問と提案をしていきたいんだが、良いかな?」

獲物を視界に捉えたスナイパーは絶対に逃さない。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?