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【映画】11月に観た映画 『最強のふたり』『春画と日本人』『LEON』

11月に観た映画『最強のふたり』『春画と日本人』『LEON』の感想を書いていきたい。あっさりネタバレの部分もあるので、まだ観てない方はご注意を。

『最強のふたり』

もう何度も観ている大好きな映画。休日の昼下がりにNetflixで再び鑑賞した。
 事故で全身麻痺となり、車椅子生活を送る富豪と、その介護役に抜擢されたスラム出身の黒人青年の話。

この映画の醍醐味は、雇用主と労働者という本来の二人の関係が、友人という関係に変わった時に、二人は一緒にいることではなく「離れる」ことを選択するところだと思う。一般的な友情モノって、最後にくっつくことでハッピーエンドになる。しかし『最強のふたり』は、お互いの立場を考え、あえて離れることこが、彼らのにとってのハッピー。

シリアスな設定ではあるけど、コメディ映画。介護役の黒人ドリスのキャラが本当に最高。堅苦しい顔で美術や文学、演劇や音楽を嗜む富豪フィリップと(こういうのをスノッブと呼ぶんだろうね)、全く理解できないという正直な態度を示しつつ、素直にアートを楽しもうとするドリスの対比が面白い。

『春画と日本人』

京都シネマで鑑賞。国内での春画に対する不当な扱いがテーマで「日本社会の規制」について考えるいいきっかけになった。

大学生の頃、大英博物館で開かれた「春画展」を観に行った。日本の春画が、あの大英博物館で、大規模な企画展で扱われていることに驚いた記憶がある。実はこの映画、2013年に僕が観た大英博物館での「春画展」に端を発している。大英博物館の「春画展」を日本でも巡回展として開催しようという企画が立ち上がるも、公私博物館20館に断られたそう。何故、世界で評価される春画が、日本の美術館では避けられているのか。有識者へのインタビューから、春画の素晴らしさを再評価するとともに、春画に対する日本での規制の歴史を辿ることで、春画と日本人の関係性が見えてくる映画だった。

春画は、かつての時代を知る上での貴重な資料であり、現代の彫り師も驚嘆するほどの技術をもって創られた作品でもある。一方、刑法にひっかかり、自主規制に追い込まれ、いまだに問題を提起する猥褻物というファクターも無視できない。

西洋美術で描かれるヌードは、写実的で性器を隠しているものがほとんどであるのに対し、春画は緻密に性器を書き込んだうえ、誇張する。日本人的な「隠す」とか「秘める」といった情緒が完全無視されているところが面白い。

映画では、日本で春画を展示することが極めて困難であるさまが描かれていた。しかし、実際に展示を観にくる人は楽しんでいて、芸術か猥褻、高尚か低俗なんてあまり気にしてない。運営側からすると、予算が下りるかといった兼ね合いや、法律などの規制、ミュージアムのイメージの問題などあって大変なんだろうけど。春画に限らず、会田誠とか、バルテュスみたいに議論を呼ぶ作品はまだまだあって、そんな議論はまだまだ続くのだと思う。

『LEON』

映画史に残る名作を映画館でリバイバル上映する「午前十時の映画祭」が今年度で幕を閉じる。最後のこの1年は、映画ファンの期待に応える傑作中の傑作が全国で上映されている。11月は、僕の大好きな『LEON』が上映された。当然、超絶ハイテンションで映画館のスクリーンで観てきた。これによって、ぼくはただのLEONファンから映画館で鑑賞したことのあるLEONファンへと昇格した。このステータスがまず嬉しい。

『LEON』のあらすじは、家族を殺された12才の少女マチルダが、凄腕の殺し屋レオンと組んで復讐するという話。脚本はそこまでたいしたことはない。『LEON』が人気な理由は、キャラクターや音楽、映像美、舞台であるNYがあまりにも美しく描かれているところじゃないかと思っている。まだ観ていない方は、是非、本編を観て確かめてほしい。

まだNYへ行ったことがなかった頃、映画や写真などから得た情報を基に、脳内で思い描く、イメージとしてのNYがあった。そのイメージのNYは、かなり『LEON』の影響を受けていたと思う。この映画を観ると、まだNYへ行ったことがない頃に思い描いていたイメージが蘇ってきて懐かしい気持ちになる。

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