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コテンラジオで信仰をメタ認知


皆さんこんにちは。いや初めましてかな?

僕は最近流行りの宗教2世の男です。しかも、日本で最も有名な創価学会2世でございます。宗教2世問題はまた別の機会に気が向けば触れるとして、今回は初めてのnote挑戦なので、最近どハマり中のコテンラジオから得た学びについて書き綴ってみようかと思います。

新たに見えた仏教の姿

僕は先も触れた通り、創価学会2世です。創価学会の信仰スタイルって特殊ですよね!(ちなみに僕は納得して活動してる方の人間です。)と思ってたんですが、コテンラジオに出会い、宗教の歴史、仏教に拘る人物の実像を再認識する中で、特殊と思っていたスタイルは、実は自然な流れだったのかなと思うようになりました。ラジオの中で語られていた「仏教はアップデートを繰り返し、釈迦が語ってない事まで仏教にしちゃってる」という言葉に思わず唸ってしまいました。確かにそうですよね!日蓮大聖人なんか特に教義のオリジナリティ高めなので、これにメチャクチャ当てはまってます!みたいな。長遠の歴史で仏教を見れば、常に時代、国土、社会環境に合わせて変化し続けて、その度に本質のみがドリップ(抽出)されて現代まで伝わることで、原型すら無くなってる教義を、僕らは何の疑問も抱かずに仏教だと認識して飲み込んでしまってる現状を、全く認知できてなかった事実に改めて気付かされました。実は、新しい仏教の信仰スタイルが、繰り返し生み出されてきてた流れの中で、創価学会の信仰スタイルも自然に生まれた流れだったのではないかと見ると、他宗の方々からいただく批判への感じ方も、こちら側から見た他宗への見方も、角度が変わるなと思った次第です。これぞメタ認知ですよね!こういう状況に応じて教義を変化させる事を仏教用語で「随方毘尼」っていいますが、用語が存在してる時点で変化を許容してる証拠ですよね。学会の信仰スタイルは、まさに仏教の新たな姿なんですよ!ラジオを聞き、メタ認知が進む事で、釈迦から現代の僕ら創価学会まで一つの流れが繋がった様に思え、新鮮な興奮を覚えました。

新たに編纂された新版御書



2500年振りの原点回帰

現在、創価学会で採られている信仰のスタイルは、日蓮大聖人の仏法をOSとして自身にインストールし、社会生活で駆動させる事です。これは在家の信徒ならではの発想で、日蓮仏法を広く応用する事で、急速に教義をアップデートさせていく事を可能にしました。毎日の生活がそのまま修行の場となり、「仏」という概念も、より手触り感のある、個性溢れた姿に変化しました。これはまさに「僧侶」という存在、概念への問い直しであるとも言えます。しかし、コテンラジオの中でも語られていますが、釈迦も実生活の中で生かせる教義を説いていました。特にコテン代表の深井さんは、「釈迦は哲学者」と人物評をする程で、「神」という存在が登場しない、あくまでも個人の心の内面にフォーカスした世界の真理へアプローチする思想が見て取れます。これは、日蓮仏法の思想にも色濃く反映されており、創価学会の根本的教義としての「軸」となっています。僕が最も興奮を覚えたのはここに気付いた時です。

「あれ?釈迦が言ってる事と一緒じゃん?約2500年続いた伝言ゲームが、ここまで本質的に外れず伝わってるってスゴくね??」

これはラジオを聞いての勝手な想像ですが、釈迦はおそらく現実主義者で、生きた生活の中での人としての在り方を説いていたと思うんです。日蓮大聖人の言葉にも「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候いけるぞ」とあります。僕ら学会員もこの仰せのままに、実生活での自身の生き方を哲学実践の場と捉えて日々を過ごしています。釈迦の時代での仏道修行と、現代の仏道修行が奇しくもリンクしている様に感じられました。

この事象を俯瞰して見た時に、それぞれ離れていた点の存在が、線になって繋がり、バイオリズムの波の様に+−に振れながらも原点に収束したように見えたのです。2500年の時を経て、原点回帰したと勝手に納得して、勝手に感動してました🥺
悠久の時を超えたロマンを感じられたコテンラジオにマジ感謝です❗️

長々と最後までお読みいただきありがとうございますした😊

#コテンラジオ #哲学
#創価学会

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