30歳の大学生はnoteの中でしか素直になれない

この文章を書いている私は今年30になる大学生です。

これを見てどう思いましたか?
「いい年して何やってんだ」とか「学びたいことがあるのかな?」とか「学生羨ましいなぁ」とかでしょうか?
 どの意見も正しいしどの意見も鬱陶しいと僕は思う。

僕は肯定するし同時に鬱陶しいと思う。

 これが面と向かって言われたら僕は肯定だけをするでしょう。なぜって30の大学生は現実社会でこれらの意見を否定する権利なんてないからです。でも文章でははっきり言わせてもらう。

 鬱陶しいから黙っとけ、自分の人生の心配でもしとけ

 なぜこんなことをわざわざ文章に書いてnoteに投稿するのか,自分でもわからないけど、noteに書いている時は素直に自分のことが言えそうな感じがするからです。人生で自分の素直な意見や言葉をみなさんはどれだけ言えましたか?

 僕は引っ込み思案で勇気がないのでほとんど言ったことがありません。これは言い訳でもあります。ほんとは周りの人を信頼してないから言えないのかも知れません。でももう僕はいろんなことについて期待や希望を持つことをやめました。なので僕は文章以外で思ってることは言わないような気がします。しかし希望を持つことをやめると少し人生が楽になりました。

 希望や期待って僕の中では未来を感じる言葉である程度の時間を持っている感覚があります。つまり希望を捨てるということは未来を感じないということです。なので今はとても目の前のことに集中できていると思います。

 僕は大学生です。目の前の試験や勉強,趣味やバイトに集中します。あなたはあなたの人生に集中してください。

実は今日また鬱陶しいことがありました。
状況を説明すると

 何年もログインしていなかったインスタのストーリーに画像を投稿すると以前通っていた大学の人から何年も音信不通だった僕への心配のDMが来ました。

 今どこに住んでいるのか聞かれ違うので僕が「いや」と名古屋ではないことを伝えると画像の返事が来ました。
 一言で言うとキショいなと思い無視しようと思ったけど僕もいい年なのでこの後👍だけ押しておきました。
 多分この人は本当に悪気なく僕を心配してくれてるんだと思います。でも僕にはどうもこの上から目線が耐えられないし文章の表現が気持ち悪い。この人の善意を無碍に扱いたくないがあまりにキショすぎるので僕に心配はしなくていいのであなたの人生の心配をしてくださいと言いたくなって、けど言えなかった僕はnoteでしか正直になれない。

キショい画像


なぜ30にもなって大学生なのか?次の記事で書きます。

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